第96話:『黄金の狂気 ー 01/26 11:00 執行開始』
第5部:黄金の狂気
一月二十六日 十一時
新大陸合衆国の監察官ハミルトンが去り、ようやく執務室に静寂が戻るかと思われた。
レオンは三十分の休憩を経て、二十%の活力を取り戻していた。
気合を入れて椅子に座り直すレオンの背中を、ヴァルプスは無表情に見守っている。
扉の向こうから、メイの部下たちの制止を「あ、ええねんええねん! 挨拶抜きや!」という豪快なダミ声が突き破った。
入室してきた――いや、押し込んできたのは、歩く派手さの権化たちだった。
空気の温度が、場違いな熱気で一気に塗り替えられる。
一人は、銀の振り袖を翻し、帯留めの黄金そろばんを「チャリン、チャリン」と鳴らす蓬莱皇国の監察官、銭形 マドカ。
そしてもう一人は、テカテカの高級シルク・ダブルスーツを窮屈そうに着こなした、浪速NMDUの巨頭、金本 権左衛門だ。
「レオンちゃあああん! 生きとったか! 景気のええ顔しとるやないかい!」
権左衛門はメイの「不法侵入です」という警告を、まるで春のそよ風のように聞き流した。そのまま、椅子に沈み込んでいるレオンの横へ突進すると、遠慮のかけらもなくその肩をガシッと組んだ。
「……金本さん……! 揺らさないで……」
「何言ぅてんねん! 水臭いなぁ!一階のカフェテリアにどて焼き定食100食ぶち込んどいたで! 祝いや!」
強烈な「ソース」と「お香」の匂いが、レオンの繊細な嗅覚を、そしてニンニクで荒れた胃壁を直撃する。
そんな中、マドカが銀狐の尻尾を揺らしながら微笑んだ。金の扇子で「真実」を自分の方へ扇ぎ寄せ、瞳を細める。
「……ふぅん。レオンはん。あんた、えらい『精のつく福の神』を背負ってまんな。
……これ、アレやろ。路地裏の、アブラギトギトの……」
「マドカはん! あんたは相変わらず狐臭い(理屈っぽい)のう!」
マドカの追及を遮るように、ゴンザエモンがさらに強くレオンを揺さぶった。レオンの喉から「ひっ」と小さな悲鳴が漏れる。
「綺麗事はええねん!
理由なんか『アメリアはんが笑うた』。それだけでお釣り来るがな!
レオンちゃんが何を喰うて、どこのおなご(あるいは悪魔)と遊んだか。そんなん、飴ちゃんにして3両で売るほうが、世界は幸せになりまんねん!」
「……ゴンはん、あんた。……ええ加減にしなはれ。
……これは『国家の縁起』の問題。CEOが不摂生で倒れたなんてことになったら……」
マドカが冷徹に、金の扇子でレオンの喉元を指した。その時、権左衛門がニヤリと、狸特有の「化かし」の笑みを浮かべた。
「マドカはん。あんた、相変わらず『算盤』が小さいなぁ。
……ええか? レオンちゃんが『腹壊した』なんて登記したら、市場は冷え込み、あんたのトコの銀の価値も暴落や。……でもな」
権左衛門はレオンの肩を組んだまま、マドカに顔を近づけ、声を潜めた。
「これが『世界中の不況を、レオンちゃんが一人で飲み込んで浄化した儀式』やったら、どないや?
縁起もんとして、蓬莱の連中がこぞって『祝儀』を市場に流しよる。
……その時、ウチのNMDUと、あんたのトコの銭形商会で、『救世主の聖なるスープ(レプリカ)』を独占販売したら……」
権左衛門はわざとらしく囁く。
「……チャリンどころか、ドカンと金が動くで?」
――言い切った。
反論する隙すら与えない、完成された“儲け話”として。
一瞬の静寂。マドカの帯留めの黄金そろばんが、物理的な限界を超えた速度で「ジャジャジャッ!」と計算音を立てた。
「……ほう。……独占販売、……取り分は五分五分で?」
「……四六や。レオンちゃんはワイのダチやからな」
「……よろしい。……ならば、今のログは破棄。
……事象名は『黄金の龍脈・大還流儀式』として、私が国家公認の『吉兆』として上書き(オーバーライト)しましょ」
「話が早いのう! ガハハ!」
「利権の四六は容認できません。三七で手を打ちましょう」
背後でメイ弁護士が商談に参加し始める。
「ま、待ってください! 勝手に名前を変えないでください! 先程、私が『高潔なサンプリング』として……!」
「おっ、龍淵の坊っちゃん! ちょうどええ、君のところのハンコ(認定印)も押しなはれ!」
権左衛門は、ぐったりとしたレオンを小脇に抱えたまま、空いた方の手でマルコスの肩をバチンと叩いた。
「『龍淵国家認定・聖なる出汁』や! これで兄貴の名誉も、世界最高級のブランド品として守られるで!
兄貴の指先が解析したニンニク……やなくて『霊素成分』が、国家の台帳に載るんや! どや、泣いて喜ぶ話やろ?」
「な、……な、……」
マルコスは、翡翠の瞳を点滅させ、絶句した。
彼の「隠蔽」は、あくまで「無かったことにする」消極的な嘘だった。だが、この狸が提案しているのは、「ラーメンの残り香を、国家ブランドの宝石に仕立て上げて全世界に売り捌く」という、あまりに厚顔無恥な積極的詐欺である。
「……ふ、不謹慎です! 龍淵の台帳は、宇宙の真理を刻むためのもの。
それを……スープの出汁に、……ましてや兄さんの叡智を、そんな……マーケティングの道具にするなど……ッ!」
「坊っちゃん、あんた頭硬いのう!」
権左衛門はマルコスの顔を覗き込み、ニカッと笑った。
「真理かて、誰にも知られんかったら、ただの『独り言』や。せやけど、そこに『蓬莱の保証書』と『龍淵の認定印』がつけば、それは世界を動かす『力』に化ける。
……兄貴が守りたかったんは、台帳の綺麗さか?
それとも、レオンちゃんが吐き出した『真実』を、世界が受け入れられる形に整えることか?」
権左衛門のその笑顔は、最後まで一度も曇らなかった。
「……っ」
マルコスは、椅子に縛られたまま「ふふ、悪くないね」とでも言いたげな顔をしているマルヴェイを見た。
兄の瞳は、絶望しているマルコスを面白がっている。いや、この「滅茶苦茶な泥沼」を楽しんでいる。
「……っ」
マルコスの指先が、空中で止まる。
“正しいはずの台帳”が、この場の誰一人として守ろうとしていない現実に、理解が追いつかない。
「……書き換えれば、いいのでしょう……」
マルコスは血涙を流さんばかりの顔で、空中にホログラムの登記台帳を展開した。
「項目……『霊素濃縮型・大衆意識抽出液』。
……付加価値として、……『サヴァス系・正系嫡男・マルヴェイによる直接演算済み』の文言を追加……。
……これで、……これで満足ですか……!」
「ガハハ! 決まりや!
マドカはん、今のログ、速攻で蓬莱の全モニターに流しなはれ! 『救世主、聖なるスープで龍脈を拓く!』ってな!」
レオンは、遠のいていく意識の中で、自身の「不摂生」が、二大国家の利権を巻き込んだ「宇宙規模の神秘」へと昇華されていく様を見届けた。
レオンは、権左衛門の「パーソナルスペース破壊」という名の濁流に呑み込まれながら、悟った。
マドカの鋭い「狐の目」から真実を隠しているのは、メイの論理でもマルヴェイのハッキングでもない。
この、「真実なんて、おもろければ何でもええねん」と言い切る狸の、あまりに巨大な「業」の肯定。
――それこそが、どんな嘘よりも強固に、現実を上書きしているのだと。
胃の奥で、まだ鈍く熱が燻っている。




