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1魔貨の聖騎士 ― 価値ゼロCEOと悪魔の強制執行監査契約  作者: 暮夜すと
【シーズン2:オスカル最終承認編】Q1

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第95話:『宣戦布告の鉄薔薇 ー 01/26 10:00 執行開始』

第4部:宣戦布告の鉄薔薇(アイアン・ローズ


 一月二十六日 十時


 龍淵の書記官たちが叩き出すタイピング音が、一瞬、暴力的な衝撃音によって掻き消された。


 ガツンッ!


 重厚な執務机の天板に、鈍い金属音を立てて「真紅のアイアン・ローズ」が叩きつけられた。その衝撃で、レオンが命綱のように握っていたリンゴジュースの瓶が、机上で小さく跳ねる。


「……レオン。昨夜の『宣戦布告』、しかと受け取ったぜ。大西洋の第7艦隊は既に展開済みだ」


 分厚い鉄紺の制服に勲章の束をジャラジャラと鳴らし、不敵な笑みを浮かべて立っていたのは、新大陸合衆国(USF)の提督ハミルトン・ヴェインだった。

 彼は部屋をゆっくりと見渡し、わずかに鼻を鳴らして吐き捨てる。


「……で、何だ? そのマオカラーの坊や(マルコス)と、縛られた愛人マルヴェイとの……不潔なパーティーの最中か?」


 レオンは、喉元まで迫る胃酸とニンニクの逆流を、鉄の意志で飲み下した。

 声を出せば、何かが決壊する。


「……提督。……随分と、……気の早い……挨拶だな」


「ああ、俺は短気でな。

 エルフの悠久な時間感覚に付き合ってると、寿命が来ちまう」


 龍淵の書記官たちはハミルトンの部下たちに押し出され、肩と肩をぶつけ合いながら後退し、やがて入口付近に「肉の壁」が形成される。


 ハミルトンはスチール・ブルーの瞳を細め、レオンの喉元数センチにあるアイアン・ローズの棘を弄んだ。


 ――その手が、わずかに止まる。


 彼はマルコスのように魔導スキャンなどは使わない。代わりに、数多の経済戦場を潜り抜けた野性の「鼻」を、ゆっくりと働かせた。


「……おい、レオン。この部屋……焦げた『脂』の匂いがしねえか?」


 レオンの背筋に、氷柱が突き刺さる。


「硝煙の匂いじゃねえ。もっと下卑た……重油とニンニクを混ぜて煮詰めたような、戦場の炊き出しの匂いだ。

 ……お前、何を喰った?」


「……っ」


 提督の野蛮な嗅覚が、メイの法理も、レオンのポーカーフェイスも飛び越えて、真実の「どんぶり」の底を覗き込もうとしていた。

 だが、その窮地を救ったのは、あろうことか――「敵」であるはずの龍淵の若き監査官だった。


「――提督! 失礼なことを言わないでください!」


 マルコスが、血を吐くような悲痛な声を上げて間に割り込んだ。

 黒髪を乱し、翡翠の瞳を限界まで発光させて、ハミルトンの分厚い胸板を真正面から睨みつける。


「これはCEOによる『高潔なサンプリング』の熱量パケットです!

 貴国の粗野な鼻で、この神聖な登記作業を――汚さないでいただきたい!」


 マルコスは必死だった。

 隣で縛られている憧れの兄が、実は「重油とニンニクの匂い」を分析しているなどという野蛮な指摘を、自らの誇りにかけても「真実」として認めるわけにはいかなかった。


「……あぁん? サンプリングだぁ?」


 ハミルトンの低い声に、わずかな嘲りが混じる。


「そうです!

 兄……マルヴェイCISOは今、CEOがその身に受けた『大衆の欲望』を、命を削って演算している最中なのです。

 それを……戦場の炊き出しなどと――恥を知りなさい!」


 マルコスは震える手でマルヴェイの椅子に寄り添い、その身体を庇うように一歩前に出る。

 盾となってハミルトンを牽制するその姿は、真実を隠蔽する共犯者というより、もはや「聖域を汚す異教徒を拒絶する信者」のそれだった。


(……マルコス、……よく言った。

 ……お前のその『重すぎるブラコン』が、……今、……世界を救っているぞ……!)


 レオンは全霊の「憂いを帯びた慈愛」を顔に貼り付け、震える両手を握り直す。


「……提督。

 ……龍淵の監査官が、……そう言っている。

 ……これ以上の……無礼な詮索は、……我が国に対する……宣戦布告と……見なすが?」


 ハミルトンは、必死な顔のマルコスと、冷徹な仮面の下で脂汗を流すレオン、そして縛られたまま愉しそうに自分を見上げるマルヴェイを、ゆっくりと交互に見た。


 ―― 一瞬だけ、沈黙が落ちる。


 ハミルトンは鉄鋼の薔薇を、レオンの喉元に触れる寸前で這わせた。


「……おい、レオン。エルフの御託は聞き飽きた。

 その氷のツラ、今すぐここで『ゲロ』っちまえば楽になるぜ? 俺が介錯してやる。

 ……ドルの暴落を、ただの食あたりで済ませるほど俺は甘くねえ」


 冷たい棘が、皮膚すれすれをなぞる。

 レオンは、息を止めた。――そのまま、時間が一瞬だけ凍りつく。


 ハミルトンが鉄鋼の薔薇を振り上げ、執務机を叩き割らんとした、その瞬間――。


「……提督。その一打、私の『管理物』への宣戦布告と見なします」


 執務室の照明が、一瞬で氷点下の色に変わった。


 音が、消える。


 ハミルトンの振り上げた右腕に、床から伸びたヴァルプスの影が、物理的な質力を持って絡みつく。

 それは影というより、実体化した「虚無」の鎖だった。


 ――止まっている。


 ハミルトンが驚愕し、腕を引き抜こうとする。だが、一ミリも動かない。

 ヴァルプスはレオンの背後に立ったまま、感情の消えた赤い瞳で提督を見据えた。


「……現在、CEOの心拍数はニンニクの刺激により……失礼、世界経済の重圧により、極めて不安定です。

 あなたのその粗野な金属音が、レオンの鼓動をあと一度でも乱すなら」


 ヴァルプスの影が、ハミルトンの勲章まみれの胸元を、心臓を掴むかのようにゆっくりと這い上がる。


「……貴国の大西洋艦隊、全32艦の機関室に、ボクの影を沈めます。

 ……人とは、酸素のない海底で『自由』を叫べるのでしょうか?」


「……っ、貴様……!」


 ハミルトンのスチール・ブルーの瞳が、初めて本能的な恐怖に揺れた。

 ――ほんの僅かに、呼吸が乱れる。


 目の前の大男は秘書ではない。

「レオンの鼓動一つすら、自分の許可なく乱されることを許さない」という、狂気的な所有欲の化身。


 横でそれを見ていたマルコスが、思わずモノクルで彼を覗こうとした。

 龍淵の精密なモノクルが、ヴァルプスの体内をスキャンしようとした瞬間、ノイズで真っ白になる。


(……なんだこの、……太陽を丸呑みしたような……異常な熱量ログは……!

 この不気味な守護……兄さんはこんな連中に囲まれて……!?)


 メイは微動だにせず発言する。


「提督、今のは正当防衛です。……さて、アイアン・ローズを下げていただけますか?

 CEOに傷がつくと、修繕費を『バレット・ドル』で請求することになります」


 ハミルトンは、自身の心臓を狙うヴァルプスの影を真っ向から見据えたまま、笑った。

 握りしめた金属の枝が彼の掌を裂き、鮮血が滴る。

 それでも、彼は眉ひとつ動かさない。


「……レオン。今日のところは、その化け物じみた執着心に免じて、ドル(弾丸)は引っ込めてやる。

 ……だがな、忘れるな。世界は『脂ぎった沈黙』なんて長くは待っちゃくれない。

 明日の市場が開く鐘の音までに、その腹の中にある『何か』を、完璧な宝石に磨き上げて表に出てこい」


 ハミルトンは滴る血を、勲章まみれの軍服で無造作に拭うと、背を向けた。


「……サヴァスの坊や。兄貴の不敬なツラを拝み続けたいなら、精々そのモノクルで、CEOの『メルトダウン』を特等席で見守ってな。

 ……あばよ、救世主様。……次は戦場で、本物の『毒』を酌み交わそうぜ」


 ジャラジャラと勲章の音を響かせ、提督は一度も振り返らずに執務室を去った。


 扉が閉まる。


 ――数瞬遅れて、ヴァルプスの影がスゥッと床に沈んだ。


 まるで最初から何もなかったかのように、室内に「静寂」だけが残る。

 誰も、すぐには動けなかった。


「……行きましたね。USFの損害賠償請求リストからは、今の提督の『流血』は外しておきます。

 ……CEO、今のうちにラウンジで休憩を。次の会談は三十分後です」


 メイの言葉に、レオンはわずかに頷いて立ち上がる。

 ヴァルプスに支えられて出ていくレオンの姿を見送って、メイは無感動に事務処理を始めた。


 執務室の扉を締めながら、レオンはマルコスにだけ聞こえる声で囁く。


「……マルコス。……そのファイルは……一生、……誰にも、見せるな。

 ……それは、世界が見ていいものじゃない」



--



 ハミルトンが去り、執務室にはマルヴェイとマルコス、メイだけが残された。


 先ほどまで張り詰めていた空気が、嘘のように緩んでいる。

 だがその静けさは、どこか現実感を欠いていた。


 マルコスはふらふらと、縛られたままのマルヴェイの足元へ歩み寄った。


「……兄さん。さっきの登記ログの書き換え、本国のセンターでバレたら、私は……即座に『未定義の反逆者』として再登記デリートされますよ」


 マルコスは膝をつき、落とした銀のモノクルを官服の袖で丁寧に拭く。

 その手は、まだ提督の威圧の余韻を引きずるように、微かに震えていた。


「ふふ、マルコス。君なら『愛ゆえの誤植』として、台帳の一ページくらい容易く破り捨てられるだろう?

 昔、私のテストの点数を改ざんして、おじさんに叱られた時のようにね」


「……あれは、兄さんの満点という『完璧な美』に、一点のケアレスミスも許せなかったからです……!

 今だって同じですよ。兄さんが……ニンニクの残滓を『聖痕』だなんて……」


 マルコスは顔を上げ、潤んだ翡翠の瞳でマルヴェイを見つめる。


 その視線は、監査官の鋭さではなく、数百年前に「魔導計算」を教えてもらっていた幼いエルフのそれに戻っていた。


「……どうして、エルフの寿命を……サヴァスの叡智を、こんな『腹を壊したCEO』の排熱に捧げているんですか。

 本国(龍淵)に帰れば、あなたは今だって至高の書記官として、王の隣に座れるはずなのに」


 ほんの一瞬、沈黙が落ちる。


「……退屈なんだよ、マルコス。

 龍淵の台帳ログは、未来が全て決まっている。でも、ここ(レオンの隣)は違う。

 ……一分後に何が起きるか、……次に彼が何を食べて、どんな『地獄』を吐き出すか、

 ……それを見届けるのが、今の私の最高の贅沢なんだ」


 マルヴェイは、拘束された腕で不自由そうにマルコスの頬を撫で、満足げに目を細めた。


「君も、……そのモノクルで、もっと深く覗いてごらん。

 ……レオンの胃痛は、もはや芸術だ。……サヴァスの血が、……悦びに震えるよ?」


「……兄さん。やっぱり、……あなたは、……どこか壊れてしまった……」


 マルコスは項垂れる。


 ――だが。


 その指先は無意識に、マルヴェイの足元に落ちた「割り箸の残骸」を拾い上げていた。


 ほんの一瞬、ためらう。


 だが次の瞬間には、何事もなかったかのように、神聖な魔導ファイルへとそっと隠蔽アーカイブしていた。


 ――それが何であったのかを、考えないまま。



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