リピーター医師(市民病院・無雑医師の記録)
二次救急の市中病院という場所は、昼と夜でまるで顔が違う。日中は検査や外来診療で忙しさが見える一方、夜になると廊下は静まり返り、足音やナースコールの音が際立つ。その夜の緊張感を背負うのが、当直医の役目だった。
この病院では外科と内科が一人ずつの当直体制。その中で、毎週金曜夜に必ず現れるのがR医師だった。40代半ば、内科系専門医でありながら常勤先を持たず、複数の病院で外来や当直のバイトを繰り返す生活を送っている。
R医師は一見穏やかな人柄で、声を荒げることも少ない。しかし診療は遅く、判断も曖昧で、処置の手際もお世辞にも良いとは言えなかった。
とくに急変対応は苦手らしく、スタッフは「R先生の夜は少し不安」と陰でささやく。それでも病院側は何故か契約を切らず、彼は毎週同じ時間に現れ続けた。
ある金曜の深夜、ナースステーションの静けさを破るように緊急コールが鳴った。
「8階、急変! 心停止!」
内科病棟の急変に駆けつけたR医師は、患者の胸骨圧迫を始めていた。しかしそれ以外の動きがない。気道確保も、薬剤投与の指示も出さない。
私は別病棟での処置を終えて到着し、胸骨圧迫を一時中断させた。モニターを一目見て心室細動だと判断。直ちに除細動を指示した。数分後、モニターに心拍が戻った。
「R先生、心室細動とわかったら、まず除細動です。」
と私は言った。
R医師は
「ええ、わかりました」
と短く答えたが、その声に自信はなかった。
数週間後、再びR医師の当直日。深夜、別の病棟から急変コールが入った。
R医師が現場に着くと、患者は意識があり、「寒い」と震えている。体温計は39.2℃。呼吸はやや速いが会話は可能。モニターは震えのせいで基線が揺れ、波形は乱れていた。
私は現場にいなかったが、後に看護師から聞いた話によれば、R医師はモニターを一瞥し、「除細動の準備を!」と声を上げたという。
看護師は「先生、意識ありますけど?」と制止。
しかし彼は「心室細動の波形が出ています、早く!」と譲らず、パドルを手に取り充電を始めようとした。
看護師は必死に腕を掴み、「本当に心臓が止まります! やめてください!」と叫んだ。
騒ぎを聞きつけた他病棟のスタッフも駆けつけ、混乱の末に何とか事態は収まった。
翌朝、私が出勤すると、看護師や看護部長が待ち構えていた。「無雑先生が悪いわけではないのですが……昨夜R先生が意識のある患者さんに除細動しようとして、大騒ぎでした。」
私は言葉を失った。感染症の熱で震えていた患者を、心室細動と誤認して除細動しようとした——そんな危険な判断を下す医師が、今も当直を続けている現実に、ただ呆れるしかなかった。
「なんで、あの医師をまだ雇っているのだろう?」
それが正直な感想だった。
その後もR医師は変わらず金曜の夜に現れた。急変がない夜は平穏だが、スタッフは常に不安を抱えていた。経験豊富な看護師たちは、彼の判断に頼らず、自ら動き、必要に応じて他科の医師を呼ぶ体制を密かに整えていた。
廊下の空気が重くなるのは、R医師が病院に入ってきた時だけではなかった。彼の後ろ姿を見送りながら、私は何度も考えた——本当にこの人を置き続けていいのか、と。
「リピーター医師」というあだ名が院内で広まったのは、この頃だった。毎週現れるその存在は、慣れと諦め、そして恐怖の象徴のようだった。医療現場の怖さは、幽霊ではなく、生身の人間の中にも潜んでいる——そう思い知らされた経験だった。
笑い話みたいですが、ある意味本当に怖い話です。




