第3章*「注文の多い料理店」その3
『洋食 山猫亭』
それは他の食事処から、少し離れた所に建っていた。
いかにも洋食屋と言わんばかりのレンガ作りの小さな店だ。
屋根は鮮やかな朱色で、無数の小さな煙突から煙が上がっている。
それを囲むように木が生い茂り、正面以外の周囲は外壁さえわからない。
正面扉の両端に小さな洋風窓が備えられているが、レースのカーテンが掛かっており店内の様子は見えなかった。
ただ、扉の取手にかかった「open」という平板が営業中の意を表していた。
「入ってみましょう」
扉を押すと、カラランとドアベルが響いた。
店内は橙色のランプの光で照らされているが、ほんのり暗い。
客は誰もいないようだ。
時間が時間であるから仕方ないだろう。
全体的に縦長の印象で外から見たよりも広かった。奥に厨房があるようだが、ほの暗い洞穴の中にいるようで端までは見渡せない。
「いらっしゃいませ」
ここのコックなのだろう。
白い調理服に身を纏った一人の男が現れた。
コック帽をしているものの、その頭がはげ上がっているのがわかった。白いエプロンを腰より低い位置に巻いているため、恰幅のいいその腹が乗っかっている。
「お好きな席へどうぞ」
にんまりと笑う頬と鼻は赤かった。
男が引っ込んでいくと、椿達一行は店の中央の丸テーブルに腰を下ろした。
落ち着いて座った頃には、目が大分慣れたようで店の中の様子がわかるようになっていた。
壁や窓際に、数多くの小物が飾ってある。
それは一目見て、異国のものだとわかった。
あらゆる動物の置物、銅製の壷。まじないにでも使いそうな色とりどりの面など。それらが、数え切れないほど並んでいるのだ。
その中でも一番目立っていたのは、人の顔よりも大きな木彫りの猫の面だった。
目はかっと見開かれ、裂けた口から牙が剥き出している。猫というより、化け猫といった表現が正しいだろう。
そんな化け猫の顔が、なんと2体もあり4つの目がこちらを睨んでいる。「千客万来」の招き猫とは逆に、まるで来た者を威嚇しているようだ。あるいは、料理を出すとは逆に、客を食べてしまうような……そんな気迫溢れた形相なのである。
可愛らしい店の外観とは裏腹に、店内は独特な雰囲気を醸し出していた。
「どうぞ」
男が水とメニュー表を持って戻ってきた。
「ライスカレーがありますね」
メニューを開いた政治郎が声を弾ませた。
当時、陸軍幼年生徒隊の給食として食べられていたが、カレー粉はイギリス輸入の高価なものだった。
ライスカレーが一般の食堂に普及するのは明治30年年代以降であるため、なかなか珍しい。
そんな中、この店の料金は良心的なようだ。
「私が好きでしてね。外国から香辛料を取り寄せているんですよ」
男は肉付きのいい頬を上下させ、にまにまと笑った。
なるほど、店内の外国製の調度品も、この男の趣味というわけか。
メニューには、コーヒーや紅茶も載っている。
これらの飲み物も市民に普及するのは、ずっと後である。コーヒー豆や茶葉は大変高級のため、『ちょっと一息』と楽しむことは出来なかった。
よって、それなりの代金がメニューには記されている。
「では、ライスカレーを」
色がそう言うと、椿と政治郎も同じ物を注文した。
早い晩餐を終え、3人は一息着いた。
そろそろ、世間では終業時間になるだろう。
「日も落ちてきましたわね」
椿は窓際に行くと、顔をガラス戸に近づけて外を覗いた。
そのとき、窓枠に置いてあった馬と像の小さな木彫りの置物をひょいっと持ち上げ、あらためたことに誰も気づかなかった。




