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第2章*「山月記」その3



「木屑ですか?」

政治郎は白い手ぬぐいに包まれた、わずかな木の屑を見つめる。


「ええ、昨夜の『あの場所』で見つけました」


『あの場所』とは、布切れが落ちていた街角だ。桜子は今朝、再び赴いたという。昨夜の暗い中で目に入らなかったのは無理もないだろう。

しかし、この木屑がどのような意味をなすのかは政治郎にはわからなかった。




二人がやってきたのは、蔵前の某所。


「ここは…建設作業場?」


政治郎は作りかけの建物を見上げた。

職人達が夏の暑い中、汗をかきながら機敏に働いている。建物の高い所では、骨組みがむき出した木の梁の上を軽快に歩き回っている姿は圧巻だ。



「もし。お忙しいところ、大変申し訳ありません」

桜子が職人の一人に声を掛けた。


「なんだ?」

声を掛けられた中年の男は、首に巻いた手ぬぐいで顔の汗を拭った。


「棟梁さんにお会いしたいのです」

「それなら俺だが、あんた達は?」


男は、老人と若者の組み合わせに何の不審も抱いていないようだ。


「わたくし、岩田興信所の松平と申します」

「興信所?」


男は訝しげな表情を浮かべる。


「ええ、近頃この界隈を騒がせている『虎出没事件』について、お話をお聞きしたいのです」


相手の顔に嫌悪の色が見える。


「忙しいんだ、他を当たってくれ」

男はさも忌々しいとばかりに厄介払いをした。



「この布の一端は…こちらのものでございますね?」

桜子は間髪入れず、例の拾った天竺木綿の布切れを見せた。



「なんだ、このボロ布は」

「昨夜、虎が出没した現場に落ちていたものです」


男はそれを聞くと何かに気が付いたのか、すぐに表情を変えた。

「とにかく…そんなもんは知らねえよ。さあ、帰った帰った」


桜子は口を開く。

「こちらの布に付着している土は、赤土です」

「赤土?」

政治郎は「土」とだけ認識していたため、そこまで見通すことは出来なかった。


「赤土が何だってんだ」

男は歯をぐっと食いしばった。


「東京の土地は表面に出ているのは黒土ですが、少し掘ると赤土です。落ちていたこの天竺木綿に付いていたのは、赤土の汚れかと思われました。では、赤土が付着するこの生地は?天竺木綿を使って作られるものは?そう考えたとき、半纏(はんてん)が浮かんだのです」


「半纏?」

政治郎は瞬きをした。この淡褐色のボロ布が半纏だとは思いもしなかった。



「ええ。では、半纏を着て土が付着する可能性がある職業は何でしょうか?」


「……大工職人や鳶?」

政治郎は周りの職人達に目をやった。


「蔵前や馬喰町、その周辺で、今現在建築作業を行っているのは石澤組・中林組・福嶋組の3つです。しかし、中林組や福嶋組の半纏は黒や紺に染められていました」


石澤組は、目を引く純白の白である。


「この拾った天竺木綿は汚れている上に切れ端ですが、一端に一部絵柄も見えます」

桜子は続ける。

「石澤組様の半纏に施された『青海波(せいがいは)』模様ではないでしょうか。」


男や職人達が着た半纏には、半円形を三重に重ね「波」のようなものを反復させた「青海波」が描かれている。男の顔色が心なしか悪くなったようだ。


「この布は、元は白色なのですね」

淡褐色のそれを見て、思わず政治郎は声を漏らす。白色が土汚れで染まっていたのだ。


桜子は頷くと話を続けた。

「そして…虎が闇夜に消える際、壁に何かが衝突する音が聞こえました。そのとき『あるもの』から、この切れ端が落ちたのです」


男が口を挟もうとした瞬間、桜子は袂から白い手ぬぐいを出した。それの中身を見るよう相手に促す。


「ただの木の屑じゃねえか」

男はふんっと鼻から息を吐く。額には先ほどより汗が浮かんでいる。


「この木屑は『あるもの』が外壁にぶつかった時分に落ちたと推測しています」


桜子は刹那、間をあけた。


「『あるもの』は木で作られたもので、ございますね?」


男の表情から血の気がひく。


「もちろん、『あるもの』とは」

桜子が最後の言葉を言おうとしたとき。


「わかった、わかった…!」

男は観念したとばかり、掌をこちらに向け制止する。


「きちんと、お話しします…」

今までとは違った態度で、桜子や政治郎に頭を下げた。







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