ならべたくない
「巫女さん!」
霊夢が悪夢にうなされている声を聞いた現は、彼女の寝室の障子を躊躇いなく開け放った。
「巫女さん!だいじょう——」
「来ないで!」
「えっ…?」
手を伸ばした先。
ゆらりと立ち上がった彼女の体からは、普段彼女が纏うことの無い大量の黒色の”妖気”があふれ出ていた。
最近多発していた原因不明の異変の共通点。
それは、異変を解決した後に残る、奇妙な存在感を放つ残滓だった。
その気配によく似た奔流が、霊夢の体からとめどなく噴き出していた。
「ねぇ、大丈夫?」
「来るなって言ってるでしょうが!人間もどきの人外が!!」
彼女がそう叫んだ瞬間。
彼女の体のから弾けでるように、黒と紫色の光弾が、これでもかと飛び出した。
「ちょっと、また⁉…”臨む兵、闘う者、皆陣連ねて前に在り”――榊白鏡・捌式!」
現は自身の体を犠牲に白い葉の防御陣を作ると、右手を霊夢の方に目一杯に伸ばした。
だが、あと数センチというところでどうしても、彼女の纏う黒の障壁に弾かれてしまう。
「なんだ、これ……」
「うるさい…うるさいうるさいうるさい!!妖怪も!人間も!幻想郷も!すべてなくなってしまえばいいのよ!!!!……そうすれば、私がこんなに苦労しなく済むのに」
「巫女さん!なんでそんなことを——」
そこまで言って、現は口をつぐんだ。
霊夢の顔に浮かぶ、いつかみた老婆のような、凶悪な笑み。
その茶色の瞳からは、止まることの無い涙が流れていた。
「…少しだけ待ってて。絶対に助けるから」
障子を閉めて外に出ると、現は社のすべての入り口に札を張った。
もしも彼女が出ることがあれば、多くの妖怪や人間を混乱させてしまうことになる。
信頼していたものがなくなったときの生き物の脆さを、没落した家族の様子を見てきた彼はよくわかっていた。
「……まずはあの人、か」
翌日。
明るみ始めた空を飛び妖怪の樹海につくと、彼の周りに浮かぶ3枚のお札を明かり代わりに進んでいく。
その歩みの先にいたのは、緑の髪を胸の前で束ね、赤い服を翻す少女――厄神・鍵山雛だった。
「お久しぶりです。雛さん」
「えっ!、ええ…久しぶりね」
現が声をかけた途端、彼女の肩がおびえるように震えた。
その理由を、彼は理解していた。
「……巫女さんが乗っ取られました」
「――!」
「安心してください。彼女の体から追い出すだけですよ」
「なら、何でわざわざわたしのところに来たの?……紫と同じように、私の責めるの?」
「責めるつもりはこれぽっちもありませんよ。前までは別でしたが……いまは、その気持ちもわかります」
「……」
「鍵山さんには、僕が”彼”を巫女さんの体から追い払った後、その居場所を探してほしいんです」
「…私じゃなくてもいいんじゃないの?」
「知られたいですか?」
「…………そうね。わかったわ」
「お願いします」
彼はそういうと、朝焼けの空に勢いよく飛びあがった。
妖怪の樹海から飛んで、小一時間。
急いで交流のあった八雲藍に連絡を取った甲斐あり、博麗神社の前には、八雲 紫、摩多羅 隠岐奈、茨木 華扇の三人の賢者が集っていた。
「霊夢が乗っ取られたと、藍から聞いたのだけれど」
「はい。乗っ取られましたよ?」
あまりにも軽く答えた現に、紫の後ろに控えていた隠岐奈と華扇はけげんな顔を向けた。
「博麗の巫女、ひいては幻想郷の危機だというのに、ずいぶんと余裕をかましているのだな?」
「そうよ。まさか、貴方の自作自演じゃないでしょうね?」
「自作自演ならわざわざ呼びませんよ。………そういうふりでもしてないと、焦ってしまいそうなので」
現の打って変わった真面目な態度に、今度は紫がけげんな顔をした。
「さっきも思ったけど、あなた、そんな話し方できたのね」
「……どれが自分かは、自分で決めるつもりですので」
「そ。で?」
紫が話を投げると、現は社の方を見て言った。
「彼女に取り付いている妖魔は、少々特殊でして……皆さんが持っている霊力や妖力は効きません」
「なぜそう言えるのだ?」
「巫女さんが抵抗できていないのが何よりの証拠です」
「…まぁ、もしそのあたりが聞くなら、霊夢がとっくに祓っているでしょうしね」
「皆さんもご存じの通り、僕は少し特殊な存在です。今、社の扉を封じているのは僕の霊力を込めた札です。おそらくですが、僕の霊力は、巫女さんの中に巣食う妖魔に対抗できるんだと思います」
「……話が読めないわね」
「お三方には、僕が奴を巫女さんの体から追いやる間、博麗神社から霊力が出ないようにしてほしいんです。ここの空間以外に僕らの霊力が出てしまえば、何が起こるかわかりません」
「おかしな異変が起こる可能性もあるものね」
「…まぁ、それで何とかなるのなら。是としよう」
「私もそれでいいわよ。役回りがどうとか言ってられないしね」
「…わかったわ。私もそうする」
「ありがとうございます」
三人に頭を下げ、現は社のほうに歩いていく。
「そろそろ限界か」
彼がどうつぶやいた刹那。
今まで固く閉ざされていた神社の扉が、勢いよく蹴破られた。
「お願いします!」
紫たちが張った結界の先が地面につくのと、ほぼ同時。
現は榊白鏡・捌式を展開し、砂煙の中から放たれた数千を超える光弾を弾き始めた。
視線の先。
砂煙から現れた霊夢は、ずいぶんと様子が違っていた。
血の気が引いたような色の肌。うつろに開かれた茶色い瞳。
悪夢を見せられている間に、体を乗っ取られたのだろう。
彼女の纏う衣服は、普段彼女が来ている巫女服ではなく、純白の寝巻だった。
「変な気を起こすなよ?陰陽師」
「それどころじゃないのわかってますよね⁉」
隠岐奈の軽口に応える程度の余裕はあっても、このまま耐え続ける自信はなかった。
何処までも彼を追い続ける幾万もの光弾と、それを弾く何枚もの白い葉。
互いが擦れ、激突するたびに、水色や紫色の火花が飛び散り、虚空に消えていく。
霊夢がお祓い棒を振るうたびにその勢いは強まり、その都度に、現の移動は制限されていった。
たったいま霊夢が出しているのは、もともとこの幻想郷内の物ではない力を、無理やりスペルカードに似たものとして凝縮している攻撃。
それはいわば、自然に生える樹木に、高濃度に圧縮した農薬をかけるのに等しかった。
そして、そんな攻撃に長時間耐え続けることができるほど、彼の霊力は強くない。
前提として、彼の纏う炎が燃え広がった部分については、しっかりと燃えている痛みがある。多少軽くなっているといえど、これ以上それに耐え続けるなど不可能だった。
札は戦闘態勢を解除しない限り元に戻ることはない。
もうすでに半日その痛みを味わい続けている現は、集中力すら途切れてきていた。
「……もう一つ、使うしかないか」
一度離れ、砂煙に紛れて視線をきる現。
地面に降り立った先で、彼は両掌を合わせた。
「ごめんなさい、妖怪の皆さん。ごめんなさい、亡霊の皆さん」
彼がひとつひとつの言葉を紡ぐごとに、彼の周りに、あたりに漂っていた霊力が集まっていく。
「ごめんなさい、人間の皆さん。ごめんなさい、すべての生きとし生ける皆さん」
空中に浮かぶ二枚の札が、少しずつ速度を上げながら、彼の体の周りを回転し始める。
集まった霊力が、一つの竜巻のように彼の体を包み込む。
「僕は今まで、すべての命は平等に扱うべきだと言ってきました。それは今でも変わってません。変える気も、変わる気もありません。…でも――」
札に書かれる文字が目に見えないほどの回転速度まで達したとき。
現の顔と右腕を残して、他すべての部分を覆っていた水色の炎が、空気を得たように激しく立ち上った。
「巫女さん。いや、霊夢。君だけは、他の命と同じ場所に並べたくない!!」
一拍。
彼の纏う炎が、透き通るような水色の炎が、禍々しい色に変色し、彼の纏う白の狩衣は、炎の変化に合わせて黒く染まっていく。
そして、彼の周りに漂う札の文字が、一瞬にして書き換わった。
「一つの命に加担せよ——傾命独立!」
その姿を認めた霊夢が光弾を再び飛ばした瞬間、先ほどから周りを舞っていた白色の葉が黒色に変わり、一つの竜巻となって相殺した。
「なんなの?その姿」
「知りませんよ。僕だってこんなの初めてですし。さっきのは札に書いてあることを読んだだけですし」
紫に聞かれて、肩をすくめる現。
彼は一枚の札をつかむと、ゆっくりと空中に投げた。
「でも、強いて言うなら——」
「「「?」」」
「すこしだけ自己中になったバツですかね」
彼は悪戯っぽい笑顔を浮かべた後、浮かべた札と霊夢に視線を戻す。
両手をゆっくりと広げ、手のひらを下に向ける。
「”臨む兵、闘う者、皆陣連ねて前へ行け”――樒黒刺・肆式!!」
札が燃えた、一刹那。
彼の体が纏っていた白い榊の波動が黒い樒に変化し、両掌の下から、黒色の植物の蔓が飛び出した。
その蔓は霊夢の体をすさまじい速度で包み込み、彼女の体の中に入り込む。
そして現が手を正面で合わせた瞬間。
霊夢の体の中から、紫と黒の球体のようなものが出現し、瞬く間にどこかへと去っていった。
「おっと——!」
いつもの姿に戻った現は、巣食っていた妖魔が抜け、体に力が入らない霊夢を左手で支えた。
「大丈夫?」
「――たいね」
「ん?」
「……人間みたいね。あんたの手」
「そう?」
「ええ。……他の妖魔なんかも、そうなのかもしれないわね」
戦闘が終わったため炎はとっくに引いているが、現の左手には、いつもの青い炎が渦巻いていた。
「……あんたと出会ったばっかりだったら、言わなかったかもね」
「…怖くないの?」
「妖魔に乗っ取られたのは怖いけど……助けてくれたのも、妖魔の類なわけだしね」
ぐったりと現に体を預けて目を閉じる霊夢。
その背中を撫でつつ、彼は何を見るでもなく、平穏を取り戻した神社から見る空を見上げるのだった。




