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西の空を仰いだ。


「北だ」


短く、地名を告げることのない答え。


「朝が来る前に、霧を抜けたい場所がある。……君と同じさ。行けるところまで行く」


「お礼がしたい」


香が言う。


男が驚いたように眉を上げる。 香自身も、なぜそんな言葉が出たのか分からなかった。 けれど、止められなかった。

この人となら、顔色を読まなくていい。


男はしばらく黙っていた。


夜明け前のパーキングエリア。遠くで大型トラックのエアブレーキが低く鳴り、自販機のモーター音だけが静かに空気を震わせている。


香は、自分でも不思議だった。


これまでなら、人に踏み込むことなんて避けてきた。誰かと距離が近づけば、必ず「何を求められているのか」を探し始めてしまうからだ。


けれど今、目の前にいるこの男には、それを感じない。


男はヘルメットをハーレーのシートに置き、煙草の箱をポケットへしまった。


「礼なんて、缶コーヒー一つで十分だ」

低い声だった。


香は少しだけ口元を緩めた。


「安い命だな」

「高く売る気もない」


その返しが妙に可笑しくて、香は短く息を漏らした。笑った、というより、身体の奥に溜まっていた緊張がほどけた音に近かった。

二人は並んで自販機の前に立つ。


香はブラック、男も同じ缶を押した。

ガコン、と缶が落ちる。


「大型、長いのか」

男が缶を開けながら訊く。


「ロングに変わって、まだ一年ちょい」

「若いな」

「そっちは?」

「気づいたら30年だ」


香は思わず男の横顔を見た。


レザージャケットの肩は擦り切れ、グローブには古い革特有の艶がある。長い距離を走ってきた人間だけが持つ、乾いた空気があった。


「……怖くないの」

「何が」

「ずっと一人で走るの」


男は少し考えるように視線を落とした。


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