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左右から迫る漆黒の山影が、まるで巨大な怪物の顎のように、大型トラックの行く手を阻んでいる。
長野を抜けてから約一時間半、香はひたすらこの深い暗闇の中を走り続けていた。
今夜の空には、薄刃のように研ぎ澄まされた三日月が、申し訳程度に引っかかっているだけだった。
満月の夜のような青白い救いはどこにもない。遮るもののない山間のハイウェイを照らすのは、自車のLEDヘッドライトが切り裂く白い光の帯と、等間隔に配置されたオレンジ色のナトリウムランプだけだ。
光の届かないガードレールの向こう側は、底の知れない完全な無の世界が広がっている。
カーブを曲がるたびに、重たいディーゼルエンジンが唸りを上げ、十トンの車体がわずかに傾く。視界に入るのは、ただ延々と続くアスファルトと、闇に沈んだ木々の輪郭だけ。
民家の灯りも、対向車のライトすらも途絶えた、世界にたった一人取り残されたかのような、圧倒的な孤独の空間。
変化のない景色と、エンジンが刻む重低音の振動が、徐々に彼女の感覚を麻痺させていく。
深夜3時。
魔の時間帯がやってきた。 フロントガラスの向こう、延々と続く追い越し車線の白線が、まるで催眠術の振り子のように一定のリズムで視界を流れていく。
「……ふっ、……うっ」
香は込み上げてくるあくびを、喉の奥で強引に噛み殺した。
目尻に滲んだ涙を指先で拭うが、瞼は鉛のように重い。意識の端が、ふとした瞬間にふっと暗闇へ引きずり込まれそうになる。
脳が、眠りに落ちたがっている。香は大きく深呼吸をし、肺いっぱいにキャビンの乾燥した空気を吸い込んだ。
それから、ホルダーに置いてあった冷めたブラックコーヒーを口に含む。
カフェインの苦味が舌を刺激するが、その覚醒効果すら、今の猛烈な睡魔の前では砂漠に撒いた一滴の水に過ぎない。
(だめだ……重い……)




