76ページ目 幸せの決めつけ
日が沈みきった頃。
ウィスの実家であるレミティ家の邸宅へと招かれたコノハは、入って早々大歓迎を受けた。
「コノハ様! すっかり大人びたお姿になられまして……!」
「おかえりなさいませ」
使用人達に次々と取り囲まれる。だがコノハは軽く笑いかけたり、小さく会釈して通り過ぎる。
その様子を見ていたウィスの不安も大きくなっていたが、ここでそれを問ても答えて貰えないことは分かっていた。
長い長い廊下を進んでいき、突き当たりの扉を開ける。中から眩しい光が漏れ、様子が明らかになった。
様々な料理が並べられたテーブルが複数並び、中には数人の高貴な装いをした者達がおり、その数倍の人数の使用人達がいまだに料理を並べていた。
するとその中から、1人の男がコノハとウィスに歩み寄る。
「ウィス、それに……コノハちゃん、会うのは久しぶりだね」
「はい、ユーシ叔父様」
ユーシ・レミティ。この里の領主、ウィスの兄、そしてコノハの叔父である。
「おじさんでいいぞ。でもそうか、もうちゃんと大人なんだものなー。似合ってるよ、その服」
コノハが来ているのはいつもの伝統衣装ではなく、よそ行き用のロングドレス。いつも纏めている髪も下ろし、頭巾ではなく紅い宝石をあしらった髪飾りをつけている。
「兄さん、やけにコノハを可愛がってたもんね。自分の息子に嫉妬されるくらい」
「おかげでハーヴィンから一時期避けられてたからなぁ……そういえば、最近ハーヴィンが戻ったんだよ」
ハーヴィンの単語に、コノハの肩が僅かに震えた。だがそれにウィスとユーシは気づかなかった。
「お、ハーヴィン君帰って来たんだ。……ん? でも何で今になって?」
「領主の後継問題は気にするな、って手紙を飛ばしたんだけど、逆に気を使わせたかな……」
不安げに顔を伏せ、目を泳がせるユーシ。昔、ユーシとコノハに面倒をかけてしまった事を負い目に感じている様子だった。
先代の領主、ユーシの父親は、次代の領主を里の人々の意思で決めるよう言った。だが意見は完全に二分し、それは2人がそれぞれ結婚し、子が生まれてもなお続いていた。
結果的にウィスが里を離れる事で問題は解決したが、未だに問題は収束しきっていない。他家に嫁いで尚、ウィスの事を快く思っていない人々もいる。
「でも、ハーヴィン君ならきっと上手くやってくれるよ」
「なら良いんだが……あ、そうそう。ヒューマンの客人が見えないんだが、何処にいるんだ? お前が目をかけるから、前から気になってはいたんだが……」
「アリウス君? ……あれ、本当だ。もうそろそろ帰って来ても良いと思うんだけど……」
「…………私、見てくる」
コノハはそう言うと、すぐに走って行ってしまった。2人が止める間もなかった。
誰もいない居間に、1人寝転がる。
結局、畑の整備を少しだけして、日が沈むと同時にここへと帰宅した。今度は迷わなかった。本来ならこの後、里の領主に会いに行く事になっていたのだが、とてもそんな余裕は体力的にも、精神的にもなかった。
帰って来た時、ベルクラドは何も問うこともせずに入れてくれた。本当に出来た執事である。
強烈な眠気が襲ってくる。ベッドに移動するのさえ億劫だった。寝返りを打つと、絨毯の感触が頬に伝わる。
と、窓の隙間から漏れていた月明かりが影で遮られた。
見慣れた顔。だが今は、真っ直ぐ見つめることすら難しい、顔。
「コノハ……」
「……なにしてるんですか、こんな所で」
小さく微笑む。
胸が絞めつけられる感覚がアリウスの左胸を襲う。嬉しさと、切なさ。
「綺麗だな」
「月がですか?」
「あぁ」
「…………」
いつもなら、頬をむくれさせるのだろうか。しかしコノハは小さく笑ったまま、こちらを見つめている。
「疲れた……」
「駄目ですよ、こんな所で寝たら。風邪引いちゃいますよ」
するとコノハはかがみ、アリウスの頭を持ち上げた。
そのまま膝に頭が乗せられる。小さく、滑らかな手がアリウスの額を撫でる。
「…………コノハ」
アリウスは自らを撫でる手を押さえ、起き上がる。その視線は依然として、コノハを見ていない。
「何です……?」
「夢を、お前の夢を、もう一度聞かせてくれ」
「……? 人と、ドラゴン達が、共存出来る、世界……」
「幸せは?」
「幸せ…………?」
虚をつかれた様な反応を見せる。なぜ今それを聞いたのか分からない、と言った顔だ。
「一体何の……」
「ハーヴィン……って奴に会った」
「っ!」
その瞬間、コノハの表情が強張る。
「ハーヴィン……!?」
「はっきり言われたよ。俺に関われば、ろくなことにならない。言い返そうとした……でも俺には、何も言えなかった」
「そんな事ない!! そんな事ないよ、だって……!」
「俺は、ずっと、これから先の話をしている」
コノハの肩を掴み、アリウスは語る。震える小さな体を、極力意識しないように。
「俺はいつまでもお前のそばにはいられない。お前ほど長く生きられない。だからずっとコノハの事を見守ってやれる奴が必要なんだ。……その点じゃ、あいつは俺よりも適任かもな」
アリウスは笑った。笑うつもりなど無かった。真剣にこの話を進めるつもりだった。だが痛む心が、まるで現実逃避させるためにそうさせたように、笑っていた。
「ハ、ハーヴィンとは、そんな、関係じゃない……ただの従兄で……」
「そうか? 湖の近くで仲良さそうにしていたが」
「っ!?」
いつもなら照れて紅潮していただろう。
だがコノハの顔は見る間に青ざめていく。知られたくなかった事実。
「見てた……?」
「見るつもりはなかったが……でも安心した」
「安……心……?」
「俺がいなくても、大丈夫だな」
肩から手を放し、アリウスは部屋を出ようとする。服の裾が掴まれる。
「待って! 私は……!!」
「……そうだな。ちゃんと言わなきゃ、だめか」
コノハの頬を両手で包み、自分の額とコノハの額をぴったり合わせた。涙を流す顔が間近に迫る。知らず内にアリウスの眼からも、涙が一筋零れ落ちた。
「俺は、お前を幸せに出来ない。きっとあの時の様に……ネフェルの時の様に……お前を不幸にするから。……大丈夫、少しの間、悲しいだけだ。一生の傷を負うより、ずっといい……」
「賢明な決断だったな」
外に出ると、ハーヴィンが門の前に立っていた。
「…………これでお前は満足なのか?」
「何を勘違いしているのかは知らないが、これがお前にとっての最善策だ。ヒューマンとドラグニティは絶対に共存出来ない。お互い、不幸になるだけだ」
「コノハの夢を、否定する様な言い方だな……」
「夢は叶わないものの方が多い。俺はこの里を出て、世界を見て来た。コノハの夢は一個人が叶えられるようなものじゃない。夢は夢のままでいい。現実に打ち砕かれるよりずっとマシだ」
ハーヴィンの言葉は、正しかった。アリウスにはそれが理解出来る。
強大な力と現実に、目の前で1人の夢と幸せが消えるのを見たから。
「そうだな。お前は正しい」
「理解したなら、早くこの里を離れろ。話は叔母に通してーー」
次の瞬間、ハーヴィンの胸倉が掴みあげられる。
ハーヴィンが一瞬怯むほどの力。黒く歪んだ異形の右腕が袖の隙間から見え、アリウスの目は竜の瞳になっていた。
「正しい事だけが、コノハを救うと勘違いするなよ。所詮は人が決めた正しさだ。人の都合で簡単に歪む」
「……!」
「俺がコノハとの約束を破ったのは、お前にコノハを託したのは、コノハに幸せであって欲しいからだ。……あとは、頼む」
手を放し、アリウスは今度こそ去って行った。
「……コノハと引き離しておくのは、正解だったな」
ドラグニティの直感が告げていた。
アリウスを包む、殺意、悲愴、憤怒の入り混じった魔力の存在を。
続く
次回、ドラグニティズ・ファーム、
「誰が為に」




