体育の日
10月初旬。
「田辺ぇええ!神妙にいたせい!!」
涼しげなブルーの空の下、川原じゅうに発した声が響きわたる。
びしっと指さされた田辺は、片頬が痙攣している。
「すみませんが、市村さん…自分がなんかしました?身に覚えがないのですが。」
私は指をそのままに、ゆらゆらと体をゆらしながら、引きぎみの田辺を睨んだ。
「何か、だと?…そんなの一つしかないだろう…」
「なぜ草野球に入れなかったんだ、お前はぁあああ!」
夏休みが明け。
学生たちは各講義のガイダンスやら先輩の心もとない意見やらを参考に、いつもどおり履修登録を終えると、教授や講師陣の弁舌に耳を傾ける日常が始まった。
そんな中、スポーツの秋だぜ!という部長のお達しにより、我らがサークルで2チームにわかれて競うことになった。私が激しているのは、種目を決めるときのこと。草野球とサッカーで票が割れ、再投票となったところで田辺はサッカーに入れたのだ。
その一票差で、草野球推進派は辛くも敗れ去ることになる…。
キックオフじゃなくて、プレイボールしたかった!
「なぜって。気分?大きい球のほうが、女子のみなさんが参加しやすいかと思って。」
田辺の『気分』という気づかいは、相変わらずだなあ。…などと、和んでやるものか。
「はっはっは!だがその気づかい、無駄骨だったようだな。みろ、女性陣はほとんど応援側だ。」
応援席のほうを示すと、タイミング良くサークルの女の子たちから声援が飛ぶ。
「そっちは指じゃなくて手で示すんだね。」
「レディは丁重に扱わなければならないというのが市村家の家訓でな。」
「あ、そ。」
応援にウインクと手を振りながら返事をしていたら、田辺は応援側から飛んできた黄色い声の数倍低温で返してきた。
いいじゃないか、これくらい。
「市村、大丈夫なの?」
何のことだろう。
しばし考え、思い当たる。
「ああ!この距離なら問題ない。海のひとたちは女豹タイプで、しかも至近距離で迫られたからな~って思い出させるなよ!」
「あっそ。」
ひとに聞いておきながら、やけにそっけない返答じゃないですか、田辺さん。
「ところで市村。」
「なんだ。」
「さっきのって、攻めるほうのセリフじゃないの?市村、守りなのに。」
「うっさい。つべこべいわずに始め――」
「あと市村。」
まだあるのかい。
「な、ん、だ!?」
「口調が変わっていて、びっくり。」
「そっちこそ、いつもはない覇気なんぞまとわりつかせやがって。おかげでこっちのチームは逃げ腰だ。袋の底に残った乾燥わかめのような頭してるくせに、生意気だ!」
「なにその例え。それに、腰が引けているのは市村の口調に驚いているせいじゃないかな。」
ま、いいけど。
そうつぶやいた田辺は、ボールに近づく。
こちらもボールに視線をうつして前かがみになる。
現在の得点は、僅差でこちらの優勢。時間終了の合図まで、あとわずか。
ここで単独フリーキックが決まらなければ田辺のチームは勝てない。
応援も、周りにいる選手も、皆が固唾をのんで見守る中
気まぐれな秋風が吹いた――
結果。
勝ってしまったぜ。
フハハハハ、私の守りを破ろうなど、100年早いわ!
「おっつかれ~田辺!」
「ああ、お疲れ…戻っているし。」
打ち上げは、サッカーをやったところと同じ河川敷でバーベキューである。串刺しにしてこんがり焼けた肉と缶ビールを持って、田辺の隣に座った。
あんなに騒いでいたけれど、応援していたひとたちは寄ってくることはない。あの黄色い声援はその場の雰囲気で盛り上がってくれただけなのだ。彼女たちの脳内はいま、バーベキューの段取りと大量に発生するゴミの分別でほとんどが占められていると思われる。
―肉、うまいねえ。
「口調?だってあれ、エネルギー要るじゃん。」
「…そか。」
「そっちこそ、意外にふつーだね。」
ただのゲームとはいえ、負けたのだから多少悔しがってもいいのではないだろうか。部長なんて、さっきから地団太踏んだり、同じチームだった人にくだ巻いたりしているくらいなのに。…まあ彼は、チーム分けで率先して田辺の所に行ったから…たぶん、私に対する日ごろの恨み辛みを晴らしたかっただけなのだろう。望み果たせず。無念。
そう考えると、比較はするべきではないのかもしれないけれど。
「部長の戦術で、点が入ったのがむしろ奇跡だから。」
試合中を思い出したのだろう。田辺の眉尻も口の端も、これ以上ない下がり方をした。
「…よほど無謀な計略だったんだね。」
それより市村、と缶片手にこちらを見やる田辺は、どこか不思議そうだ。
「嫌そうにしてたから、てっきりサッカーは苦手なのかと思ったのに。」
「スポーツは泳ぎ以外ならほとんどできるよ。ねーちゃんのおかげでねえ。」
ふだん、インドア寄りなところがあるからだろうか。私のゴールでの活躍は味方でも驚いていた。
実際は野球・テニス・サッカーなど、外でのゲームは得意なほうである。ただ近頃は、ゲームと言えばテレビゲームだったから、私もここまでうまくいくとは思いもしなかったけど。
「お姉さん?」
「うん。かなりのスパルタでさ~。ぎりぎりトラウマにならずに済むくらいのハードさだった。」
「…苦労するね。」
「思い出しただけで疲れるや、はは。」
どんよりしてきたので、話の方向をずらすことにする。
「田辺は意外に、固いところあるよね。」
目は常にボールを捕らえていたが、動きがスムーズではなかったような。
運動はできそうな体つきをしているのに…それに教養科目にあった体育では、流れるような動作だとか講師に褒められていたから、からっきしできないわけじゃないはずだ。
「鈍ってたからかな。サッカーは野球よりはまし。」
「へえ…て、え?『よりは』?」
さらっといったけど、それって。
「球技、苦手だったの?」
おどろいて田辺をふりむくと、うっかり滑らせた口がゆるせないのか、眉間にシワがよっている。
身をかがめ、飲みほした缶を近くのゴミ袋にまとめながら事実をなげつけてきた。
「掌より小さいもの限定で。」
「わー、そういうの早くいいなよ!サークルの奴らだって考えてくれたんじゃないかな。」
人望のある田辺のためなら、他の競技にするなりしてくれたはずだ。
「いやでも、嫌いではないし。昔のケガでちょっと怖いくらいだから。やりたかったし。」
「ん、ケガ?」
「捻挫とか。」
「とか?」
「……」
「あ、うん、話さなくていいから!」
だれだっていろいろあるよね…こっちも話せないことがあるのに。
他人に対して知りたがりになるのをどうにかしたい、今日この頃です。反省。
「ガキくさいから」
「そうなのか。」
理由は聞かなくてもいいんだけど―…ガキか。
吐き捨てるような田辺のいいかたに、モヤモヤする。
「ん~でも、ガキくさくても恥じることはないんじゃない?田辺だって、前言ってたじゃん。」
夏休みが明けるころ、いま隣にいる友人がくれた言葉を返す。
「人それぞれだ、て。」
悩んでもいい。
けど、その悩みがどんなに小さくて歪んでいても、自分を卑しいとか軟弱だとか、そんなことは考えなくていいのではないだろうか。
「人間てさ。ちっさなことで落ち込んだり、引きずったり、トラウマになったりするもんだから。」
閉じ込めとければいいけど、どんなに奥深くに沈めても、力を緩めるとすぐに浮き上がってきてしまうものだ。
「だから、『こんなことで』なんて思ったらダメだよ。」
「……。」
田辺の眉間に、シワがひとつ増える。
―うーん。賛成はしてくれないようだ。
「でしゃばってごめん。」
「いや…こっちも、悪い。」
「謝るなよ~。」
まあ、理解者は少ないだろうなぁとは思っていたから気にしていない。
そもそも、勝手に入りこんだ私が悪いのだ。
ああでも。もしかしたら田辺は…
酔いがさめたら、落ちこむかもしれないなあ。
「じゃあ、ついでにもう一つ、持論。」
反対していても、相手の人格否定はしない田辺の長所につけこんで、ここで話してみようか。先ほどの言葉とまとめて、‘変な友人のよた話’と片づけてくれることを願いながら。
「最近思うんだけどね。トラウマとかつらい記憶って、暗くて重い、鉛みたいなイメージだけどさ。――ほんとは風船みたいなものかもしれない、って。」
「フーセン?」
「うん。たまに膨らんだのを、こんなふうに体を動かしたり、好きなことして発散…というより手放して。」
体から解放させて、空気に触れさせて。
「そうしていけば、いつか気にならなくなっていく。見えないところに飛んでいく…そういうものなのかもしれないなあって。」
「…風船か。」
「きっと、ね。」
膨張したそれは
風に手放せばふわりとどこかへ。
いつまでも抱えていたら、しぼんでいくかもしれないけれど
ふと、腕の力を強めてしまったときに、破裂してしまうかもしれない。だから。
たまには思いきって、しめつけた手を両側へ、左右にひろげて―
今日は体育の日。
「とりあえず、乾杯!」
「飲みすぎないでよ。頼むから。」
さあ、日ごろのうっぷんを晴らそう。
この澄み切った空に、浮かべて、飛ばしてしまおう。




