敬老の日
9月、長閑な夏休みがようやく明けようとしているころ。
1週間ほどの特別講義が始まり、履修している何人かの友人たちと再会した。
市村は、予想に反してうっすらと日焼けしていた。
帰省しているあいだ、買い物のつきそいや庭いじりなどにひっぱりまわされたらしい。
母親とのバトルもあったらしく、もろもろの疲労が回復しないまま今日まできてしまい…そのままで内容の濃い講義を受けた市村は現在、講義室の長机につっぷしている。
「市村、昼は食べないと。」
「ん~?」
「市村。」
「んー…」
ゆさぶってもなかなか起きない市村。
―しかたない、最終手段か。
ルーズリーフの束を丸め、
後頭部めがけて振りおろした。
「ぃだっ!」
「目、覚めた?」
「……はい。」
こちらのただならぬ気配を感じたのだろう。多少びくつきながらだが、顔を上げて伸びをする。
「仮眠取る前に、昼は摂らないと。午後がもたなくなる。」
今回の特別講師は、飲み屋のオヤジと偽っても通りそうな外見の、年配の男性だった。エネルギー満ちあふれた講義であり、この後も同様に繰り広げられるだろうことは予想がつく。精気がどこかに行ってしまったような状態の市村は、このままではおそらく持たないだろう。
―まあ市村は、動きたくないだの飯ぐらい買ってこいだの、ごねるだろうけれど。
お決りのパターンを想定し、反論を用意する。しかし、返されたのは予想したのとはまるで違うものだった。
「うん。」
素直にうなずくと、足元に置いた鞄をひっぱりあげて財布を探しはじめた市村。
…あれ?
いつもなら『小言うるさいよ、老化?』ぐらい言ってくるのに。
寝ぼけているのか、夏の疲れをひきずっているのか、それとも…。
「市村。」
「ん?なにかなぁ?」
いや、聞きたいのはこっちだから。
「なんかあった?ぼーっとしているように見えるけど。」
「うーん。昨日、和製ファンタジー小説3部作を一気読みして、夢見がわるかったから、かなあ?」
まだ寝ぼけているのか、いつもより舌の滑りが緩慢だ。
「朝イチから講義のある前日に、することじゃないね。」
「そうだねえ。ご飯、買いに行こうか。」
「…」
やっぱり変だ。
少し辛味のある言葉が1つもでてこないなんて。
「……いいたくないんなら、答えなくてもいい。」
たまに貝のように籠る自分とは違って、田辺はよく自身のことを話す。だから口を開きたくないことがあるなんて、あまり考えられない。
けど。答えにくい質問は誰にでもある。無理に開こうとしなくてもいい。
「でも、抱えこまないように。」
「そんなわけじゃないんだけど…まあいいか、田辺なら。」
売店に向かう道、観念したように肩をすくめ、市村はゆっくり話し始めた。
「小学校の頃さ。
母方のばーちゃんが、よく訪ねてきてて。」
市村家と母の実家は近いことから、母方の祖母は、他家であるにも関わらずいろいろと干渉してきた。
置物の配置はこっちのほうが見栄えがいいと勝手に移動させ、まだ使う気でいたものを無断で棄て。いま考えると、娘である母が心配だったのだと理解できる。
けれど、当時小学生だった市村はわけがわからず、苦々しく思っていた。
「なんか知らないけど、イライラしてた。」
けっして嫌いなわけではなかったんだけど、そう言って市村は苦笑する。
そして彼女は来るたび、孫であるこちらにもいろんなことを聞いてきた。
学校は、成績は、友だちは…
「多分、ばーちゃんは話したかっただけだったんだ。」
「…」
ただ、その内容が内容だった。
そのころの学校は、市村にとってひどくおっくうなもので、クラスよりは保健室にいることが多かった。
当然、友だちや勉強など、学校での日常を話せるわけがない。
祖母の質問攻めにうまくこたえられないまま発散できず、我慢できなくなったある日、市村は言ってしまう。
『もうほっといてくれ!帰ってよ!』
投げつけた言葉は、市村の予想よりトゲのあるものになっていた。
祖母は、そのまま黙って帰っていった。
彼女の一番近くに住んでいる孫は市村だけで。
帰ったら、祖父と2人きりの生活で。
きっと、すこしのスパイスがほしかっただけ。
「なのにさ。なんであんなこと、いっちゃったんだろうね。私は。」
今では彼女が家にいてもそれほど辛くなることもないし、あんなことがあったのにも関わらず、祖母とは普通に話せてもいる。
「だけど、」
いままで緩慢ながらも止まることなく動いていた口を、市村は糸目の目蓋とともに一度とじて、ひらいた。
「だけど…たまに過るときがあるんだ。」
過ぎ去ってから残る罪悪感は、祖母との間に溝を作るようで。
ぎくしゃくとするこの気持ちを、隠すようにしまいこむ。
しまいこむときはわずかだったくせに、ゆっくりと、チリのように蓄積していって。
市村は、蓄積したものを捨てることができずにいる。
「我ながら、そんなことで、とは思うけどね。」
「いや。それは、人それぞれでは?」
「…そうかな?」
首肯してみせると、市村のふーっという息づかいが聞こえた。
隙間からのぞく瞳をうかがう。かすかにゆれるこげ茶を見ながら、発した言葉を補足した。
「すぐにふっきれる人もいれば、そうじゃない人もいる。」
重いのか軽いのかは、価値観や考え方で違ってくる。この話を聞いて、「そんなことで」と呆れる人もいれば、苦しげに手を固く握りしめる人もいるだろう。共感してくれる人もいるかもしれない。ひとそれぞれ、だ。
「ただ、市村のほうがわるかった。って思うなら、何かしたほうがいいよ。」
「…なにかって?」
「謝る、とか?」
すぐに市村の眉間にシワがよっていった。
それができたら苦労しない、とでも言いたげだ。
「そんな10年も前の話、掘っ返してどうする、と笑われるのが落ちな気がするんだけど。」
「そうだけど…」
そりゃ、こっちが真剣なのに、相手に受け止めてもらえず軽く流されたら自分だってへこむ。
けど
「ばあさんらと自分たちの時間の過ぎかたは、かなりちがっているらしい。」
そして、あっという間にいなくなってしまう。
「残されたほうが悔やむのは常だから。謝るんじゃなくても、なるべく生きているうちに伝えておきたい…と、思う。」
たとえば、
これから色づく葉の鮮やかな美しさ。蜻蛉が飛び交う、泣きたくなるほどの空の高さ。
そんな些細なことでいい、半世紀以上も時を過ごした彼らと伝えあって、共有できれば。
「そう、かも。しれないな。…うん。田辺、サンキュ。」
市村の幾らか緩和したようすに、安堵した。
「いや…自分も、ばあさんと話したくなったよ。」
長生きしてほしい。
いつも元気で、笑っていてほしい。
けれど別れはたぶん、もうすぐそこだから。
一言でいいから、言葉を交わして。
一瞬でも、そばにいたい。
今日は敬老の日
「それにしてもなんで名称、長寿とかにしなかったんだろ?」
ここに来てそれって。
「……先に、昼食べようか。」
1か月以上遅れてますが;




