secret-夏休み仕様-
※今回の話は、ファンタジーチックなところがあるかもしれません。
あえてぼかしているところなどが多々ありますので、ご容赦ください。
8月。排熱は一時の雨を降らせた。
「すみませんでした。」
「…顔をあげてくれませんか。
こんなにしてもらう理由はありません。」
目前に迫るつむじに、さらに断る言葉を重ねようと口を開くと
店の娘がちょうど、かぐわしい匂いとともにやってきた。
おまちどうさま、と料理をおいたらすぐに去っていくのかと、思いきや。話を中断されて、面喰っている俺に対する興味を隠さず、しげしげと眺めまわしたあと、深々と頭をさげているもう一方の客を一瞥して、離れていった。
なんだありゃ。
「しかし、こちらの不注意です。」
上下の唇を合わせるのを忘れたままで、やっと顔をあげた男を見やる。糸目の目尻と優美な眉を申し訳なさそうに下げていた。
ことが起こったのは、15分ほど前のこと。
午前の講義を終えた俺は自作の不格好な弁当を抱えたまま、次の講義がある棟へと歩いていた。
教授から提示された本を読みながら。
そこへちょうどこの男が勢いよくぶつかってきて。貴重な食料源である弁当は宙を舞い、ひっくりかえったというわけだ。
「いや。でもあれは、」
細く薄暗い路を急いでいて、あまり確認せずに横切ろうとしたのにも否はある。しかしこちらも本に視線が集中していて、前方不注意。
この男が、さほど謝る必要はない。
「いいえ。故意ではないとはいえ、大切な昼食を台無しにしてしまったのですから。」
おごらないと気が済まない、という。
「だが、おめ…失礼。このご時世、あなただって大変でしょう?」
「働いている身ですので、多少はなんとかなります。
―それにここは、ほかより安い。こちらの懐具合は、心配無用です。」
意外にも強情で、引いてくれそうにない。俺は早々にあきらめた。
「ハァァ。わかりました。ただし、これっきりですよ。」
「良かった…それでは頂きます。」
その言葉にほっとした様子の男は、自分の料理に手を合わせた。
食事中、彼はさまざまな話をした。
故郷はここより北であること、この食堂は行きつけであること、
俺が通っている大学の夜間部に通っていること、
そこで商学を学んでいること、などなど。
その巧みな話術に引きこまれた俺は…
「へえ。つうことは、商いでもやんのがい?」
知らないうちに、里のなまりを出してしまっていた。
だが有り難いことに、彼はとくに反応を示さなかった。それに安心して、県の南よりで使われている言葉に気をつけながらも、直さないことにした。
現在、話が弾みにはずんで、将来についての話になっている。
「いや、できないでしょうね。教師になると思いますよ。」
「…教師になるンなら、昼間のほうがいんでねえの?」
言外にしかたなく、という思考をにじませる眼前の人物。
俺は、はじめから教師を志していた。だから余計に不誠実に見えたのかもしれない。声色は自分でもあからさまに感じるほど、刺を含んでいた。
「痛いとこついてきますねえ。」
笑んだまま、あまり変わらなかった顔が。少しだけ、目尻が困ったように外側へ垂れた。
「―中央の、都心の大学へ進まず、地方で学んでいる身なら。わかっていただけませんか。」
はっとした。
そうだった。
「すまね。」
「こちらも失礼な言い方でした。すみません。」
声だけでも影響力のある、あのひとの放送から同じ季節を幾度か越え。そのたびに景色が変わっていく。
復興の象徴はそこここにあふれかえり、人々はこの国を理想のものにつくりあげる希望で輝いていた。
法制度においてもほぼすべてが一新され、社会の仕組みが変わっていく。学制も複線型から単線型へ。それに合わせて中央で言う雑多なことが変更され。
俺の身近なところでいうなら、以前の師範学校や農学校などが『大学』という名称になったことだろうか。
だが、それだけだ。疲弊した土台から作り上げ建て直すのには、まだまだ時間が要る。ましてや、こちらは首都から遠く離れた田舎である。
疲弊した土や痩せた家畜からの少ない恩恵を売り、その残りや売り上げで得たものを隣近所で交換・わけあい、なんとかやっていけている。当然、子どもを都会へ学びに行かせるほどの蓄えがある家は少ない。そして、都会で衣食住の援助が受けられるのは、優れている者の中でも、ほんの一握り。
俺の場合、地元の有力者が支援してくれなければ、大学以前の進学さえままならなかった。
だというのに。
なぜ、失念していたんだろう。
ほとんど崩れることのない、上等な上着のような敬語に惑わされたのだろうか。
あまり苦労をしていないひとだと、決めつけていた。
『ザ…ザザ…ワァァァァァ!』
唐突に、歓声がラヂオから流れてきた。気まずく静まりかえったあたりが、つられて華やぐ。
『…ザザ…今日は…あの惨事の犠牲者を追悼し、二度と繰り返さぬように…ザ…の願いがこめられた…い日です。ザザ』
雑音の中、断片的な解説に耳を傾けていると、彼はポツリと吐きだした。
「日を定めてどうするのでしょうか。やるときはまた、やるしかないでしょうに。」
それに、たとえ己の牙すべてを自らぬいたとしても、他がほうっておかないでしょう。
客のいない卓に乗せられたラヂオへ、彼は渋面を向けていた。
「おめえ、もしや」
糸目がかすかにひらく。
「ああ、違います。私は“活動”していません。ただの勤労学生です。」
「…。」
「いま仮に私が言っても、有事に役に立たない若者の言葉など、人々は耳を貸しませんよ。」
同時に、わずかに左足をこちらに見えるようにゆらす。
「そいや、おめの足…」
「びっこですね。小さいころからなので、もう治らないかと。」
ここへつれてこられるまで、前を歩いていた彼は片足をひきずっていた。
かける言葉が、とっさに出てこない。
「―できることなら、もう血の涙は見たくない。これからのひとたちのは、とくに。そう、思います。…しかし、この国の行き先を決めるひとたちは、崖上に立たされているような気持ちになった経験が、乏しい。」
そしてこれから生まれてくるひとたちは、それを知らない。
いいことではあるのだけれど。
濃い哀しみの憂いが、彼を包んでいた。
「…俺は、たいていのことはまわりとおんなしように動かせるが。」
「は、あ。」
拍子抜けしている彼に分かるように、胴体の一部を指す。
「ココが、悪ぃらしいンだ。」
彼のいいたいことは、わかる気がする。
世界がどう変わろうと、周囲より不自由なことに変わりはない。
母には身体をさすられながら、なんども謝られた。
役立たず、と無数の傷をつけ、つけられた。
唯一の存在、大切なひとを
自分のせいで亡くした。
だから、―――
「ただ、さっきのよな考えはまだ、あんまし口には出さねほがいいな。」
この話は、聞かなかったことにする。
「…っありがとう、ございます。」
「んにゃ。…この飯、うめなぁ。ごちそさん。」
彼とはそれきり、
会うことはなかった。
けれど、あのとき
隙間からのぞいた瞳の彩は
何年たっても忘れることができない。
~・~・~・~・~・~~・~・~・~・~・~~・~・~・~・~・~~・~・~
ふっと、からだが持ち上げられるような感覚に
目蓋を上げる。
天井の木目に、ここが実家の居間だと認識する。
「なんつー夢。」
ぼおっとした頭をてのひらで押さえ、そのままゆっくりと、首を動かした。
隣の部屋が、視界にうつる。
夢の映像は断片的だが、糸目と“彼”の風貌には、見覚えがあった。
ついでに、“俺”にも心あたりがある。
「あのひと。市村のおじいさんだね?じいさん。」
長年、教師を勤めていた祖父の遺影をふすま越しに見、語りかけてみる。
祖父と自分は、そっくりらしい。
一人称を変えて方言を使えば間違えてしまうかもしれない、と健在である祖母がなんども話している。
生まれ変わりみたいだ、と。
涼風が、体を横切って軒下の風鈴をならした。
空には雨雲がかかってきている。ひと雨来るようだ。
今日は―…
「―ま、いいか。洗濯もの、とりこんどこう。」
覚めたばかりの、からだを起こす。
ひんやりと触れてくる風が、応答だろうと解釈して。




