海の日
7月半ば、快晴。
私たちは、田辺が所属しているゼミの部屋で試験勉強を行っていた。
エアコン完備のくせに、大学運営側からの非情な節電勧告令。
それにより、保存の大変な研究材料がない場所は設定温度が高め、
しかし集まった人数はそれなりのために起こった悲劇…
要するに、あつかった。
「ふああ。休憩しよ。」
「お疲れ。」
「おっつ。…あれ?みんなは?」
ふと周囲を見渡すと、さっきまで隣で悲鳴を上げていた同志たちがいなくなっている。
「アイス買いに行ったり、過去問コピーしに行ったり。」
「なるほど。」
めいめい涼みに行ったわけだ。
「けど、なんで群れるんだろ。図書館なり自分のゼミ室なり、行く場所はたくさんあるのに。」
そうしたら、より快適な環境で勉強できるだろうに。そう続きそうな田辺の言に、苦笑してしまう。
原因を知っているから。
「うーん、なんでだろうねえ。」
だが、ここで原因を伝えたらすごく嫌そうな顔するだろう。何より『居心地がいい+(プラス)わからんところを教えてくれる神さまのような人物が、なぜかほぼ全員田辺に寄り集まる』なんて言おうものなら…考えただけでも体感温度が急上昇、ついで急降下してきた。絶対に言わない。
私から話題を変えることにする。
「はああ。小学生のころなんて、いまごろは絶対遊んでたのにな。ああ、やだやだ。」
「そっか、もうそんな日か。」
カレンダーの赤い数字は、本日が祝日だと示している。
「近所の小学校は、今年は次の金曜まであるみたいだけど。もうしばらくすれば、近所の小学生が誘惑してくるんだ!声で!」
昼間に自宅で勉強しようとすると、学校のプール開放日には彼らのはしゃぐ声が聞こえ、夜は夜で花火に興じる声が…ううっ、勉強できない。
「それは被害妄想というものでしょ。」
まあそうだけど。大学でやればいいんだし。
しかし、夏休みか。
「懐かしいなあ。終業式が7月20日前じゃなくなって、夏休みが遠のくこともあるって聞いたとき。軽く世界を呪ったっけ。」
「いまでも、相手は違えど同じ理由で呪ってるようなものじゃないか。市村にとっては。」
「んなこたない。疑問に思ったから聞いただけだし。」
それに去年のことでしょ。
4月の初めにいきなり夏休み期間の短縮を聞かされたから、納得いかなくて説明責任を問うただけだ。なのに、まわりに変な目で見られた。なぜ。
「普通、聞かないって。」
「だろうけど。でも」
立ち上がり、拳を握る。
「海が、山が、川が……私を呼んでいるんだあああ」
叫ぶとすっきり。満足して座り直す。
「それほど楽しみなら、参加すればよかったのに。今年のサークル合宿。」
サークルは毎年、参加者が金を出し合って夏合宿を行う。場所は海、空いた時間に泳ぎに行ける。それにお世話になる下宿屋は値段が手ごろなのに小ぎれいなところだ。女将さんの人柄も温かく、飯もそれなりにおいしかったりするので、サークルメンバーのほとんどが参加する。
「ああ。田辺は帰省時期にかぶって来てないのか。」
強制ではないが、毎年不参加なのは目の前で何かを書き写している田辺くらいか。
「泳げないんだよね。」
「は?」
「浮かべない。沈む。」
「…そりゃあ、ごめん。」
「いいのいいの。潮風感じるのは好きだし。パラソルの下で荷物番とか、そこらのゴミ拾いしてついでに細かく分別しちゃうくらいヒマすぎるのは、べっつに気にしちゃいない。」
「…」
「ただ。」
思い出すだけでも、あんまりいい気分はしないが。
「今回は、部長がねえ。」
「栗山が?」
栗山というのは同学年で別学科の、普段は人あたりのいい兄ちゃんである。
そんな人を怒らせるとは、どんなことをしてしまったのかというと…
「うん。―ハーレム伝説つくってしまったから。」
「…はぁっ!?」
「おや珍しい。」
田辺が素っ頓狂な声をあげるとは。
「じゃなくて、なにそれ。」
睨まれて、肩をすくめながら詳細を話す。
「チンピラに絡まれて、困っていた女の子を助けたんだけど。」
海の家でトイレを借りた帰り道、数人の男に囲まれていた女の子を、適当に言って救いだした。彼女は海の家で働いているらしいので、そこまで送り届けようと一緒に歩いていたとき、女の子の腕が腫れていることに気づく。驚いて聞いたら、さっきの男にけがを負わされたらしい。大したことはないし事故のようなものだったから、そいつを探しだして相応のことをしてもらった。しかし、ここで問題が生じる。女の子は半日くらい安静にするべきなのに、海の家には人手が足りない。
それで、私が代わりを頼まれた。まあ荷物番は交代でやれるから、とその時の部長―今で言う前部長に許しをもらい、ピンチヒッターを引きうける。ここまでは、よかったのだが…
栗山が下宿に戻ることを知らせに来た時、私はなぜか水着の女性たちに囲まれていたのだった。
「…」
「…」
「…」
「…ははっ。」
「なんでそうなった?」
「ワタシニモワカリマセン。」
「市村そんなガタイよくないのに。」
「不思議だよね。」
「市村あまり日焼けしないから白いし。」
「だねえ、不健康ってよくいわれる。」
「糸目。」
「遺伝だからねえ。」
「チェシャ猫。」
「笑い方が、かな?…まあそうだけど。」
「……こんな奴がモテるなんて、世の中間違っている。」
「ごもっとも。」
ここだけの話、出かけると、たまに女性に声をかけられることがある。だが、あそこまで大人数で迫られたのは初めてだった。…それでうろたえたのが逆にウケたとか、もう世の女性が信じられません。
―これも田辺に言ったらヤバイだろうね。納得のいく答えじゃないし。早々と話を戻そう。
「で、それを見た栗山青年が決闘とか勝負とか爆発しろとかいいだして、まわりが栗山をおさえてのてんやわんや。」
サークルの姐御的存在の人が諌めてくれて、なんとかその日のうちに関係修復できたけれど。
「ただ栗山の気持ちもわからないでもないから。今年は断って、ゼミの手伝い買って出ることにした。というか、またあんなことあったらこっちも疲れるし嫌だ。」
逆ナンしてきた水着のお姉さま方、毎年あの海に来ていると話していたから鉢合う可能性が大ありなのだ。
「それじゃ今年は、休み明けても市村は白いまんま、ということもあるのか。」
「何もないと、ほんとに外に出ないからねえ。」
あり得る。エアコン前で揺れる風鈴の音を聞きながら、周囲が適度に日焼けした中で真っ白な自分を思い浮かべた。
「うわっ。死神じゃん。」
「疫病神かも。」
「ちょ、田辺さん。」
なんてこと言ってくれる。さっきから言葉にいつもよりトゲがあるのは、やはり田辺もモテるやつは爆ぜろ、という考えなのだろうか。…好きなやつはいないか。いらぬ恨みを買ってしまった気がする。…お門違いとはいえ、豊満な体と水着で迫ってきたお姉サマ方がクラゲに刺されてしまえばいい、などと思ってしまった。いかんいかん。
「ところで今年は田辺、どうすんの?」
「ほとんどゼミかな。あとは短いけど、帰る予定。来年は無理そうだし」
「ああ、そうか。」
田辺の入ったゼミは、ほとんど夏休みがないと聞く。大変だなあ。
「よい夏休みを。」
純粋に言ったのに、田辺は眉をひそめている。
「なにそれ、嫌味?」
「ちがう。」
今日は、海の日。
「まだレポートもテストも終わっちゃいないけどね。」
「ハハ、それいうなって。」




