父の日
昼下がり、平日のショッピングモール。
大学近くにあるそこで、まばらな人の間を縫って、目的もなく歩く者がいた。
時間があるときに歩くことで常日頃の鬱憤を発散する。
それが習慣になりつつあるようで、ここ一ヵ月は特に、気づくと足をゆっくり動かしながら、景色が変わっていくのを眺めていた自分がいた。
「レポート提出、続いていたからなぁ」
ずいぶんと疲れがたまっているようだ。こうしてフラフラと歩いていると、身体がどこかへ浮遊していってしまいそうだった。そんな癖になるような気だるさは、精神的ダメージが治りきっていないいま、ある意味、煙草やアルコールよりも依存しやすいのかもしれない。
「あれ、田辺?」
名を呼ばれた気がして、近辺に焦点を合わせる。目の前に、水色のYシャツの袖を適当にまくり、ジーンズをはいた爽快感あふれる人物がいた。
「市村。」
見た目はこんな姿をしているが、中身は腹黒い部分があったりする大学の同級生だ。
「偶然じゃん。何してんの?」
とくに目的もなく歩いていただけだ。答えに窮して、質問をそのまま返す。
「…そっちは?」
「私?ほら父の日もうすぐじゃん?そろそろ送ろうかな~と」
袋から、綺麗にラッピングされた小さい箱を取り出す。ネクタイのセットらしい。
「かなり迷ったんだけどね。」
「気持ちがこもっていればいいと思う。」
一ヵ月、あれだけ騒いでいた母の日をなんとか終了させた市村は、今度は父の日に悩んでいたわけだ。
「店員さんに聞いたら、ギリギリ間に合いそうだって。」
「よかったな。」
父親との関係は母親の仲がおもわしくない分、それなりに良好だと聞いていたから、少々地味かなとは思った。だが、それは言わないでおいた。送る側の市村が一生懸命考えたのだ、悪くて苦笑されるだけだろう。
「でもちょうどよかった。頼みがあるんだけど。」
満面の笑み。こちらの意思は関係なく、無理にでも頼もうとしているのがはっきりとわかった。
「まず聞こう。」
「これ。行ってくれない?さっき気づいたんだけどさ、2人以上でないと使えないみたいでさ~」
ななめ掛けした鞄からクーポンを取りだしたので、市村の手元をのぞきこむ。紙片には、この建物内にあるうまくてボリューム満点と評判の洋食店名が印字されていた。使用期間は今日まで。
デザート注文でコーヒーおかわり自由の文字を見つけ、そういえばアパートを出てから水分を取っていないことに気がつく。近くのスーパーで買ったほうが安上がりだし、帰れば麦茶が冷やしてある。けどまあ、
「料金の半分そっち持ちなら。」
「よっしゃ、これで季節限定が拝める!サンキュ田辺!!」
「ふい~、やっぱここのタルト旨いわあ。」
市村はさっきの会話からもわかるように甘党で、コーヒーに砂糖とミルクがないと飲めない。しかし、菓子があるときはコーヒーや紅茶はほとんど、そういった類を入れないというこだわりがあるようだ。今日も注文したケーキと飲み物をゆっくりと交互に堪能しながら、相好をくずしている。
「最近、どうしたよ?」
どうでもいいことを考えていると市村がなんとなしに聞いてきた。
「は?」
タルト生地をさくりとフォークで割りながら、ぽつりとつぶやく。
「おかしかったからさ。様子が。」
気づいたのは市村だけのようだったので、隠しているのかと考えて今まで黙っていたらしい。
「でもあんまり思いつめてたらキツイし、お節介を承知で聞いてみた。」
レポートラッシュに疲れてただけじゃないみたいだし。とってつけるようたように話すと、コーヒーカップを持ち上げる市村。
「…」
「ま、言いたくなきゃいいんだけどね?若い身空にはいろいろあるから。」
「身空って。ジジくさ。」
「そう?」
怒った風ではなく、それどころかおどけた表情に自分の頬がわずかにゆるむのを感じとる。緊張していたのか。相手が意識的かどうかの関係なしにどんな行動でも察知し、すぐに固まった空気を緩和させるのは市村らしい。意識的に隠していたほうは、あまり悟られたくはなかったけど。
「…市村がうらやましいよ。」
コーヒーカップにおろしていた視線を市村が横の椅子に置いたブルーの包装紙へうつす。
「父親にちゃんと伝えられて。」
なんで、血の繋がった子どもなのに。
うまくできないんだろう。
親にこれほどの負い目を感じる人間は、現代の日本にどのくらいいるのかはわからない。
ただ、父のようになりたくて頑張っても、どうしてもうまくいかない。
それがたまに、自身のどこかをキリリと痛ませていた。
父は、役職名はほとんど平に近いものの、会社では重要な人物である。大企業のお偉いさんや一部の新聞記者なんかにも顔の知れた存在だ。知る人ぞ知る、その道の技術者といったところだろうか。そして彼は、役職を好まずに他に譲ってしまったり、イザとなれば上司でも言いたいことをハッキリ言う度胸もあるため、人望にあつい。
幼いころは、そんな父が尊敬に値するとは思わなかった。上司に直言した結果、減俸や左遷になったこともあったし、家にいるとほとんど寝ているか、母とイチャイチャしているかだったから、仕方ないのかもしれない。
しかしこのところ、偉大さが身にしみるようになった。学校にあがり、大勢の人と知り合い、離れていくの繰り返しをしているうちに感じた。父のもつ意志の強さが珍しいものだと。そして自分には、無理なことだと。
リーダーが間違った判断をしたことを伝えるのは勇気がいる。ハブられたりいじめにあうこともある。集団社会だ、あえて指摘しないことも必要だろう。
でも誰かがいわないと、よくない状況になるのはわかりきったことで。
足がすくむ自分の弱さや情けなさを、何度嘆いたことだろう。盆や法事で親戚が集まると、アイツの優秀さはいまのお前くらいには現れていた、などと父の学生時代の話になる。
そして悪気のないその言葉が、父に対する劣等感を膨らませていった。
「…父親であると同時に、恩人でもあるから。」
ハッと視線を戻すと、市村は困ったように眉尻を下げていた。
よくわからない。そういう顔をしていたのだろう。「それほど大きい存在なのですよ~」と適当に流し、そしてなにか納得したように頷く、市村。
「あのさ田辺。」
「ん?」
これは私的意見なんだけどね、と前置きをしてじっとこちらを見つめてくる瞳。
「……いくらがんばっても越えられない壁なら、無理に壊したり越えようとしなくていいんじゃないかな?道がふさがっているなら、迂回してしまってもいいんだよ。」
正面に座る人間に驚かれていることを感じ取った市村は、苦笑して続ける。
「田辺はたまに無理しすぎるからなぁ。子が親とおなじ道を通らねばならないとか言って、自分を縛ってない?」
別に比べないでもいい。単純に『とーさんスゲ~』とか思っていればいいんだよ。話し終えた市村はタルトへ視線を戻した。
「…」
あくまで私的意見だと強調されて、真っ向から抗いたくてもなにも返せない。苦しさに下を向いた先に写ったのは、自分が注文したティラミスの残骸と黒茶色の液体をたたえたカップだった。
「…なんでわかったの。」
「さっきの視線の動きと会話で。交渉ごとに観察は必須だからねえ。最近はずっと田辺のこと見てたし。」
ほんとコイツは…
行く末が心配になってくるような特技ばかり持ち合わせていて、腹が立つと同時に少しだけ憐れだと思ってしまう。そんな同情を払拭するように、軽口をたたいた。
「ずっと見てたって。ストーカー?」
「違うから。」
半眼で睨んでくる視線に満足。砂糖も何も入れていない冷たいもので喉を潤しながら、それでも、と直前のやりとりに反論する。
それでも自分は、父さんみたいになりたい。
「そうそう。義務や強制じゃなくても、あとになってどうしても壁越えたくなったらさあ。」
ニッと笑い、市村はタルトの最後の一口を平らげて告げる。
「他のことで人生経験増やしたり、生活力とか鍛えたあとで再チャレンジしてみるのもいいかもね。脳ミソやわらかくなって、意外に軽々イケるかも。」
市村…
「なるほど。ストーカーじゃなくてエスパーだったのか。」
「だ~か~ら~!」
必死に弁解する市村を見て笑いをこらえながら、今日あたり連絡をとってみるか、と思いつく。尊敬とか感謝とか、ちゃんと伝えられるかわからない。でもやってみないことには分からないし、進まないんだ。
当日じゃないのが我ながらひねくれているとは思うけど、勘弁してほしい。
…照れくさいんだ、わかってよ。
もうすぐ、父の日。
「なんかやっぱ。恥ずかしいな。」




