母の日
1話完結。今回は母について。
5月はじめ、午後3時、学生ロビー。
勉強やら待ち合わせやら、サークルの話し合いやらでそれなりにひとがいるなか、一人の学生が暗く息を吐いた。
「あああ。母の日どうすっかなぁぁ。」
「あれ、もう決めてたんじゃないの?」
そこで同じテーブルに座る田辺が、レポート作成していた手をとめて聞いてくる。
「いやそうなんだけどね。」
バイトした金で、学生の身の丈にあったものを選んで。
実家は遠いから、もう配達も依頼してあった。悩んでいるのは、そこじゃない。
「…電話くらいはしたほうが良いじゃん?」
「まあ荷物送ったし。マナーだよね。」
「ふううううう」
予想通りの級友の答え。ノートの上につっぷすしかなかった。
「しぼんでく風船みたい。」
おい。
ひとにらみすると肩をすくめ、握っていたシャーペンを放す。
「冗談。まだくくってんだ?」
「そう~自分で自分の首絞めてんの~」
本当は、プレゼントも贈りたくなかった。あの人への感情は、ほとんどが泥に塗れているから。それでも拒否反応と必死に戦ったのは、ほかの家族のためだ。
こっちが悪いのか、それとも母が悪いのか。
母親との仲の悪さを争う競技があるならば、おそらく全国大会レベルだろう。自分の母親だからなのか、会話はもちろんのこと顔を突き合わしただけでもイラッとくる。言葉も行動もいちいち勘に障る。進学を機にこっちでひとり暮らしはじめる前は、溜めこんでどっかーんなんてことはいつものことだった。
だけどあっちは何枚も上手で。年の功みたいな正当な経験論で言い負かされ、運動するかカラオケ行くか、もしくは音楽聞きながら本読んで発散させるというのがお決まりのパターン。明るめに書いているが、そうしないと冷静になれないのだ。高校までの私にとって、そのくらいキツかった。
そして、いま。思春期の確執の名残というのもあるけど。
なんつうか、
「合わないんだよね。
生理的に、受けつけないというか。」
実の親なのに。
母も自分と同じヒトのはずで、ましてやおなじ家で生活を共にしてきた、家族なのに。
「もういいかげんあきらめて、こっちが折れればいいんだけど。」
なんかそれも癪。
「手紙やメールで済ませれば?」
田辺の助言はありがたいが…。眉間にしわを寄せる。
「おかーさん、ケータイ持ってない。手紙、今から出して間に合うと思う?」
どうせ連絡は来てしまうのなら。こっちから電話して、ちゃちゃっと済ませてしまったほうがいいに決まっている。
「当日、電話するしかないかぁ。」
あと数日しかない。5月第2週目の日曜日が、憂鬱である。
そもそも
この年齢で言いづらいが、私は母から愛を感じた事がなかった。
いや、愛はあっても情がない、のほうが正しいか。テスト、水泳などの体育、そして習い事のピアノ…とにかく、なんでも人並みにこなせないと急かされ、焦らされた。
きっと母には経験値と社会平均からつくられた“基準”があって、そして私はそれをすべてこなせると、勘違いしていたのだろう。でもできなくて、学校でもずっと監視されているような気がして、窮屈で。毎日が吐き気との戦いだった。なんど保健室にお世話になったことか。
いまはあの頃ほど顕著ではないが、でもたまに登場するその“基準”に、吐きそうになる。私はそんなに素晴らしい人間じゃない。弱くて、醜い。ゆっくりでしか動くことはできないし、たくさんのものを抱えるとパニックになったりする。
次の電話ではどんな基準が投げられるのだろう。1年経ったら、卒業したら、就職できなかったら、結婚適齢期になったら…漠然と思い描く前に、ヤバイと思うより先に、般若となった母の顔が浮かぶあたり、重症だと思う。
「たまにハメをはずしたほうが、いい大人になるらしいですよ~ちょっとは暴れさせろ~。」
「おととい、酒飲んで暴れたのはどちらさんだったかな」
「ぐっ」
返す言葉もございません。
「今年の1月に成人式行ったばかりで、飲みなれないのは分かるけど。セーブ覚えようね。」
「ハイ…」
田辺はザル…いや枠だから、酔いつぶれた人の介抱まかされるんだよね。いっつも。
そりゃいいかげんにしてほしいよな。次の飲み会では手伝おう。
ではハメを外せないなら、どうしようか。いっそのこと全部を滞らせてみようか。
「そうだ!留年して、どっか流浪しようかな。」
「いいね、静かになって。」
「た~な~べ~~~」
「後輩になるのか。飲み会でも気兼ねなく飲める、荷物持ちしてもらえる。うん、ぜひ留年してくれ市村後輩。」
なんだろ。自分の苗字に後輩をつけられただけで、なんか悔しいんだけど。
いいやもう、それより、来るXデーについてだ…
………
そもそも、なんでこんな日があるのだ、この世には。
日付は違えど、世界中探したってほとんどあるし。
おかーさんがいなくなったら、楽だろうなー
「じゃあいっそのこと、ころ…」
ゾワッ
ちょっとだけでも考えてしまった自分に悪寒が走る。いかんいかん。
「いっそのこと?」
あまり気持ちの良くないことがこみあげてきて、なんでもない、と頭をゆるく振る。
――やめよう、人の前だ。
いや人の前じゃなくても考えたら駄目だ。
「――ウチの母さんは」
「ん?」
やっきになって怖い考えをふりはらっていると、ためらいながら田辺がポツリとつぶやく。
私は自分のことから日々のニュースまで、なんでも話す。けれど、田辺が自分のことを話すのは珍しい。苦手なだけだろうが、壁があるようで寂しかった。
「家事が苦手…というか面倒くさがりなだけなんだろうけど。」
その田辺が…話している。嬉しいけど、無理してないといいが。
「うん。」
「父さんと喧嘩したとか、ちょっとでもなんかあると、カップめんで。仕方なく自分で家事やってたりして。」
ほーう。
「だから田辺のご飯、おいしいんだね。」
「うん…まあ、」
あらま。顔があかいですよ。
「照れちゃって~」
「まあそれで!この前なんかこっちの今後のこと、母さんから聞いてきたくせに、話している最中に居眠りしやがって、もう、口ききたくなくて」
誤魔化すようにたたみかけて、そして少しためらうと
「…あんまりありがたみが、ない。」
「…」
まあ、そうなるよね。
「でもさ。どうしようもないけど。市村の話を聞くと、ほんと、どうしようもないひとたちだなって思うけど。」
田辺の握った手に、ギリッと力が入る。
「いなかったらその子どもである自分もいないわけだし。サークルの仲間とも誰とも、出会えなかったんだよな。」
なんというか。
「随分、壮大になったなぁ」
「悪いか!?」
悪くないよ。だって、励ましてくれたんでしょう?
「でも、そうだね。」
ぺろっと舌を出し、おどける。
「おかげさまで感情論を持ち出すことのないスマートな交渉術を身につけられたし?」
「……市村……きみの将来が心配だ。」
「そりゃどうも。」
いつもの空間になって、田辺がホッとしたのを確認する。
無理しなくていいのに。
視認した後、田辺に気づかれないように、ゆっくりと呼吸して落ち着かせた。――私も、無理しなくていいのに。
そしてふと、思う。
ジャンルを問わず音楽が好きなのはピアノ教室に通わせてもらっていたから。
たまに地元に有名な演奏家が来ると連れていってくれたのも。
本が好きなのは、あなたが夢中になっている姿がまぶしかったから。
図書館に連れて行ってくれたから。
そして、この分野の大学に進んだのも、そのとき見せてくれた本がきっかけ。
休日は引きこもりがちな私を外へ引っぱっていったのも。
強引だったけど…
影響受けまくり。
ムカツク。
「しょうがないから、電話するよ。」
「そ。」
「ん。サンキュ。」
感謝はしてやらないけどね。
おかーさん。
いつかは、あなたをしょうがないなって、受け入れることができるかもしれない。
反対に、あなたに対して、ずっとくすぶっているモノを抱えていくのかもしれない。
いまだに休日3時間オーバーの朝寝坊には、午前中つぶれるからイラッと来るけど。私より携帯ゲーム機を使いこなしているのが謎だけど。――そして私を、理解していないくせに決めつけるけれど。
それでも。
今日は母の日。
「もしもし、母さん?」




