2.あの食べ物の香りと記憶
クンクン、グーグー、クンクン、グーグー・・・・・・
私は犬か?でも人間、空腹には耐えられない。野生の力?が働くのか匂いに敏感になるらしい。私に野生の力を働かせたこの匂いはなぜか嗅ぎ覚えのある匂いだったが、それを思い出す力すら私にはないらしい。
ただお腹がすいた!!
この気持ち、この想いが私を突き動かしているのだった。食欲とは何てパワーなのだろう。あれだけベッドから出ることをこばんでいた私をこうやって歩かせているのだから。月に人類が一歩を踏み出したのと同じくらい画期的なことだと思う。
その匂いは突然、私の嗅覚を刺激した。もう数時間、数十時間も食べ物に見放されている私の胃袋を誘惑した。
まず私がしたことはベッドの上に立つことだった。まだどこかでこの森に対する恐怖心があるのか、地に立つまでの勢いはなかったのだ。行動に移したことはこんなものだった。だが、匂いの先の食べ物がいったいどこにあるのかを真剣に考えた。風向きによって方向が違えばとんでもないことになってしまうと思ったからだ。いくら冷静さを失いかけていた私でも、そのくらいは分かっていた。でも実は、ただ闇雲に草木を掻き分け進む勇気がなかったのだけなのだけれど。さらに、その匂いのおかげで、この緊急事態に大事なことを忘れていたことを思い出した。今までなぜ思い出さなかったのか!?自分に呆れていた。私は昔からベッドの下に非常用食品を隠すクセがあったのだ。私としたことが何てことだ。でも最後に何を隠し、貯蔵していたのかは覚えていない。だいたい季節限定もののお菓子、もちろんチョコなどのとけるものではなくスナック系。甘いものとしょっぱいものを常備していた。甘いものはテレビを見ながらつまむ。しょっぱい系はお酒を飲みながらつまむためのもの。世の中的には些細な行動だろうが、私的には飛躍的な行動、ベッドを覗くというとっても画期的な行動に出たのだった!!目指すはお菓子!!空腹地獄脱出の糸口がそこにはあ・・・・・・ない。おかしい!!絶対おかしい!!と言うよりもこの空間、瞬間がおかしいので何が起こっても不思議じゃないけど、食べられないと思うと悔しくて涙が出そうだった。目はかすみぼやけていたが、私の視界に、あるモノが入ってきた。そこには靴があったのだ。それも私のお気に入り。何かの行事があると履く靴がそこにあった。何を意味するのか!?そんなことはどーでもいい。何をさせたいのか!?そんなことにも興味はない。ただ腹がへっては何とかと言うように、ベッドの下にお菓子を発見出来ない今、私はその靴を履き、ベッドを離れなければいけない。そう思った。食べ物の恨みは怖いとはよく言ったものだ。私もその通りだと大きく頷く自分がいた。これまでここから飛び出すことに躊躇していた時間はなんだったのだろうと思うと同時に私は靴を取り出していた。後からお気に入りの靴とパジャマのコーディネートはどうかと思ったは思ったが、その時の自分にはコーディネートの「コ」の字も浮かばなかった。犬よりも嗅覚を敏感に、野生の勘をフル回転させ、私は匂いの先の食べ物へ向かうべく歩きだしたのだった。
匂い目指し草むらを歩くのかと思いきや、ちょっと草を掻き分けると、そこには道があった。一本の獣道のようだった。もちろん匂いはその先にある。そんな自信だけはあった。方向は間違っていないのか?などといった不安は何故だかなくなっていた。私の嗅覚は空腹のせいでかなり敏感になっているということだ。火事場の馬鹿力というのはこういう時のことをさすんだ。私は樹海を必死に泳ぎ、飢えを満たそうとしている。
匂いはいったいどんな食べ物なんだろう?歩き出してしばらくたつと、余裕が出来たのか考えてみた。それまでただ空腹に脳を犯され、ベッドから脱出し歩き出すことしか頭になかったが、目的が何なのか?を気にし始める自分がいた。
ふと立ち止まる。戻ることだって可能だけど戻ったところで進展するとは思えない。ここは前に進むしかないのだろうと腹をくくったほうがいい。私は歩き続けることを選択した。どこまでも続く同じ景色を眺めていると頭がおかしくなってきそうだった。だから目的の食べ物は何なのかを議題に置き、一人会議を始めることにしたのだった。んーこの匂いはいったい?普段ならこれがどんなものなのかを予想するのは簡単なはずなのに、今日に限ってまったくわからない。頭の中でどこか昔の記憶と連動しているのか、考えれば考えるほど忘れていたことを思い出す自分がいる。
一人暮らしを始めた時、女友達だけを集め、男どもの品定めをしながら鍋をつついた記憶。
初めて付き合った彼にお弁当を作ってあげた記憶。
母親と一緒に何気なく料理をした記憶。
父の誕生日に一生懸命ケーキを焼いた記憶。
生まれて初めて包丁を握った記憶。
そしておじいちゃんのオムライスの記憶。
私の母方のおじいちゃんは私が遊びに行くと必ずオムライスをご馳走してくれた。とっても器用にふんわりと玉子を焼きあげ、その玉子にケチャップで私の名前を書いてくれたのだった。私はそれを満遍なく玉子に塗り、オムライスを食べていたものだった。そのケチャップ文字で私は自分の名前の文字を覚えた。そのケチャップをぬることで自分の名前を練習だってした。オムライスには色々と思い出がある。
オムライスだったんだ!
懐かしい匂いとは思ったが、そういうことだったんだ!これまで喉に支えていた何かを一気に吐き出すように大声を出していた。
「オムライス!」
わけがわからない状態に追い込まれ数時間たつのか分からないが、久しぶりに口から出た言葉がオムライス。ただの食いしん坊丸出しだ。でも匂いに辿りついた時、そこにオムライスがあることだけは確信が持てた。この自信はどこからくるか分からないがもう頭の中にはオムライスしかなかった。目的地に何があるのかが分かる?と、足の運びもスムーズになり、速度を増していった。何度も同じ景色を通り過ぎていったことだろう、と頭の中でグチをこぼしていた頃が懐かしい。道がだんだんと広くなっていったのだ。しばらくすると石畳の道へと変わっていった。そして変化を楽しむまでもなく広場に出たのだった。広場にはテーブルが1台、イスが1脚、その上にやっぱり!オムライスが置いてあった。私はゆっくりイスに座った。そしてオムライスと対面した。お腹はすいているのに、目の前にあるスプーンをすぐには手にとらなかった。私は誰かに「いただきます」を言いたかったのだった。キョロキョロ周りを見渡してもあるのは来た道だけ。オムライスには私の名前がしっかりと書いてある。もちろんケチャップでだ。しかたなく私は小さな声で「いただきます」を言い、ケチャップを玉子の上にまんべんなくぬった。そしてスプーンで一口分とった。食べる前にじっとそれを見つめた。念願の食べ物。かなり歩いたので体力も消耗している。ここで食べなければ死んでしまう。もしこのオムライスが毒入りでも死んでしまう。どっちみち死ぬなら食べちゃうのが私だ。そうやって勢いを自分の中でつけ食べた。やっぱりおじいちゃんの味がした。ご飯の中にわからないように入っている玉ネギ。さらさらしたご飯。ふっくらとした玉子。紛れも無くおじいちゃんのオムライス。・・・おじいちゃんのオムライスそっくりだった。捻くれていると思われてもいい、だってこんな森の奥深くでおじいちゃんがオムライスを作ってくれるわけがない。それにもうすでにおじいちゃんはこの世を去っていた。ん?ここはあの世?そしたら可能性もある。ネガティブなのかポジィティブなのかわからなくなってきた。オムライスが食べられる。しかもおじいちゃんの作った?オムライスが食べられる。これはポジティブ。すでに死んでいるおじいちゃんのオムライスを食べるイコール私も死んでいる?これネガティブ。オムライスはただのオムライス。これポジティブ&ネガティブ。なぜかというと実際にあるオムライスということなら別にあの世でなくてもいい。でもおじいちゃんのオムライスじゃないとなると淋しい。私は確実におじいちゃんの存在を意識していた。思い出を頭の奥底から引き出そうとしているのかもしれない。このオムライスが私にそうさせているのだ。物心ついた頃から食べているオムライス。幼稚園に入学した時にだって食べたオムライス。お正月、お盆、誕生日、何かのイベントにつけ食べていたオムライス。そんなオムライスだからとっても懐かしく、温かい。
おじいちゃんが亡くなった日。それは私が初めて食べる側から作る側になった日でもある。
お通夜でお腹がすいていたのだった。親戚連中はちょっと疲れているみたいだし、私の両親、おばあちゃんも元気がなかった。ここは私が頑張らなくてどうする!!というよりただ本当にお腹がすいていた。おじいちゃんの顔を見たら無性にオムライスが食べたくなったのだった。そして、前にちらっとおばあちゃんから聞いた話を思い出したからかもしれない。
「おじいちゃんはネ。お前たちがいつ来てもいいようにオムライスの材料だけは用意しておけ!って、うるさいのよ。だからガマンして食べてあげてネ」
よしっと台所へ向かい冷蔵庫を開けた。やっぱり材料もご飯も揃っているようだ。私はおじいちゃんの前にいる親戚連中の所へ行き、宣言した。
「オムライス食べる人―――??」
従兄弟の男の子が一人手をあげた。
「じゃー今から私が作ります!!」
なんでこんな宣言をしたかというと、オムライスは初挑戦だったからだ。誰か「いいわよ。作ってあげるから」という言葉を期待していたのかもしれない。だがそんな都合のいい返事は誰からもなかった。料理は好きだったが、オムライスだけは食べる物として私の中にインプットされていたのだった。まずは仕込みから・・・。玉ネギをみじん切りにする。おじいちゃんは私が嫌いことを知っていて分からないようにすっごく細かく刻んでいたなー。などと思い出にひたりながら作業をしていた。
「なんだか見てられないねー」
おばあちゃんが顔を出した。それを見てほっとしている私がいる。そんな私を見るに見かねてかおばあちゃんが手伝い始めた。
「玉ネギはね。苦手だったあんたが食べられるようにわからないくらい小さく切っていたのよ」
私は知っていた。その優しさが嬉しくて、最初は我慢して食べていたから。でも、いつの間にか好きになっていた。おじいちゃんのおかげだ。玉ネギが目にしみる。ムカつくくらい目にしみる。話をして紛らわそうとしたのか、素朴な疑問が私の頭に浮かんだ。
「どうしてオムライスをいつも作ってくれていたの?」
なんで死んだ今になって疑問になったのかわからない。でも自然と私の口からそんな言葉が出ていた。するとおばあちゃんは準備の手を止め、私から包丁を取り上げ、玉ネギを切り始めた。
「おじいちゃんには夢があったのよ。あー見えて洋食屋のコックになりたかったんだって。若い頃は目指してたんだけど、挫折して、サラリーマンになったみたい。でも諦め切れなかったみたいね。子供が、あーあんたのお母さんが生まれた頃は育てるのに忙しくて何もしなかったけど、孫が出来て生活にもゆとりが出来るとオムライスを作る練習始めたのよ。定年退職したらオムライスがおいしい洋食屋をやるんだってヒマさえあれば練習してたわよ。そー言えばあなたが孫の中で一番美味しいって食べてたわよね。作りがいがあったみたいよ。もうそのオムライスも食べられなくなっちゃったわよね」
おばあちゃんは泣いていた。
もう一度、夢のきっかけを私が作ってくれたんだと話していたそうだ。
ただの食いしん坊もこんな所で役に立っていた。おじいちゃんはオムライスが美味しい洋食屋を作りたかっただなんて初耳だった。私を最初のお客にするんだとも話していたそうだ。
ふと我に返ると森の中だった。私はテーブルに座り、最後の一口を入れようとしていた。
なんだか急に涙があふれていた。




