秘密基地
白いワンピースを着ている。肩くらいまでの黒髪が風に揺れていた。年齢は僕と同じくらいに見える。
いつからそこにいたのか分からない。
さっきまで誰もいなかったはずなのに。
「……え、あ」
変な声が出た。少女はじっとこちらを見ている。不思議な目だった。感情が読み取れない。怒っているわけでも笑っているわけでもない。ただ静かに見ている。
「迷ったの?」
「……うん」
素直に答えてしまった。
「カブトムシ探してたら、なんか奥まで来ちゃって」
「ここまで来る人、珍しいよ」
「君、この辺の子?」
少女は少しだけ考えるような顔をした。
「そんな感じ」
曖昧な答えだった。でも、それ以上深く聞く気にはなれなかった。
「帰り道分かる?」
「分かんない」
「じゃあ後で教えてあげる」
そう言って、少女は石段に腰掛けた。思ったより身軽だな。近くで見ると、かなり白い肌をしていた。日に焼けていない。森の緑の中で、白いワンピースだけが妙に浮いて見える。
「名前は?」
「悠真」
「そっか」
「君は?」
少女は少し間を空けた。
「……楓」
気づけば、さっきまでの不安は消えていた。
同い年くらいの子がいるというだけで、森は急に怖くなくなる。
「ここ、秘密基地みたいだな」
「秘密基地?」
「だって誰も来なさそうだし」
楓は小さく笑った。本当に少しだけ、口元が緩む程度だった。
「じゃあ、そうかもね」
それから僕たちは一緒に行動し始めた。
最初は境内を探検した。サーとした音が聞こえる。社殿の裏には細い道があり、深い緑に囲まれた森の中を澄んだ水がゆるやかに流れる沢が奥へと続いていた。辺りを見渡してみる。両側には白っぽい岩肌の斜面が迫っていて水に削られてできた細い谷のような地形になっていた。頭上には木々の枝葉が覆いかぶさるように広がっている。手前の水面には波紋や流れの筋が細かく映り込み、透明感のある緑色の水が涼しげな雰囲気を醸し出していた。こんな所あったんだ。自然が好きな人の気持ちが分かった気がする。
綺麗な沢にはニジマスがいるのが見えた。捕まえられるかな。手を入れると痺れるようだった。水は驚くほど冷たい。
「ここ見てよ。沢蟹がよくいるんだよ」
楓がニンマリしながら石をひっくり返した。赤みを帯びた沢蟹が三匹ほどこしょこしょと動いていた。
「前に7匹いたことあったんだ」
楓は森のことをよく知っていた。
時間が変なふうに流れていた。
ここに来る前より、ずっと長く遊んでいる気がするのに、まだ昼過ぎみたいな感覚だった。森の中だからだろうか。光が届きにくく、時間の感覚が曖昧になる。けれど実際には、かなり時間が経っていたらしい。ふと空が赤くなっていることに気づいた。
「うわ、やば」
夕焼けだった。
木々の隙間から差し込む光が、境内を赤く染めている。
「帰らなきゃ」
祖母に怒られる。
そう思って立ち上がった瞬間だった。
「あ」
思わず声が出た。
木々の向こうに、家が見えた。祖母の家だった。ここの方が高い位置にあるらしくかなり見下ろす形にはなるが赤い屋根と庭の柿の木が見える。
「え?」
目を疑った。
「なんで……」
来るときには見えなかった。少なくとも家から神社なんて見えなかった。
あんなに迷ったはずなのに。神社のすぐ近くみたいに見える。
「ここから帰れるの?」
「うん」
「じゃあ、よかった」
どこか安心したような声だった。
僕は少し迷ってから言った。
「また来てもいい?ここに来たら会える?」
楓は夕焼けの方を向いたまま答えた。
「……来れるなら」
その言い方が少し気になった。でも深く考える前に、遠くで祖母の呼ぶ声が聞こえた気がした。
「じゃあまた!」
僕は手を振った。楓も小さく手を振り返す。白いワンピースが夕焼けの中で揺れていた。僕は石段を駆け下り、森を抜けた。
不思議なくらい簡単に帰れた。迷うことなく、まっすぐ祖母の家へ辿り着く。玄関を開けると、祖母が顔をしかめた。
「もう、どこ行ってたんだい。心配したよ」
「ごめん」
「森入ったろ」
「ちょっとだけ」
「だから言ったのに」
怒られながらも、僕の頭の中は別のことでいっぱいだった。
神社。楓。森の奥の静かな場所。昼間の出来事を思い返すたび、胸が妙に高鳴った。
知らない場所。知らない少女。秘密を共有したみたいな感覚。
夏休みはまだ始まったばかりなのに、もう特別なものになってしまった気がした。




