28話 再戦 28-3
(あの滝行で、完璧主義の呪縛なんてとっくに理解して吹っ切ったと思ってたのに……)
レイはコックピットの壁面に据え付けられたアタッシュボックスを強引にこじ開け、中から医療用の包帯を掴み出した。
(無意識のうちに、また囚われていたみたいだ……)
取った包帯を額の傷口にきつく巻き付け、力任せに結び目を作る。
頭部を襲う強い締め付けの痛みが、かえって混濁しかけていた精神を鋭く研ぎ澄まし、芯からの闘志を呼び覚ます。
白かった包帯がじわりと赤く染まっていくが、もう視界を遮るように血が垂れてくることはない。
レイは袖で目元の汚れを乱暴に拭った。
「すまない……茜。もう大丈夫だ」
残された左足と両腕で、武尊のシステムを完全な戦闘態勢へと移行させていく。
『何が大丈夫よ! 人に散々心配させといて!』通信機から、怒りと安堵が混じった茜の震える叫びが響き渡った。
彼女の武尊は空中に滞空したまま、大型マシンガンを連射してハリネズミ型純粋種を必死に牽制し続けている。
先ほどレイが放った試作型ライフルの直撃を受け、ハリネズミ型純粋種は脇腹を大きく抉られて怯んでいるのか、その巨体を硬直させていた。
だが、安息の時間など訪れない。
抉れた脇腹の傷口から、またしてもミミズのような木の根が不気味に蠢き出し、互いに絡まり合いながら猛烈な速度で肉を修復していく。
「チッ……直ぐに修復しやがる……!」
レイはスコープを覗き込みながら忌々しそうに毒づいた。
『何か、あの再生を止める弱点がどこかにあるのかも』
茜のその言葉とほぼ同時に、敵の背中の槍がピキピキと音を立てて再び逆立った。
純粋種の狂暴な反撃が再開される。
だが、その無数の根の槍の照準は、地べたに這いつくばるレイの武尊には向いていなかった。
ターゲットはすべて、空中で弾幕を張り続ける茜の機体へと絞られている。
(死んだと思われて、完全にノーマークってわけか……?)
レイは血塗れの顔に、自虐気味な、けれど不敵な笑みを浮かべた。
「それなら……絶好のチャンスかもしれないな」
完璧な戦術など、この状況にはない。
不完全な機体、壊れた足、だが今のレイには死角から敵を狙い抜く最高の一撃がある。
「茜! そのまま奴の気を引いていられるか!?」
レイのその言葉に、茜は通信機の向こうで大きく溜息をついた。
散々心配させておいて、目を覚ました途端にこれか、と言いたげな、呆れ混じりの溜息。
しかし、茜はすべての文句を胸の内に飲み込んだ。
「任せときなさい!」
その力強い応えと同時に、茜の武尊は背部バーニアを最大出力で吹かし、ハリネズミ型純粋種の顔面のド真ん中めがけて、容赦ないマシンガンの猛射を叩き込んだ。
自分を信頼し、命を懸けて標的を固定してくれる相棒の背中を見つめながら、レイは静かにライフルのボルトを引き絞った。
次の一撃で、その信頼に応えるために。
◇
レイはスコープを覗いたまま、ゆっくりと深く息を吐き出した。
茜が命懸けで怪獣を引きつけている、その僅かな時間の中に必ず勝機を見つける。
(完璧じゃなくていい。無様でも、最後に勝てばいい)
レイは己の焦りを完全に削ぎ落とし、冷徹なまでにハリネズミ型純粋種を分析していく。
なぜだろうか。いま、再び二年前のあの凄惨な夜——凛が怪獣のコアに取り込まれて暴走してしまった時のことが、鮮烈に思い出されていた。
(あの時、俺はただ茜を守るためだけに、無我夢中でジープを走らせ、泥を撥ね上げて戦場を切り裂き、走り抜いた)
助手席で必死にガトリングを撃ち続けていた、あの茜の背中。
(あの時の俺たちに、完璧さを考えている余裕なんて、これっぽっちもなかった)
スコープを見つめる目を、ほんの一瞬だけ瞑る。『レイのその冷静さがあるから、私は安心して前を見られるんだよ』
(そうだ、これが俺の持ち味だと、茜はいつも言ってくれる)
ゆっくりと目を開ける。
その鋭い眼光の先には、激しい火花を散らしながら、茜の武尊を針の筵にしようと凶暴な根の槍を撃ち込み続けているハリネズミ型純粋種がいた。
その時、レイの脳裏に、パチリと電撃のような閃きが走った。
(茜が言っていた弱点……? 待てよ、凛のあの時、怪獣の身体の最深部には"種"があった)
レイは必死に当時の戦況を、網膜の奥に思い起こす。
豪隊長が限界を超えた一撃で撃ち抜いたあの不気味な種は、ガラスのように弾け飛び、それと同時に巨大な怪獣の肉体もろとも灰となって崩れ去っていった。
(もし、この純粋種の中にも、その"種"が存在するとしたら……?)
レイは直ぐ様、スコープの中の視界を通常光からサーモグラフィーモードへと切り替える。
赤と青に染まる視界。
地面から吸い上げられ、怪獣の中心部に向かって逆流していく無数の根の槍の熱源。
そのすべての根が向かう終着点、怪獣の体内の奥深くに、ひときわ巨大で禍々しいエネルギーの塊が脈打っているのを目撃した。
やはりそこだ。
降り注いだ根の槍はそこに一旦吸収され、新たな槍へと再生成され、再び背中から噴き出されている。
あの場所こそが、この永久機関の心臓部。
(あそこを直接、狙い撃てれば……!)
しかし、致命的な問題があった。
そのエネルギーの塊は、上空からのあらゆる攻撃を拒絶する、最も分厚く頑強な背中の装甲——硬化した根の皮に完全に守られている。
水平からの狙撃では、あの装甲を貫く前に弾丸の威力を減衰させられてしまう。
(どうする……? どこからなら、あの核に届く!?)
レイは咄嗟にコントロールパネルを操作し、今キャプチャしたサーモグラフィーの3Dデータを茜の機体へと一斉送信する。
茜のコックピットのメインモニターに、小ウインドウとしてレイからの解析データがポップアップした。
「茜! そこにコアがあると予想される。あいつの心臓部だ!」
茜は襲い来る槍の網を紙一重でかわしながら、驚きと共に横目で小ウインドウを確認する。
「でも、レイ! この位置だと背中の分厚い装甲に阻まれて、外からは絶対に撃ち抜けないよ!」
茜の武尊はアクロバティックな連続回避を行い、マシンガンを撃ち込んでは位置を変えるという極限の機動を繰り返しているが、それも完全に時間の問題だった。
メインコンソールの残弾数インジケーターは、すでに限界を示す赤色の点滅へと変わっている。
だが、死線に立つ茜の脳裏にもまた、何かが閃いた。
「……脇腹! 脇腹の内側からなら、装甲が薄くて弱いんじゃない!?」
レイは弾かれたように顔を上げた。
確かにスコープの向こう、先ほど自分が試作型ライフルで抉った脇腹から、地面に擦れている腹部にかけてのラインは、装甲となる強靭な皮がなく、生物としての生々しい肉が剥き出しになっているように見える。
あそこからなら、内部のコアまで最短距離で弾丸が届く。
「だが、あいつの腹がこちらに向かないと、どっちみち狙撃の角度が作れない……!」
レイがそう言いかけるのを力強く遮って、通信機から茜の凛とした声が響いた。
「レイ、私たちのこれまでの戦闘を思い出して!」
二年前のジープでの死闘。
そして、武尊に乗ってからの、あの泥を啜るような二回の激戦。
窮地に陥るたびに自分たちを救ってきたのは、型にハマった教科書通りの戦術などではなかった。
「大胆さも大事よ!」
茜は、決意に満ちた強い顔でそう言い切った。
◇
茜は言うが早いか、ハリネズミ型純粋種に向かって一直線に肉薄していった。
『レイ! 私が引きつける! 合図したら何でもいいから撃ち込んで!』
「おい、どういうことだ!? 説明しろ、茜!」
レイは叫びながらも、敵にこちらの生存を気づかれないよう、慎重に試作型スナイパーライフルを構え直した 。
右足がない以上、機体を立ち上がらせることはできない。
レイは地べたに座り込んだ姿勢のまま、武尊の強靭な両腕でライフルをがっしりと固定し、スコープの奥を鋭く覗き込んだ 。
「一体……何をする気だ……?」
レイがスコープの焦点を合わせた先で、茜の武尊は地表スレスレの超低空飛行を展開し、ハリネズミ型純粋種の真横——死角となる側面へと一気に回り込んでいった 。
ハリネズミ型純粋種は、鬱陶しく翻弄してくる茜を確実に仕留めるべく、背中の根の槍の向きを強引に真横へと向け、一斉に撃ち込んでいく。
しかし、茜の武尊はすでに敵の懐深く、完全な死角に入り込んでおり、槍の雨は一本たりとも届かない。
なんとしてでも標的を正面に捉えようと、怪獣は地鳴りを立てて強引に向きを変え、体勢を変えようとする。
茜の武尊へと向き直るため、四つ足の片側を大きく持ち上げ、その巨躯をぐらりと傾けた。
『今よ! 撃ち込んで!!』
通信機から、張り裂けんばかりの茜の叫びが響く。
「そういうことか……!」
レイは茜の意図を完全に読み切った。
敵が茜を追って身を傾けた瞬間、その無防備な下腹部が、レイの射線へと完全に露出したのだ。
レイは迷わず、試作型スナイパーライフルのトリガーを引き絞った。
放たれた高出力弾が、持ち上がった純粋種の腹部へと命中し、凄まじい火花を上げて爆散した。
ハリネズミ型純粋種は、弾着の猛烈な衝撃に巨体を激しく震わせる。
バランスを崩されまいと、強靭な残りの足で必死に大地を踏み締め、持ちこたえようとするが——。
「そうはいかない……!」
レイは二発、三発と、剥き出しの腹部へ間髪入れずに弾丸を連続で叩き込んでいく。
次々と炸裂する猛砲撃の衝撃に抗いきれず、ハリネズミ型純粋種の足は、ついに片側の二本だけで辛うじて立っている、限界の傾きにまで追い込まれる。
「そこぉっ!」
茜の武尊が、背部バーニアを逆噴射させて急速に後方へと下がりつつ、残された最後の支えである怪獣の足一本めがけて、大型マシンガンを全弾乱射した。
強靭な根の足が蜂の巣にされ、ついにハリネズミ型純粋種のバランスが完全に崩壊した。
凄まじい土煙と地響きを巻き上げながら、巨獣が文字通り仰向けにひっくり返った。
『とどめぇ!!』
茜の武尊は、すでに弾切れとなったマシンガンを潔く投げ捨てると、両腕の装甲を展開し、内蔵されているガトリング砲を剥き出しになった腹の中心部へと一斉に撃ち込んだ。
超至近距離からの容赦ない掃射。
バリバリと肉壁が引き千切られ、腹の中心に巨大な風穴が開く。
だが、その中から、またしても再生しようと不気味な木の根が蠢き、絡まり始めようとしていた。
『レイ!!』
「……ああ!」
レイはスコープを限界まで覗き込み、茜が開けたその穴の中心、蠢く根の最深部で禍々しく拍動する"種"を完全にロックオンした。
「これでお終いだ……受け取れ!」
レイは魂を込めてトリガーを限界まで引き絞った。
試作型スナイパーライフルが最後にして最大の火を噴き、放たれた超高出力の閃光が、純粋種の腹の穴へと吸い込まれるように真っ直ぐ突き刺さっていく。
直撃。
次の瞬間、ハリネズミ型純粋種は、天を裂くような、悲痛な最期の咆哮を上げた。
体内のコアを完全に撃ち抜かれた巨躯は、再生の余地すら与えられないまま、内側から激しい光を放ち、サラサラと崩れ落ちるようにして、一瞬にして灰となって世界から消えていった。
「ふぅ……」
「はぁ……」
どちらともなく、通信機越しに深い、けれど最高に晴れやかな溜息が重なった。
立ち上がれないレイの武尊と、空中からゆっくりと着地した茜の武尊。
二機のメインカメラが静かに視線を交わし、どちらともなく、お互いに向かってメカニカルな右腕の親指を力強く立て、サムズアップした。
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