28話 再戦 28-2
レイは茜の切迫した通信を聞くと同時に、コンマ数秒の反射でフットペダルを力強く踏み込んだ。
下向きに爆発的な火を噴いたバーニアの推進力が、武尊の鉄の体躯を強引に上空へと浮き上がらせる。
直後、つい一瞬前まで自分がいた足元の地面へと、ハリネズミ型純粋種の放った根の槍の雨が轟音と共に突き刺さっていった。
凄まじい衝撃波で土煙が舞い上がる。
しかし、息つく間も与えられなかった。
無制限に、そして絶え間なく天空へと噴き出される根の槍の奔流は、飛び上がったレイの武尊を逃がさじと正確に捉える。
怪獣の背中の根の槍が不気味に盛り上がり、空中を逃れるレイの武尊の動きを予測するように、次々と鋭い槍が撃ち出されていく。
レイは操縦桿を死に物狂いで引き、その全方位から迫る根の槍の奔流を紙一重で躱していく。
「ぐっ……!」
しかし、完全に避けることは不可能だった。
直撃は免れたものの、至近を掠める槍の風圧と衝撃波でコックピットが激しく揺れ、警告のアラートがけたたましく鳴り響く。
『レイ!!』
その茜の悲痛な叫びも虚しく、冷酷な金属音が響いた。
空中を回避中だったレイの武尊の右足へ、数条の根の槍が容赦なく突き刺さる。
捕らえられた脚部は一瞬にして鋭利な針の山と化し、激しい火花を散らしながら爆発した。
「しまっ……!」
フレームが限界を迎え、右脚の全機能を喪失する。
姿勢制御が完全に利かなくなったレイの武尊は、推力を失った鉄の塊となって、そのまま激しく地上へと落下していった。
◇
鉄の巨体が激しい地響きと共に地面に叩きつけられ、衝撃波がコックピット内のレイの肉体を容赦なく打ち据えた。
致命的な破砕音が響き渡り、視界が白く霞んでいく。
額のあたりから生温い血が流れ落ち、まぶたの端を赤く染めた。
『レイ……! レイ……っ!』
遠くで、通信機から茜の切迫した声が聞こえる。
レイは歯を食いしばり、震える両腕で無理やり上半身を持ち上げてメインモニターに視線を向けた。
そこには、マシンガンを連射し、巨大なハリネズミ型純粋種の猛攻を一身に引き受けて自分を護ろうとしている茜の姿があった。
「あ……かね……」
レイはかすれた声をもらし、震える右手で武尊の操縦桿を握りしめた。
機体を起こそうとペダルに足をかけようとするが、そこで視界の端に映ったのは、爆散して根元からごっそり失われた右足の無惨な姿だった。
(またか……)
前回の戦いでは右腕を失い、今回は右足。
『レイ……レイ……っ!』
額から滴る血が足元の操縦パネルにポタリと落ちる。
レイは力なく操縦桿から手を離し、ヘルメットを被ったまま深く項垂れた。
(また……失敗……)
『レイ……レイ……っ!』
(俺は何で……何でこんなにダメなんだ……。完璧にやらなきゃいけないのに……!)
怒りと絶望に歪んだレイは、強く握りしめた拳でコクピットのコンソールを何度も殴りつけた。
(俺は……俺は……!)
その時、朦朧とする意識の底に、あの日の光景がフラッシュバックした。
鬱蒼とした森、凍てつく滝の水、そして隣で同じように激しい滝に打たれた凪の横顔。
レイの脳裏に、あの時の光景鮮やかに蘇る。
◇
滝行の激しい水の奔流の中、レイの意識は肉体を離れ、深い深淵へと沈んでいく。
意識が途切れる直前、湖の真ん中に、白い服を着た一人のガタイの良い男が、呆れたように腕組みをして自分たちを見下ろしていたのが見えた。
その姿を最後に、レイの意識は完全に闇へと引き込まれ、己の過去を遡る走馬灯のなかにいた。
幼少期。冷たい洋館の居間で、母は幼いレイの肩を掴み、呪文のように言い続けていた。
「あなたはお父さんの跡を継いで、立派な社長になるのよ」
少年期。必死に勉強し、90点という高得点のテストを差し出したとき、母は褒めるどころか冷たく眉をひそめて言った。
「100点は当たり前。120点を取る気でいきなさい」
青年期。すべてを受け入れ、完璧な跡継ぎを目指していた矢先、父の会社は呆気なく傾いた。
「あなたが立て直すのよ。あなたなら完璧にできるわ」
(——俺は、完璧でなければいけなかったんだ)
天も地もない暗闇の中を、レイはただ独り、深く俯いて歩いていた。
完璧な息子、完璧な人間。
その強迫観念だけが、自分の存在を許してくれる唯一の光だったからだ。
(父の会社が倒産して……ようやく、自分の意思でやれることができるようになった俺は、軍に入った)
暗闇の先に、軍の射撃訓練場の光景がホログラムのように浮かび上がる。
(企業の再生じゃない。俺が本当にやりたかったことは……自分の力で、人を守ることだったんだ)
乾いた銃声が響く。
並み居るエリート同期たちを差し置いて、標的の的を誰よりも早く、寸分の狂いもなく完璧に撃ち抜いていく自分の姿。
(完璧だった……。俺の人生は、俺の射撃は、完璧だったんだ。あの日までは——)
視界が一変し、赤黒い炎に包まれる。
レイは、あの純粋種との初めての戦い——恐怖に身を竦ませ、完璧な射撃を外して死にかけた、あの屈辱と絶望の初戦の記憶を、再び目の当たりにしていた。
初戦。その日も、レイは確固たる自信を持って狙撃手を担当していた。
いつも通り、完璧な照準。
トリガーを引き絞るレイ。
放たれた弾丸は狙い過たず、怪獣の頭部を完璧に撃ち抜いた——はずだった。
しかし、純粋種は止まらなかった。
破壊された肉体の隙間から、禍々しい木の根が弾丸のように射出され、目前まで迫っていた。
死を覚悟した。
(あの時、茜の咄嗟の機転がなければ……俺は死んでいた)
完璧だったはずの自分。
レイの中にできた、初めての明確な敗北。
前回の戦い。名誉挽回とばかりに、その日もレイは狙撃手だった。
だが、結果は悲惨だった。
ハリネズミ型の猛攻を前に、レイの武尊は右腕を破壊され、その圧倒的な力を前に再び絶望しかけた。
残った左腕でライフルを撃ち、辛くも勝利をもぎ取った。
(あの時も、茜の完璧なオペレーションと機転がなければ、俺たちは負けていた)
勝利の栄光の裏にある、明確な己の失態。
戦うたびに削られていく「完璧な自分」というプライド。
それもまた、この戦場で得てしまった残酷な現実だった。
(俺にはもう、パイロットとしての価値なんて無い)
レイは天も地もない暗闇の中で、ふと後ろを振り返る。
遥か遠く、激しい水の奔流に打たれながら、必死に自分と向き合っていた凪の姿が、闇の向こうに微かに見えた気がした。
(俺がここに来たのも、あいつについていけば、何か完璧に戻れる方法があるかもしれないと思ったからだ。あいつみたいに強くなれる方法が……)
レイは果てのない暗闇を見渡した。
どこまでも静かで、冷たい世界。
(俺は……死んだのかもしれないな……)
もう、完璧を求めて誰かの期待に応える必要もない。
これ以上、傷ついて失望されることもない。
レイは自嘲気味に息を吐くと、すべてを諦めたように、ゆっくりと、その深い暗闇の奥へと歩いていった。
「レイ……!」
深い暗闇の底で、もう聞こえないはずの茜の声が、はっきりと耳の奥へ届いた。
ハッとして見上げた暗闇の向こう、淡く光る一本の「裂け目」が走る。
その光の向こう側に、必死に自分を呼び続ける茜の姿が見えた。
「あ……かね……?」
吸い寄せられるように、レイはゆっくりとその裂け目に向かって、手を伸ばしていく。
それに導かれるように、忘れていたもう一つの記憶が、温かい光となって溢れ出してきた。
二年前、まだ“怪獣”の出現が世界を狂わせ、混迷の極みに陥れていた頃。
一度、凛が怪獣に取り込まれて暴走した時があった。
あの時、レイは茜とバディを組み、ジープに飛び乗って豪隊長の駆る試作型武尊のバックアップに奔走したのだ。
自分が運転手を務め、助手席の茜がガトリング砲を握る。
完璧な戦果などどうでもよかった。
ただ「茜を守る」ということだけのために、泥を撥ね上げ、死に物狂いでジープのステアリングを回し続けた。
あの時、弾倉を交換しながら、茜は戦火の中で笑って言ってくれたのだ。
『レイが隣にいるから、私は安心して戦えるんだよ』
(何で……今になって、こんな光景を思い出すんだ……? あの時、俺は何も言わなかったけれど……)
冷え切っていたレイの心が、内側からじわりと温かくなっていくのを感じた。
完璧な跡継ぎでなくても、100点を取れなくても、ただがむしゃらに誰かを守ろうとしていたあの日の自分を、彼女は最初から認めて、隣にいてくれたのだ。
◇
(俺はあの滝行の深淵で、一度すべてを諦めた……。そして、あの日の茜の言葉を、本当の意味で思い出したんだ)
大破し、警告音の鳴り響く現実のコックピット。
レイはゆっくりと目を開けた。
意識の混濁はもうない。
彼は震える手で、血に濡れたヘルメットを乱暴に脱ぎ捨て、床へと転がした。
(俺は、親の言う通りに従順で、常に完璧なエリートでいることだけが、誰かに信頼される唯一の条件だと思い込んでいた。……でも、違ったんだ)
『レイ……っ! レイ、お願いだから目を覚まして……!』
歪むメインモニターの向こう、ハリネズミ型純粋種の猛攻を盾となって防いでいる茜の機体が見える。
(茜は、俺が完璧だから一緒にいるんじゃない。不完全で、無様で、泥まみれになっても……いつもこうやって、俺を相棒だと信じて、頼ってくれている……!)
失った右足など、もう関係ない。
完璧な狙撃でなくてもいい。
今度こそこの手を伸ばして、隣の相棒を守り抜く。
「あ……かね……っ!!」
激痛の走る身体のすべてを使って操縦桿を限界まで引き絞った。
不完全な量産型武尊のフレームが軋み、火花を散らす。
地べたに這いつくばったまま、試作型スナイパーライフルの銃口を、茜へと迫るハリネズミ型純粋種の巨躯へと向けた。
照準など、もう型通りでなくていい。
人を守りたいという本能のままに、レイはトリガーを全力で押し込んだ。
試作型スナイパーライフルから放たれた渾身の弾丸が、夜の帳を真っ二つに引き裂き、ハリネズミ型純粋種のわき腹へと直撃した。
凄まじい爆発が巻き起こり、怪獣の巨体が大きくよろめき、悲鳴のような咆哮を上げた。
『レイ……!!』
煙の向こうから、通信機を通して、涙に濡れた茜の心からの安堵の声が響き渡った。
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