27話 修行の後 27-2
「いきま〜す!」
凛が勢いよく助走をつけて、青く澄んだ湖へと飛び込んだ。
高く吹き上がった冷たい水飛沫が、岸辺に残っていた三人へと容赦なく降り注ぐ。
「わっ! 冷たっ!」
一番前に立っていた凪は、その飛沫を正面からまともに受けて、一瞬にして全身ビショビショになってしまった。
そんな凪の様子を面白がりながら、凛は器用に背泳ぎでスイ〜っと沖の方へと泳いでいく。
「三人も早くおいでよ〜。すっごく気持ちいいよ!」
水面から顔を出した凛が、楽しそうに手招きをした。
「……まったく。ここで泳いだりしたら、バチが当たるよ」
凪は濡れた顔を拭いながら、呆れたように呟いた。
だが、その言葉を口にした瞬間——凪の胸の奥で、鮮烈な過去の記憶が蘇った。
それは、まだ世界がこんな風になる前。
凪と澪が『神機』を癒すために、初めてこの神秘的な湖を訪れた時のことだ。
今回と同じように、美しい湖面を見てはしゃいだ自分が、ここで水遊びをしようとした。
その時、隣にいた澪から、今の自分と全く同じ言葉を言われたのだ。
『凪、ここで泳いだりしたら、バチが当たるよ』少し困ったように笑いながら。
(立場が逆になっちゃってるな……)
切なくも愛おしい懐かしさに、凪の頬が自然と柔らかく緩む。
しかし、そんな凪の感傷をぶち壊すように、容赦のない水鉄砲のストレートが顔面に浴びせられた。
「な〜に一人でニヤニヤしてんの? もしかして、私の水着姿に見惚れちゃった?」
湖面から顔を出した凛が、勝ち誇ったような笑みを浮かべて水鉄砲を構えている。
凪は、なおも揶揄い続けてくる凛にカチンとムッとした。
「そ、そんな訳ないでしょ!」
そう言い返すや否や、凪は凛にお返しとばかりに足元で特大の水飛沫を蹴り上げ、そのまま勢いよく湖へと飛び込んだ。
「きゃっ!? ちょっと、何すんのよぉ……!」
不意打ちを食らった凛が、負けじと両手で凪に向かって激しく水をかける。
「やったなー!」
「そっちこそ!」
子供のように意地になって水をかけ合う二人。
そんな一連の騒ぎを岸辺から見ていた茜とレイは、揃って呆れ果てた顔で見つめ合っていた。
茜とレイは顔を見合わせ、小さく肩をすくめた。
しかし、戦場(湖)の中にいる凪と凛が、そんな高みの見物を許すはずがなかった。
二人は水をかけ合う手をピタリと止めると、ニヤリと視線を合わせて岸辺を睨みつける。
「おい、そこ二人! 大人ぶってんじゃないよ!」
凪と凛は一瞬にして急造の共同戦線を張ると、息を合わせて、茜とレイに向かって特大の水飛沫をブチかました。
バシャァァァン! と、文字通り頭から水を被った二人。
「あーっ! やったなー!」
さすがに我慢の限界がきた茜が、怒りの形相で湖へと飛び込んでいく。
そして、顔にかかった水を乱暴に拭いながら、本日何度目か分からない深い溜息をついて、レイもまた、観念したように静かに湖へと飛び込んだ。
湖面には四人の笑い声が響き渡っていた。
◇
一頻り水遊びで遊び、全員で声を上げて笑い合った。
先に限界がきた茜とレイは「休憩」とばかりに、肩をすくめながらテントの方へ向かって歩いていった。
二人を見送った凪も、自分も少し休もうと、水際にある平らな岩に腰をかけた。
まだ水に浸かったまま、ぷかぷかと湖に浮かんでいる凛の姿に、なんとなく目をやる。
「ねえ、さっきの『バチが当たる』ってなに?」
不意に凛から声をかけられ、凪は一瞬、戸惑って言葉に詰まった。
(あ、聞こえてたんだ……)
少し恥ずかしく思いつつも、凪は静かに、ポツポツと昔のことを話し始める。
「……二年前にここに来た時にね、同じことを言われたんです」
凪の頬が自然と緩んでいく。
「だからさっき凛さんに手招きされたとき、その時の言葉がパッと出てきちゃって」
後ろ頭を少しきまり悪そうに掻きながら答える凪。
その様子を横目で、泳ぎながら見ていた凛は、急に驚いたように水中で体勢を崩した。
「えっ!? 凪くんって、もしかして彼女いたの!?」
どこか懐かしそうで、大切そうに話す凪の様子から、凛は突飛な発想に至ったらしい。
「違いますよ! お姉ちゃんみたいなもんです!」
凪は慌てて顔を真っ赤にして否定した。
しかし、言い直しながらも心の中で澪のことを思い出し、自然と愛おしそうに目を細める。
「……その人、いまどうしたの?」
凛は、凪のその穏やかで、どこか切ない表情からただならぬ空気を感じ取ったのだろう。
水から上がり、濡れた身体のまま凪のすぐ隣に静かに腰を下ろした。
「説明は、ちょっと難しいんですけど……」
そう濁して、真・神機と澪が神機と共に封印されているあの大岩の方向へと目を向けた。
「亡くなったの?」
凛は心配そうに、凪の顔を覗き込んできた。
しかし、凪は力強く首を横に振った。
「亡くなってはいません。……そう信じてます。そして、絶対に僕が助けるんです」
今度は、一転して一切の迷いのない、力強い声で凛の瞳を見つめ返した。
凛も軍の人間として、凪の経歴はある程度知っていた。
彼が『真・神機』に乗って、人類の脅威である純粋種と最前線で戦っていたことも。
そして、その最後の戦いのときに何が起きたのかも……。
目の前の凪が抱えるものの大きさを察した凛は、二年前の純粋種の大量出現事件で何があったのかを、静かに推察した。
そして、優しく凪の背中を押すように笑いかけた。
「……そっか。じゃあ、その人のこと、絶対に助けてあげてね」
「はい! 約束ですから!」
凪は、自分に、そして空の向こうの澪に誓うように、さらに力強く返事をした。
凛はそれ以上、もう何も言わなかった。
けれど、西日に照らされながら、ただ静かに凪の隣に寄り添い続けていた。
◇
茜とレイは焚き火のところまで戻って、それぞれ簡易式の椅子に腰をかけた。
「……」
一瞬の沈黙。
パチパチと薪が爆ぜる音だけが、二人の間に流れる少しの気まずさを強調するように響いていく。
それは、初戦で味わった死の恐怖への申し訳なさか。
それとも、次戦で見せてしまった失態への悔しさか。
先に沈黙を破り、声をかけたのは茜だった。
「……レイが、何か一人で悩んでたのは知ってた」
茜は椅子の上で小さく膝を抱えた。
「純粋種との戦闘のことだよね? 初戦では本当に命を落としかけたし、その次の戦いでは、武尊の腕を無くした……」
茜は抱えた膝の間に、ぎゅっと顔を埋める。
「ごめんね……」
涙を堪えているのを悟られないように、その言葉を絞り出した。
先日の戦いは、結果だけを見れば勝った。
上手くいったはずだった。
しかし、自軍の損害状況を冷静に見れば、決して成功とは言えない内容だった。
そんな過酷な戦いの中でも、自分たちは確実に成長している、強くなっていると思えた。
しかし、レイが豪隊長に休暇申請を出したと聞いたとき、茜は自分が許せなくなった。
一番近くにいる身でありながら、レイの本当の苦しみや、追い詰められた気持ちを全く汲めていなかった。
それなのに、自分は凛と一緒にただ勝利を喜んでしまっていた。
その無邪気な感情が、今になって棘のように、茜の胸に深く刺さっていた。
必死に涙を堪え、肩を震わせる茜。
「……お前のせいじゃない」
レイが静かに、けれど明確に答えた。
その言葉に、茜は弾かれたように顔を上げる。「でも……!」
「これは、俺自身の問題なんだ」
レイはいつになく遠い目をして、暮れゆく天を見つめた。
「俺……自分で気づいてなかったが、完璧主義ってやつなのかもしれない」
自らの羞恥心を悟られないように、レイは茜に背を向けてぶっきらぼうに言葉を続ける。
「俺は……」
——その時だった。
静かな湖畔の空気を引き裂き、ジープの車内からけたたましい警告音が鳴り響いた。
軍の怪獣アラートだ。
茜とレイは一瞬でプロの顔に戻り、鋭く顔を見合わせた。
言葉は要らなかった。
二人は力強く頷くと、座っていた椅子を蹴立てるようにしてジープへと駆けていく。
「茜さん! レイさん!」
異変に気づいた凪と凛の二人も、水際から全力で走って来ていた。
レイは三人が滑り込むようにジープに乗り込んだのをバックミラーで確認するや否や、ギヤを叩き込み、アクセルを床まで踏み込んだ。
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