26話 自分の中の答え 26-2
心地よいそよ風が穏やかな湖面を揺らし、湖畔に佇む四人の頬を優しく撫でていく。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように静まり返った空間で、四人は焚き火を囲み、濡れて冷え切った体をじんわりと温めていた。
パチパチと薪が爆ぜる音だけが、静かな夕暮れに響く。
「……で、結局、何でこんなことになったの?」
茜のその厳しい眼差しに射すくめられ、凪とレイは顔を見合わせ、一瞬言葉を詰まらせた。
無理もない。凪とレイ自身、何が何だか分からずに頭の中が混乱しているのだ。
あの神秘的な純白の空間も、草薙の剣の手触りも、すべてが夢だったかのように現実の景色は静かだった。
とりあえず、あった事実だけを凪がおずおずと話し始める。
「当てもなくここに来てさ……二人で話し合って、ちょっと修行しようって話になったんだ」
凪が焚き火に乾いた枝を焚べると、赤黒い火の粉が夜の始まりに向かって高く弾けた。
「それで、滝に?」
隣で凛が、どこか不思議そうに問いかける。
「……」
黙って火を見つめているレイを横目に、凪は静かに頷いた。
「何故か、この近くに滝があるのを思い出してね」
「ふ~ん……。滝ねぇ?」
茜は納得がいかない様子で考え込むように、顎に手を当てて天を仰いだ。
「さっきも言ったけど……この森に、滝なんてあったっけ?」
「この辺は軍も調査に入ったけど、滝なんてなかったはず……」
茜は頭の中に僅かに記憶していた周辺の地形図を、必死に思い返している。
(やっぱり、軍も調査に来てたのかぁ……)
凪は心の中で呟いた。
ここは神機のゆかりの場所だ。
怪獣との戦いを経た軍が、この特異なエリアを調査せずにはいられなかったのだろう。
しかし、その軍の最新の地図にすら「滝」は載っていないという。
辺りを照らす太陽がゆっくりと山腹の向こうへと落ちていき、濃密な暗闇が静かに世界を支配しようとしていた。
「——明日、行ってみようよ」
それまで静かに話を聞いていた凛が、少し前のめりになって三人に提案した。
その瞳には、微かな好奇心が宿っている。
「私も、その滝を見てみたいし」
凛のその言葉に、他の三人は顔を見合わせ、やがて小さく同意の頷きを返した。
ただの幻だったのか、それとも確かにあの場所に「何か」があるのか。
凪は焚き火で淡く照らされた手のひらを見つめ、そして、ゆっくりと握った。
その手の中には、未だ草薙剣の感触が残っている気がした。
レイは静かに滝のあった方を見つめていた。
◇
翌朝、滝に向かう凪たち一行は、行く手を阻む鬱蒼と茂った草木に強い違和感を覚えていた。
「あれ……? こっちで合ってるはずなんだけど……」
凪は生い茂る緑の壁を前に足を止め、困り顔でレイに視線を向ける。
「いや、こっちで良かったはずだ。間違いない。」
いつも冷静なレイも、あからさまに困惑している様子だった。
昨日、二人が通ったばかりのルート。
だが、今の目の前には、何年も人が立ち入っていないかのような深い密林が広がっている。
高く茂った草をなぎ倒し、木々の間にかかった巨大なクモの巣トラップに顔を顰める。
「本当にあるの? 滝……」
凛はすっかり疲れ果てた様子で、太い木に手をついて息を整えていた。
「確かにあったんだ……」
凪は立ち止まってそう言いつつも、胸の中の違和感を拭いきれずにいた。
自分たちが昨日、必死の思いで歩いて通った場所なのだ。
もし通っていたのなら、へし折られた枝や踏み荒らされた草など、何かしらの痕跡があるはずだった。
だが、それすらも一切見当たらない。
(——昨日、俺たちは本当にここを歩いたのか?)
その時、凪の頭に一人の男の顔が浮かんだ。
澪の兄——お兄様の不敵な笑みだ。
「あの人の気まぐれか……?」
ポツリと呟きながら、凪はこの状況の正体を少しずつ理解し始めていた。
ここは、普通の人間が立ち入るべきではない、いわゆる神域なのだ。
神話時代に世界のために倒れたお兄様は、この地で長い年月を経て、湖の龍神のような存在になったとも言える——かもしれない。
そうなれば、この森のすべてはお兄様のテリトリーだ。
昨日のあの不可思議な滝も、純白の空間も、すべてはあの人が見せた幻影。
(また、俺に修行をつけてくれたってこと……か?)
そう気づいた瞬間、凪の顔に自然と柔らかな笑みが戻っていた。
「……どうしたの?」
その変化を見逃さず、茜が心配そうな顔で凪の横顔を覗き込んできた。
「あ、いや……迷っちゃったみたい」
凪は後ろ頭をポリポリと掻きながら、咄嗟に嘘をついた。
お兄様や神域の話なんて、信じてもらえるはずがないだろうし、これは、自分だけが胸にしまっておけばいい。
「さ! 湖に戻ろう! もっと深く迷う前にね!」
「ちょっと、諦めるの早すぎない!?」
「男二人が揃って何やってんのよ……」
文句を言う茜と凛の背中を、凪は「ごめんごめん!」と苦笑しながら強引に押して、元来た道を下山し始める。
賑やかな二人の文句を聞きながら、凪は歩みを止めることなく、ゆっくりと一度だけ後ろを振り返った。
「ありがとう」
凪の口をついた小さな感謝の言葉は、そよ風に溶けて、静かな森の奥へと消えていった。
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