26話 自分の中の答え 26-1
凪の頭の中に、あの日の、世界の終わりを思わせる凄惨な光景が鮮烈に蘇る。
(俺は……。俺も本当はあの時、澪ちゃんと一緒に封印されるつもりだった。)
焔の策略によって、日本全土へと一斉に解き放たれた、異形なる存在——「純粋種」という名の怪獣たち。
地鳴りのような足音を立て、何万という数の巨体が、人々の暮らす街へと容赦なく行進していく。
絶望が世界を覆い尽くそうとしていた。
(今思えば、あの時、俺たちが考えていたことは一緒だったんだ。)
かつて、お兄様が世界を救うために成し遂げた、命懸けの術。
純粋種を無限に生み出し続けるあの禍々しい大穴を、自らの命を楔として封印する。
生身の肉体を、決して壊れることのない巨大な「岩」へと変えて——。
凪もまた、彼女と共にその宿命を背負い、大岩になる覚悟を決めていた。
(でも……!)
非情な現実が、凪の覚醒した意識を突き動かす。
あの時、凪は真・神機のコックピットから、強制的に排出された。
焔の神機の手の上に叩き落とされ、今のこの空間と同じように、凪は絶望の中で天を仰いだ。
(あの時、俺は……。お前にはまだ、この重荷を背負う資格はない。そう言われている気がしてならなかった。……!)
凪の手が届かない遥か上空、真・神機は澪ただ一人を乗せたまま、大穴へと急降下していく。
そして——激しい閃光。
天を衝くほどのまばゆい光に包まれた真・神機は、澪の命を引き換えにして、大穴を完全に塞ぐ巨大な大岩へとその姿を変えた。
世界は救われ、凪だけが、拒絶された痛みを抱えたまま地上に取り残された。
◇
凪は泣き腫らした顔のまま、再び天を仰いで真・神機を見つめた。
真・神機は何も言わず、ただ変わることのない圧倒的な慈悲の眼差しを凪に向けている。
「俺は……。だから、強くなろうとした」
あの日、大穴の前に取り残された無力な自分。
力不足だと突き放されたあの絶望を埋めるために軍に入り、血反吐を吐く努力を重ねて武尊のパイロットになった。
残存する純粋種も、この手で倒した。
それなのに、なぜ自分はこんなにも焦り、苦しんでいたのか。
凪の脳裏に、小さな火花が散るような感覚が走る。
「俺は……澪ちゃんに認められようとして……焦ってたのか……?」
大岩となってしまった澪を救い出し、焔を救い、そして、ミズホノメを救う。
そうすることで自分は認められるのだと、無意識のうちに思い込んでいた。
しかし、思考の深淵で、もう一つの問いが凪を突き刺す。
(何故、認められようとした……?)
その瞬間、凪の胸の奥底に澱のように溜まっていた、本当の痛みが形を成した。
疎外感。
澪、お兄様、ミズホノメ、そして、焔。
彼らはみな、神話時代からの永い因縁の戦いの中に生きる特別な存在だった。
そのあまりに巨大な宿命の輪の中で、自分だけが、何の後ろ盾もないただの"普通の人間"だった。
「俺は無意識のうちに、劣等感を抱いていたのか……?」
怪獣を倒すことに、ただ必死だった。
力なき人間だからこそ、幾度も泥を啜り、ボロボロになりながらも勝利を掴み取ってきた。
その傷跡こそが自分の誇りだったはずなのに。
あの時——真・神機から一方的に排出され、地上に置き去りにされたあの瞬間に、凪の心の奥底で眠っていた闇が完全に顕現してしまった。
「俺は無意識のうちに……彼らに認められてないと思っていたんだ。」
神話の登場人物たちに囲まれて、独り、普通の人間として取り残される恐怖。
自分だけがその輪に入れないという劣等感。
すべてを吐き出した凪の言葉が、自分の中に染み渡っていく。
真・神機の慈悲深い眼差しが、静かに凪から移動した。
その視線の先にある一点を——巨大な指先で、真っ直ぐに指し示した。
凪は真・神機が示す方向へと、引き寄せられるように顔を向けた。
「大穴……?」
そこにあったのは、あの忌まわしき世界の亀裂。
澪が自らの命と引き換えに封印した大穴だった。彼女が自らを犠牲にして作り上げた「大岩」が、今も禍々しい闇を塞ぐようにして鎮座している。
凪は、吸い込まれるように大岩へと歩み寄っていった。
一歩、また一歩と近づくにつれ、大岩の根本、冷たい土の隙間から、淡い光が漏れ出しているのが見えた。
「なんだ……?」
凪は膝をつき、夢中でその土を掻き分けた。
地面に深く埋まっている“何か”を、指先を泥にまみれさせながら掘り出していく。
やがて、その全貌が露わになった瞬間、凪の息が止まった。
「これは……!」
そこにあったのは、かつて数々の戦場を共に駆け抜けた、真・神機の愛刀——『草薙の剣』だった。
なぜ、これがここにあるのか。
真・神機から切り離され、澪一人で大穴に向かったはずのあの日、なぜこの最強の武器が、凪が排出された大地のすぐ近くに遺されていたのか。
「そうか……!」
凪は震える両手で、その重厚な柄を力強く掴み、地上へと引き抜いた。
神話の戦いに、普通の人間である自分がついていけないのではない。
力不足だから置いていかれたのではない。
彼女は、自分の一番大切なものを、この世界に残る最高の力を——他でもない、ただ一人の人間である「凪」にすべて託して逝ったのだ。
最初から、誰よりも信じられていた。
まばゆく光る草薙の剣の刀身に、凪の目から溢れた涙がぽつりと落ちて、波紋のように広がっていく。
「最初から……。」
「俺は認められてたんだな。」
劣等感も、疎外感も、すべてがその涙と共に洗い流されていく。
凪のその言葉に呼応するように、脳裏を過ったのは、あの日の悲しい別れではない。
優しく、確かに自分へ信頼を寄せていた、澪のあたたかな微笑みだった。
そして——草薙の剣から放たれた圧倒的な黄金の光が、凪の全身を包み込んだ。
◇
「凪……」
耳の奥で、何かが聞こえる。
「レイ……」
体が激しく揺さぶられた気がした。
「凪!」
鼓膜を震わせる切迫した叫びに、凪の意識は一気に現実へと引き戻された。
「わっ!」
凪は弾かれたように飛び起きた。
目の前にいたのは、眉を吊り上げ、今にも泣き出しそうな顔で自分を覗き込んでいる凛だった。
視界が開ける。
まばゆい陽の光が降り注ぐそこは、神秘的な美しさを湛えた湖畔だった。
自分たちが設営したテントの傍ら。
草の上に、凪とレイは並んで倒れていたのだ。
「レイ!」
すぐ隣では、茜が必死になってレイの肩を揺り起こそうとしている。
レイはその声にうめき声を上げ、混乱した様子でゆっくりと体を起こした。
「あんたたち、なにしてんの!」
二人が完全に目覚めたのを見届けるや否や、茜が腰に手を当てて鋭く怒鳴りつけた。
しかし、その大きな瞳にはみるみるうちに涙が溜まっていく。
「心配したんだから……!」
いつも元気な凛までも言葉を詰まらせ、 そのまま凪の胸へぽすんと顔を埋めた。
肩を震わせる彼女の温もりと涙の感触が、凪の胸にリアルに伝わってくる。
凪とレイは、狐につままれたような顔で、本当に何が何だか分からない様子だ。
なぜこんな場所で女の子二人に泣かれているのか。
「あんたたち、私たちがここに来た時、湖のど真ん中に浮いてたのよ!」
「はあ!?」
凪とレイの声が完璧に重なった。
二人は森の奥の激しい滝に打たれ、己の深淵で修行をしていたはずだ。
それなのに、なぜ滝から遠く離れたこの湖の真ん中で溺れかけていたのか。
凪とレイは顔を見合わせる。
お互いの顔に浮かんでいるのは、全く同じ「意味が分からない」という純粋な疑問の表情だった。
「もしかして……水遊びして溺れちゃったの……?」
茜が涙を拭いながら、本気で心配そうに、どこか呆れたような声を出す。
「水遊び……?」
その言葉に、凪とレイは己の身なりに目をやった。
そして、ようやく今、自分たちが上半身裸のままだということに気づく。
「いや! 水遊びなんて——」
凪が慌てて弁明しようとするが、滝があったはずの方向を振り返っても、そこには穏やかな森の景色が広がっているだけだった。
「なんで……?」
あの轟音はもう聞こえなかった。
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