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三年間名ばかりの妻でしたが、離縁届を置いて出ていきます。――え、隣国の皇太子が私を望んでいる? もう遅いですよ、旦那様  作者: 物語創造者≪イマージェン・クリエイター≫
第8話 「おかえりなさい、が聞きたくて」

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8-3

フローラ・メルニク。


かつてアンドレイの愛人として公爵邸に君臨した男爵令嬢は、今、王都の社交界の隅に追いやられていた。


公爵邸を出た後、別の貴族の元に身を寄せたが、リゼットの聖女認定と皇太子妃就任の報が広がると、風向きが変わった。


「あの方、聖女様を追い出した公爵の愛人だったんですって」


「聖女様を冷遇した家に居座っていた女ですってよ」


「まあ。恥知らずな」


社交界の目は容赦がなかった。


フローラを受け入れていた貴族も、聖女の名声が高まるにつれて距離を置き始めた。ヴェルグリアとの外交関係を考えれば、聖女を虐げた側に与するのは得策ではない。


「あの地味な女が、聖女ですって……? 信じられない。私の方がずっと華があるわ……!」


フローラの言葉に耳を傾ける者は、もういなかった。


彼女は最後まで、リゼットの価値を理解できなかった。


その事実が、彼女の思慮の浅さを、愚かさを示していた。


華やかさだけが取り柄だった女が、華やかさすら失っていく。


静かに、確実に。



季節は巡り、冬が来た。


ヴェルグリア帝国の冬は、隣国よりもずっと雪が深い。


宮殿の庭園は一面の銀世界。


リゼットは窓から雪景色を眺めていた。


手のひらを開く。淡い光が灯る。もう自在に操れるようになっていた。


「何を見ていますか」


セドリックが背後から声をかけた。


「雪。……ヴォルコフの屋敷でも雪は降りましたが、一人で見ていたから、寒かった」


「今は?」


「温かい。あなたがいるから」


セドリックがリゼットの隣に来て、一緒に窓の外を見た。


「リゼット」


「はい」


「幸せですか」


アンドレイが最後に訊いた問い。同じ言葉。


でも響きが全く違う。


アンドレイは自分が与えられなかったものを、他の誰かが与えているのかと確かめるために訊いた。


セドリックは自分が与えているものが、ちゃんと届いているかを確かめるために訊いている。


「幸せです」


同じ答え。でもこちらの方が、ずっとずっと、自然に出てきた。


「あなたは?」


「私?」


「私ばかり訊かれますが、あなたはどうなんですか」


セドリックは少し驚いた顔をした。


それから、照れたように笑った。


耳が赤かった。もう数えるのはやめたはずだが、反射的に数えてしまう。


「……幸せですよ。こんなに幸せでいいのかと思うくらい」


「いいんです。いいに決まっています」


窓の外で、雪が静かに降り続けている。


「セドリック」


「はい」


「一つ、言いたいことがあります」


「何でしょう」


リゼットはセドリックの方を向いた。


蒼い瞳を、真っ直ぐに見つめた。


「あの日、街道で泣いていた私に、手を差し伸べてくれてありがとうございました」


「……それは、もう何度も」


「最後まで聞いてください」


セドリックが口を閉じた。


「外套をかけてくれて、ありがとう。馬車に乗せてくれて、ありがとう。名前を呼んでくれて、ありがとう。花を用意してくれて、ありがとう。ドレスを選んでくれて、ありがとう。焼き菓子を忘れないでくれて、ありがとう。美しいと言ってくれて、ありがとう。十年待つと言ってくれて、ありがとう。隣にいてくれて、ありがとう」


一つずつ。


二人の間にあった全てのことを、一つずつ。


「私の手を握ってくれて、ありがとう。私を見つけてくれて、ありがとう」


声が震えた。


「あなたに出会えて、本当に、よかった」


セドリックの蒼い瞳が、潤んでいた。


この人が泣きそうになるのを見るのは、初めてだった。


「……ずるい」


「何がですか」


「全部言われたら、返す言葉がない」


「では一言だけ、返してください」


「一言?」


「はい。私が、どこかへ出かけて。ここに、あなたのそばに、帰ってきた時に――」


セドリックはその言葉の真意を察して、潤んだ目のまま、優しく笑った。


そして、深く息を吸い、言った。


「――おかえりなさい」


リゼットの目から涙がこぼれた。


おかえりなさい。


三年間、誰にも言ってもらえなかった言葉。


屋敷に帰っても「おかえり」はなかった。実家に戻っても「おかえり」はなかった。


ここが自分の居場所だと、この人の隣が自分の帰る場所だと。


たった一言で、全部が伝わった。


「……ただいま」


セドリックがリゼットを抱きしめた。


雪の降る窓辺で。


二人の手のひらが、温かく光っていた。


第8話 了

これは、ある一人の女性の物語。


三年間、名ばかりの妻だった女性が、自分の足で歩き出し、自分の価値を取り戻し、自分の居場所を見つけた物語。


彼女の手のひらは、今日も光っている。


誰かを癒すために。


大切な人を守るために。


そして、自分自身を愛するために。

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