6.5-1
離縁届の署名が完了した翌日。
外交官を通じて正式に通達が届き、リゼットとアンドレイの婚姻は法的に解消された。
リゼット・セレブリャコフ。
もう誰の妻でもない。誰のものでもない。自分だけの名前で、自分だけの場所に立っている。
解放されたはずだった。
なのに、その夜、リゼットは眠れなかった。
◇
寝台に横たわり、天井を見つめる。
月明かりが薄いカーテン越しに差し込んで、部屋を青白く染めている。
三年間の婚姻が、今日終わった。
悲しいわけではない。後悔もない。正しい結末だと思う。
ただ、体の奥に、不思議な空洞がある。
三年間、ずっとそこにあった空洞。冷遇されていた日々の中で、気づかないふりをしていたもの。
誰かに触れられたい、という空洞。
誰かに望まれたい、という空洞。
白い結婚。初夜のない結婚。
アンドレイは一度もリゼットの部屋に来なかった。一度も手を伸ばさなかった。触れようとすらしなかった。
最初の頃は、いつか来てくれるのだろうと思っていた。夫婦なのだから。いつかは。
一年が過ぎた。
二年が過ぎた。
三年目に、理解した。来ないのだと。永遠に。
自分の体は、望まれないのだと。
「…………」
右手を見る。月明かりの中で、かすかに光っている。
この手は聖女の手だと言われた。歴代最高の素質があると。
でもこの手は、三年間、誰にも握ってもらえなかった手でもある。
セドリックが初めて握ってくれた。
あの温もりを、まだ覚えている。
寝台の上で、自分の手を胸の上に置いた。心臓の鼓動が、手のひらに伝わる。
昨夜の図書室を思い出す。
セドリックの腕の中の温かさ。心臓の速さ。シャツ越しに感じた体温。
受け取りたい、と思った。
あの人の気持ちを。
でも気持ちだけではなく――もっと。
もっと近くに。もっと深くに。
自分の体が、こんなふうに何かを求めることがあるのだと、知らなかった。三年間、封じ込めていたから。望んでも無駄だと分かっていたから。
今は違う。
今は、望んでいい人がいる。
ノックの音がした。
心臓が跳ねた。
「リゼットさん。起きていますか」
セドリックの声だった。低く、少し躊躇いを含んだ声。
「……はい」
「灯りが消えていたので、眠れないのかと。余計なお世話でしたら、このまま戻ります」
リゼットは寝台から立ち上がった。
薄い寝巻き一枚。髪は下ろしたまま。
こんな姿を見せたことはなかった。いつも昼間の、きちんとした姿しか見せていなかった。
扉の前で、一瞬だけ迷った。
そして開けた。




