5-2
翌日から、リゼットの新しい生活が始まった。
聖女候補としての検査と訓練。宮廷の神官たちがリゼットの力を測定し、基礎的な浄化の術を教える。
結果は、神官たちの予想をはるかに超えていた。
「これは……聖女の素質どころではない。完全覚醒すれば、歴代最高の浄化力になり得る」
「信じられん。この力がなぜ今まで発見されなかったのだ」
「隣国で三年間、ただの公爵夫人として埋もれていたというのか?」
神官たちのざわめきを、セドリックは静かに聞いていた。
その瞳の奥に、一瞬だけ冷たいものが過ぎったことに気づいたのは、リゼットだけだった。
怒り。
リゼットの力を三年間無視し、冷遇し、無意味と呼んだ人々への。
だがそれはすぐに消え、いつもの穏やかな微笑みに戻った。
「リゼットさん、訓練の後は庭園でお茶にしましょう。焼き菓子を用意させてあります」
「……本当に忘れないんですね」
「約束は守る主義です」
庭園のテーブルには、色とりどりの焼き菓子が並んでいた。
一口食べた時、目を見開いた。
「……美味しい」
「でしょう。世界一と申し上げました」
「これは確かに……世界一かもしれません」
「もう一つどうぞ。遠慮は」
「要らない、ですよね」
リゼットが先に言うと、セドリックは嬉しそうに目を細めた。
「覚えていてくれましたか」
「忘れません」
焼き菓子を頬張りながら、リゼットは思った。
こんなふうに、ただお茶を飲んで、甘いものを食べて、穏やかに笑い合う時間。
これが「普通」なのだとしたら、自分の三年間は何だったのだろう。
考えると悲しくなるから、今は考えない。
今はただ、この焼き菓子が美味しいことと、目の前の人の笑顔が温かいことだけを感じていよう。
◇
平穏な日々は、七日間続いた。
八日目の朝。
宮殿に、一通の外交書簡が届いた。
「殿下。隣国より、ヴォルコフ公爵が外交使節として入国を申請しております」
セドリックの侍従が報告した。
セドリックの手が、ティーカップの上で止まった。
「ヴォルコフ公爵。……リゼットさんの元夫ですか」
「はい。目的は『聖女候補に関する両国間の協議』とのことですが」
「協議、ね」
セドリックの声は穏やかだった。穏やかだったが、蒼い瞳の温度が一段下がったことに、侍従は気づいていた。
「入国を許可しますか」
「……拒否する理由はありません。外交使節として正式に申請されている以上、門前払いはこちらの品位を落とす」
セドリックはティーカップを置いた。
「ただし」
「はい」
「リゼットさんに直接面会する場合は、必ず私の同席のもとで行うこと。それを入国の条件にしなさい」
「かしこまりました」
侍従が去った後、セドリックは窓の外を見つめた。
庭園ではリゼットが神官たちと浄化の訓練をしていた。白い光が手のひらから溢れ、花壇の萎れた花が一斉に咲き直す。神官たちが歓声を上げ、リゼットが驚いた顔をして、それからはにかむように笑う。
その笑顔を見つめたまま、セドリックは静かに呟いた。
「あなたを傷つけた人間を、あなたの前に立たせたくはない」
拳が、わずかに握られていた。
「――だが、あなたが望むなら、会わせよう。その代わり、私はあなたの隣にいる。何があっても」
◇
リゼットがアンドレイの来訪を知ったのは、その日の夕方だった。
訓練を終え、部屋に戻ると、セドリックが待っていた。
「リゼットさん。一つ、お伝えしなければならないことがあります」
穏やかだが、いつもよりわずかに慎重な声音。
「何でしょうか」
「ヴォルコフ公爵が、ヴェルグリアに来ます。外交使節として。三日後に到着する予定です」
ヴォルコフ公爵。
アンドレイ。
名前を聞いた瞬間、胸の奥がきゅっと縮んだ。
恐怖ではない。怒りでもない。もっと古い、三年かけて体に染みついた反応。
自分が小さくなる感覚。
声が出しにくくなる感覚。
存在を薄くしなければならないという、あの感覚。
「リゼットさん」
セドリックの声が、その暗闇を破った。
「会いたくなければ、会わなくていい。私が全て対応します。あなたは部屋にいてくれればいい」
「…………」
「ただ、もし会うと決めるなら、私が隣にいます。一人にはしません」
リゼットは自分の手を見た。
今日の訓練で花を咲かせた手。光を宿す手。
三年間、帳簿を捲り、薬草を刻み、誰にも気づかれずに領地を支えた手。
この手は、もう震えなくていいはずだ。
「……会います」
顔を上げた。
「会って、きちんと終わりにしたい。あの人との間に残っているものを、全部」
セドリックは一瞬、何かを言いたそうな顔をした。
心配。あるいは、もっと別の何か。
だがすぐに頷いた。
「わかりました。あなたがそう決めたなら。……ただ一つ、約束してください」
「何でしょう」
「辛くなったら、私の手を握ってください。それだけで、私はあなたを連れ出せますから」




