5-1
ヴェルグリア帝国の国境を越えたのは、旅の六日目だった。
国境の門をくぐった瞬間、空気が変わった。
街道は整備され、沿道には色とりどりの秋花が植えられている。すれ違う人々の表情が明るい。子供たちが馬車に手を振っている。
「ヴェルグリアへようこそ、リゼットさん」
セドリックが穏やかに言った。
「……綺麗な国ですね」
「気に入っていただけたなら嬉しい。これからあなたが暮らす国ですから」
暮らす国。
その言葉の重さに、胸が少しだけ締まった。
もう後戻りはできない。いや、戻る場所など最初からなかったのだけれど。
国境の門では、守備隊の兵士たちが一列に並んで敬礼していた。皇太子の帰国に対する礼だろう。
だが、兵士たちの視線はセドリックではなく、その隣を歩くリゼットに注がれていた。
「あの方が聖女候補……」
「皇太子殿下がじきじきにお連れになったという……」
囁きが聞こえる。
リゼットが身を縮めると、セドリックが自然にその背に手を添えた。
触れるか触れないかの距離。けれど確かにそこにある温もり。
「堂々としていてください。あなたは招かれた客人です」
「……はい」
背筋を伸ばす。
セドリックの手が離れた後も、背中にはその温もりが残っていた。
◇
帝都ヴェルグラードは、リゼットが想像していたよりもずっと大きかった。
白い石造りの建物が立ち並び、広い運河に小舟が行き交い、市場からは焼き菓子の甘い香りが漂っている。
「約束の焼き菓子、忘れていませんよ」
馬車の窓から市場を見つめるリゼットに、セドリックが言った。
「まずは宮殿にご案内します。あなたの部屋を見ていただきたい」
「私の部屋……」
宮殿に着くと、リゼットは言葉を失った。
案内されたのは、客間ではなかった。
宮殿の東翼、陽当たりの良い一角。広い居室に、書斎、寝室、専用の浴室。窓からは宮殿の庭園が一望できる。
「ここは……客間にしては広すぎませんか」
「聖女候補の居室として用意しました」
「聖女候補の居室に、この規模は必要でしょうか」
「必要です」
「セドリック様」
「はい」
「嘘が下手ですね」
セドリックが目を逸らした。ほんの一瞬、だが確かに。
「……鋭いと、前にも申し上げましたね」
「だって、その……この部屋はあまりにも、豪奢です」
リゼットが少し笑うと、セドリックも観念したように笑った。
「正直に言えば、最も良い部屋を用意するよう指示しました。公的な理由は後からつけました」
「やはり」
「怒りますか」
「いいえ」
怒るはずがなかった。
ヴォルコフ公爵邸では、東の端の暗い部屋を与えられた。日が差さず、冬は底冷えのする部屋。実家に戻れば使用人棟。
それが、自分に相応しい場所だと思っていた。
なのにこの人は、最も良い部屋を、当然のように。
「ありがとうございます、セドリック様。……大切に、使わせていただきます」
「大切に使わなくてもいいですよ。自分の部屋なのですから、好きに散らかしてください」
自分の部屋。
その言葉を噛みしめた。




