白日の下
唖然と立ち尽くすエルザの前には、一瞬で作られた分厚い光の壁が立ちはだかっている。
「一体、何……?」
光の壁ができたこと以外、森の景色は何ら変わっていなかった。壁の内側も普段通り木々は揺れ、鳥たちも自由に動き回っているようだった。うさぎが、草の隙間に隠れているのが見える。それなのに、何かが焼けたようなひどい悪臭が漂っている。
村の上空を見やる。
集まっていた黒い霧は、驚いたように霧散し薄くなっていた。
先ほどの光のせいだろうか。
エルザが目の前にある壁へ手を伸ばしかけたとき「触るな!」と誰かの叫び声が響いた。エルザの肩が跳ねた時、背後の木が揺れた。
振り返った先に、ベイシアらと同じ紋章の入った鎧を身に着けた兵士がいた。力なく、よろよろと倒れ込む。
ベイシアが駆け寄り、片膝をつく。
肉と血が焼かれたような臭いが、兵士から漂っていた。
ベイシアは、倒れ込んだ兵士の腕を覆っている甲冑を取り外していた。
隠れていた部分が露になった腕は、皮膚がすべて焼けただれ、真黒くなっている。エルザは、口元へ手をやり思わず目を背けた。カイも息をのむ。
「一体何があった?」
ベイシアは兵士を気遣いながらも、厳しく問うた。兵士は、息を切らしていた。
「この壁の、向こう側の村近くで……警戒に当たっていたとき、突如、村から光が放たれました……。光に立ち向かおうとしたのですが、外へと弾き飛ばされ、重度の火傷を負い、壊滅状態です……」
ベイシアの額に、痛々しい皺が刻まれていく。
スリムは、チッと舌打ちをするといらついた表情で、手に持っていた矢を光へ放った。矢は一瞬で灰と化し、焦げ臭さだけが残る。
「村の人たちは、無事でしょうか?」
エルザは、兵士に駆け寄って、すがるように尋ねる。兵士は「わからない」と、絞り出すように言った。
「お母さん……」
モニカの笑顔がはっきりと思い浮かび、全身から血の気が引いていく。
兵士が痛みで歪めていた目を見開いた。
「弾き飛ばされ、重傷を負った兵士たちの中に……一人だけ住人らしき子供が、紛れていた」
エルザとカイは、顔を見合わせる。
ぶつかった視線に、村人たちの顔が次々と思い浮かぶ。
「しかしひどい火傷を負っていて、とても助かるような状況では……」
エルザは、弾かれるように走り出し、カイもその背中を追っていた。
しばらくすると、兵士たちのうめき声が聞こえてきた。その方向へつま先を向ける。
草をかき分けて進んでいくと、開けた広場のような場所に出る。
その場所に、見覚えがあった。エルザが山菜を取りに来た時、必ず立ち寄る休憩場所だった。
いつもならば野花が優雅に揺れているが、今は兵士たちが倒れていた。
三十はいる。大きな体の兵たちから、焦げ臭さと血の臭いが漂っている。その真ん中に馴染みようもないものが、紛れ込んでいた。
村長の孫――トマスだった。
「トマス!」
小さな体は、たった今絶命してもおかしくない全身の火傷をしている。エルザの手は、無意識に動いていた。小さな体に手のひらを翳そうとした時、カイがその手を阻んだ。
エルザはカイを睨みつける。
「何をするの!」
一刻を争う状況だ。しかし、カイの瞳は揺れない。冷静にゆっくりと周囲を見ろと、促した。
エルザはイラつきながらも、カイの茶色い瞳を追いかける。スリムがじっとこちらを観察している鋭い眼差しと目が合った。
今のエルザたちの行動が、スリムの目には不可解に映っていることは間違いなさそうだった。
スリムの視線は完全に二人に釘付けで、警戒の色が浮かんでいる。
これからすることは見られてはまずい。
カイの瞳は、訴えてくる。
壁の向こう側の上空に漂う黒い霧を見る。
ざわざわと草が揺れた。
ベイシアも、先ほどの負傷者を担いで現れた。周囲の状況を聡明な瞳で確認し、兵士を木の根元に寄りかからせ、静かに降ろす。他の倒れている重傷者のもとへ行き、片膝をついて声をかけていたが、横目でエルザたちの様子を見ている。
一度だって足を踏み入れたことがない城の者たちが、この場所へ聖女とやらを探しに、わざわざやって来た。
この場で傷を癒せば、聖女というレッテルを貼りつけられる。そして、二度と剥がれることはないだろう。 あの霧は、ベイシアが言っていた『悪魔』なのだとしたら、それを呼び起こした責任を問われるかもしれない。
カイが言いたいことは、十分わかっている。 二度と村に、戻ることはできないかもしれない。
トマスを見やる。懸命に生きようとしている息が聞こえる。
「……カイは、トマスを見捨てることができる?」
カイが息をのむ。カイは眉間に深い皺を寄せて、唇をかんでいた。そう言えば、カイに苦悩が浮かぶことはわかっていた。
「こうなったのは、私のせいよ」
エルザの唇が震える。
みんなを危険な目に合わせたのは、自分の責任だ。
力を使うなと言われてきたのに、守らなかった結果だ。
今しがたできた壁は、人の力では、どうすることもできないとでも言わんばかりの重厚さを増している。
トマス以外の村人たちが、今どうなっているのかわからない。壁の外にいるのか、中にいるのか。無事なのか、そうじゃないのかさえも。触れることさえもできない壁の前では、なすすべがない。
でも、私にできることが一つだけある。私がどうなろうが、どうだっていい。
エルザは、俯くカイに目を細め、自分の手を見つめた。
ベイシア、スリムをはじめ、倒れている兵たちの視線も一斉にこちらへ集まる。
その中、淡い光がゆっくりと放たれた。その場にいるすべての人間の視線は、その光に釘付けになっていた。




