絶望の足音
エルザはルーンに跨って、森を駆けていた。遠くから聞こえてくる歌声はエルザを追いかけ、急かす。
夜の森は、この世界の暗さをかき集めている。
「たとえ今夜月が出ていたとしても、夜の森を駆け抜けるなんて、無茶だ!」
ついさっきカイに怒鳴られた声が頭の中で何度も木霊してくる。
そんなことは、わかっている。それでも、行かなきゃ。お母さんを助けなきゃ。
手綱を握る手の中は汗にまみれているのに、指先は感覚がなくなるほど冷たかった。
木々をすり抜けていく度に、肌に鋭い痛みが走った。
その時、突如ドンっという衝撃と共にルーンが悲鳴を上げた。ルーンの体が真横に傾いて倒れ、エルザも地面へ投げ出された。
全身地面に叩きつけられ、体中うねるような痛みが駆け巡った。
いったい何が起きたのか。
痛みを押し返して両手をついて、なんとか立ち上がり、倒れているルーンの元へ駆け寄った。
「ルーン、どうしたの?」
ルーンの苦しそうな息遣いに気づき、その横で屈む。
身体を隈なく確認する。臀部に矢が刺さっていた。
誰かいる。振り返ろうとした時、何かが空気を切り裂いた。
エルザの足元に、突き刺さる。ルーンを刺した矢と同じだった。
「誰!?」
エルザの背筋が凍り付いた。
首に冷たいものが触れている。暗闇の中でも鈍く光っている。
「何をしている」
野太い声だった。エルザの細い首がごくりと動く。
どこかでランプが灯され、ぼんやりと光が放たれた。
森の暗闇が消えて、エルザの首に剣を突き付けている男の姿が露になる。
全身金の甲冑で覆われた大男。その胸に、白の紋章が刻まれている。
「……アザレア城の、兵?」
甲冑男の隣にいるランプを持った目つきの悪いスキンヘッド男が答えた。
「お前は誰だ!」
ランプを持っていない方の手に、弓があった。エルザの頭へ一気に血が上った。
「それは、こっちの台詞よ! いきなり矢を放ってくるなんて、どういうことよ!」
「口の利き方に気をつけろ! ガキめ!」
ランプを持っていた男が、空いている手を振り上げた。その手のひらがエルザの頬に狙いを定める。振り下ろされそうになったところで、金色の甲冑の男がその手を掴んだ。
エルザの目の前で、大きな手が止まる。
「スリム。我々は『黒き悪魔』の警戒をするために来たというのに、民を傷つけてどうする」
黒き悪魔。
その言葉のせいで、二人のやり取りはほとんど聞こえてこなかった。空を見上げる。しかし、もどかしいくらい真っ暗で、何も見えない。
「私は、アザレア城騎士団の団長をしているベイシアというものだ」
黒い瞳に、自分自身が映り込む。この森に城の関係者が入ってくること自体稀だ。それなのに、騎士団のトップがいる。
「どうして、あなたたちがここにいるの? 村で何かあったの? みんなは、無事なの?」
エルザは、ベイシアの腕を掴む。甲冑の冷たさは、焦りを掻き立てる。
「君はこの奥にあるユニス村の住人か?」
ベイシアの問いに黙ってうなずく。間に入るように、馬の蹄の音がした。
刻む足音だけで、それが誰なのかすぐに分かった。
ベイシアの空気が変わった。スリムが、弓を構える。
その状況にエルザの体は、咄嗟に動いた。
「やめて! 私の仲間よ!」
「うるさい!」
エルザがスリムの弓に覆いかぶさるが、力で及ばない。エルザは簡単に振り払われた。地面から突き出している太い木の幹に思い切り背中をぶつけて、呻き声が出る。立ち上がることができずにいると、馬に乗ったカイが現れた。
「エルザ!」
エルザが顔を上げる。カイの手には、普段畑で使っているナイフがあった。カイは馬から飛び降り、スリムへと襲い掛かっていた。カイのナイフの行き先は、スリムの首元。すべては一瞬の出来事だった。
「カイ、やめて!」
エルザの叫びが、カイの手を止める。そこで、カイの首筋にも剣が突きつけられていることに、初めて気づいたようだった。カイがナイフを下ろす。ベイシアも鞘に剣を戻した。
「君の身体能力には、驚いたな」
ベイシアがほんの少し口角を上げる。
エルザの身体から緊張が抜けた。全身痛み出す。その場にべったりと両膝をつく。
「大丈夫か?」
カイが駆け寄ってきて、手を差し伸べてくる。
「うん」
自分の手を上にのせて、何とか立ち上がる。
一方のスリムは、カイを凝視したまま動けないようだった。ベイシアは、スリムの肩を叩く。スリムの弓を持っている手は震えていたが、その目には怒りのを超えた黒い炎が見えた。
その前にベイシアが立った。
「そこから先は、封鎖されている。君たちは、来た道を戻れ」
ここからアザレア城まで、丸一日はかかる道のりだ。それなのに、突然現れた兵士たち。大木祭で、力を使ったその情報が、どこへも迂回せず直接城へ行ったとしか思えない。手際が良すぎる。
そんな中、カイが噛みついていた。
「城は普段こんな辺境の地へ足も踏み入れないくせに、なぜ急に封鎖なんだ!」
ベイシアは、村がある方向へ目を向けた。
「情報があってな」
「情報?」
「村に聖女が現れた、と」
エルザの心臓が凍り付く。
それを覆い隠すように、カイが前に出た。
「意味がわからない」
「君らは、信仰というものがないらしいからな。知らないかもしれないが、一般市民は信じているのだよ。聖女が現れたとき、世界を幸福へ導くと」
サブリナから聞いたものと全く同じ話が、ベイシアからも語られる。しかし、その後に付け足されたものは、話を覆すものだった。
「が、我ら城に仕えるものは捉え方が違う。その後に続く、神の御言葉までがワンセットなのだ。『聖女が現れたと同時に、黒き悪魔も呼び起こすであろう』とな」
木々が不気味に揺れ、ざわめく。
その合間を縫って、ベイシアの声が響いた。
「私は城へ忠誠を誓っている身ではあるのだが、聖女の存在自体は正直懐疑的だった。しかし……あの状況をみれば、信じざるを得ない。聖女は確かに現れ、悪魔を呼び起こした。我々は、それを監視するために来た」
ベイシアが、手を挙げる。いつの間にか集まっていた兵たち。その手にあるランプが一斉に明かりがついた。
その明かりは、村の上空まで届く。それが視界に入った途端、全身鳥肌が立った。
黒い霧が、集まって形を成そうと蠢いている。
『ある日突然黒い霧が村を覆った。霧は村を練り歩くようにして漂い、村人を次々と襲った』
カイに聞かされた村の伝承。
『あなたの力がほしいと、集まってくるオバケ。一度現れたら、逃れられない』
ずっと聞かされてきた御伽噺が、頭の中で木霊する。
その物語が、目の前で始まろうとしている。
ずっと距離が遠くなったはずなのに、未だに歌声が風に乗って聞こえてきて、警告音のように流れてくる。
その時だった。
白い光が放たれ、真上の空を破るように突き抜けた。
草木がざわめき、鳥たちが飛び出し、逃げていく。
光は、周囲の闇を一瞬で消し去っていく。光が放たれている場所は、村。一直線に空へ向かっていた光が、四方八方に散らばる。光が横に伸びて膨張していく。光は森どころか、世界全体を包みこもうとするかのような勢いで広がっていく。
光に当たっても、木々から火の手は上がっていないのに、焦げ臭さが漂っている。
光がエルザたちの目と鼻の先まで届こうとしたとき、突如光の膨張が止まった。
エルザたちの手前で、光と闇の境界線ができあがる。立ち止まった光は、再び垂直に空へと向かった。
出来上がった光の壁。この先は、何人たりとも通さない。そう言っているかのようだった。




