居場所
翌日、朝起きて窓を開け空を見上げると雲一つない晴天が広がっていた。
エルザが、窓を開け放つ。青い海が広がっていた。終わりの見えない地平線が伸びている。
海のない村とは、真逆の世界の衝撃に浸りながら、エルザは自分の食事を買いに行こうと部屋を出て階段を降りた。
その途中で、ふわっと甘い香りが漂ってきていた。
出どころは、カウンター奥にあるサイモン家族のリビングのようだ。
朝食の香りだけは、どこも変わらないのだと、少し安堵する。
家族で朝食を囲んでいるのだろう。
エルザは邪魔をしないようにそっと、外へと足を向けようとしたとき、手招きしてくる女性の姿があった。
サイモンの妻サブリナだ。栗色の短い髪が、自己主張するように跳ねている。
昨晩は不在だったために、その存在にあまり気を遣わなくて済んでいたが、少しだけ緊張が走る。
「エルザちゃん、おはよう」
サブリナは眩しいくらいの笑顔を見せる。その笑顔が、苦手だった。
「おはようございます」
「ご飯できてるから、おいで」
「あ、いえ! 私、居候の身だし。ご飯までお世話になるわけには」
「遠慮しないで。ほら、ほら」
サブリナは、エルザの返事を待たず、背中を押してくる。
もちろんそれはただの優しさだ。追い出されている身で嫌悪するのは、間違っている。
頭ではわかっているが、どうしても体がついていかなかった。
ダイニングテーブルには、すでにエルザの分のホワイトシチューまで用意されていた。
強引に椅子に座らされる。
その正面には、むすっとした顔のカラットとマクロがいた。
「お母さん、シチューに具がないよー。パンもない」
カラットが言う通り、シチューには具はないし、主食もなかった。
本当ならエルザが、なだめる役目を担わなければいけないのだろうが、言葉が見つからなかった。
お金に困っているのかと勘ぐってみるが、宿泊者もそれなりにいそうだし、経営はうまくいっていそうだ。それなのに、なぜ。
「食べ物はお城の大天使様に捧げたから、今日はなしよ」
サブリナが得意気に答える。
「えー!」
子どもたちの不満の叫びに、サブリナが声を荒げた。
「大天使様は、絶対的な存在。私たちは、彼に忠誠を誓っているの」
ずっと黙っていたサイモンがその通りだ、とうなずいた。
「そうだ。私たちは、大天使様にいつも守られているんだ。日々の感謝は、捧げねばならん」
母曰く、サイモンも生まれは村のため、信仰の習慣は全くと言ってもいいほどなかった。しかし、サブリナと出会ってからというもの、どっぷりと神の信仰にはまっていったらしい。今では、サブリナと同じ、敬虔な信者となっている。
「うん」
「確かに」
「だろう? だったら、今は我慢しなさい。ラース様もお喜びになる」
「はーい」
両親の説明で、納得がいったらしい。二人は、気を取り直して談笑し始める。
彼らにとっての神様の存在の大きさを目の当たりにする。
この町にきてからエルザの中にずっとあった違和感が、大きく波打ち始める。そんなエルザを囲うように、サイモンとサブリナが両隣に座った。
「さあ、しっかりこのペンダントを通じて、大天使様への感謝と愛を捧げましょう」
サブリナが胸のペンダントに手を置く。この街に来てからというもの、何度も目にしてきた銀の中央が空白のネックレスだ。みんなの胸元にもそれがあって、サブリナと同じように握りしめ目を閉じた。
エルザも、仕方なく目を伏せてみる。
一斉に呪文のような祈りが聞こえてきた。
長く続く神への祈りは、エルザの居心地の悪さをどんどん助長させていくようだった。
「いただきまーす!」
子どもたちの元気な声が響く。
エルザも遅れて声を合わせたが、なかなかスプーンを動かす気になれなかった。
「遠慮しないでね」
サブリナの穏やかな笑顔ですすめられ、思い切って口に入れる。そこでやっと、お腹が鳴った。じんわりと、温かさが胃にしみる。
シチューの味は、この居心地の悪さを取り払ってくれるような妙に懐かしい味がした。
「おいしい……」
しみじみと言うと、サブリナはにっこりと笑った。
「味は間違いないはずよ。だって、モニカさんが教えてくれたシチューだもの」
確かに具がないこと以外は、母のシチューの味そのものだ。
湯気が目に染みてきて、鼻の奥までツンとしてくる。
顔も下へ向いていきそうだった時、サブリナは「そういえば」とポンと手を叩いた。
含みのある笑顔に、滲みそうだった涙が乾いていた。
「今日夕方から大天使祭があるの。エルザちゃんも参加しなさいよ」
サブリナの声が大きい。耳が痛くなった。それが顔に出ないように、気を付けながら聞き返す。
「大天使祭?」
サブリナは「本当に何も知らないのね」と、これだから田舎者はと、軽蔑するように眉を歪める。
「大天使様は、アザレア城にいらっしゃるラース様のことよ。いつも私たちを守ってくださっているの。今日は、そんな偉大なるラース様に感謝をささげる日なのよ」
「へぇ」
エルザにとって全く興味のない分野だ。つい、気のない返事になる。
「あれ? でも、アザレア城って、王様がいるんじゃなかったでしたっけ?」
記憶が正しければ、この国は王制度だったはずだ。
「いるけど、それがどうしたの?」
「どうしたのって……感謝を捧げるんだったら、普通王様の方じゃないんですか?」
「王様よりも、大天使様よ」
王様よりも大天使なんて、おかしな話だと言いそうになって、慌てて口を噤む。
サブリナの不機嫌を真っ先に感じ取ったカラットとマクロは、さっとシチューを流し込む。
「ごちそうさま!」
元気に叫んで、その場から逃げるように離れていく。
「エルザちゃん、そういう態度も、神様はみていらっしゃるのよ?」
火が付きそうな神様講義。大げさにすごいですねとか、言っておけばよかった。
エルザは、後悔しながらじっと耐える態勢に入ろうとしたとき。
「まぁ、まぁ。抑えてサブリナ。エルザは、昨日村からやってきたばかりなんだからさ」
サイモンのありがたい助け舟に、エルザも乗る。しかし、サイモンがエルザの肩を持ったことで、サブリナの機嫌は最悪を通り越して爆発しそうになっていた。
「そういえば、エルザちゃん、ユニス村からやってきたのよね?」
突然話題が変わり、サブリナの顔に笑みが浮かんでいた。突然の上機嫌に警戒しながら、頷く。
「……そうですけど」
「聖女様が現れたって、本当?」
昨晩の話が、またここでも飛び出してきて、シチューが喉の途中で詰まってむせ返った。
エルザが咳をしている横で、サブリナは歌うように言った。
「その方が現れたとき、この世にあるすべての災い――病気、争い、絶望、もちろん死もすべて消して、世界を幸福に導いてくださるの」
サブリナは、まるで酒に酔っているかのように、顔が赤くなっている。
「また、その話か……昨日も聞いたが、そんなことあるはずないだろ? あそこには、神を信じないエルザみたいな田舎ものが、わんさかいるんだぞ?」
どさくさに紛れて、ひどいことを言われた気がしたが、この際はどうでもよかった。
「そうですよ。聖女様……でしたっけ? あんな辺境の地にわざわざ出てくるわけないじゃないですか。あの辺に出てくるとしたら、タヌキとかクマとかですよ」
「ほらな? あっはは!」
サイモンがゲラゲラ笑い始め、サブリナの顔が紅潮した。
「何がおかしいのよ」
「あんなところに聖女様が現れたら、天地がひっくり返るぜ。真に受ける方がおかしいよ」
あー腹が痛いと、まだ笑っているサイモンの横で、サブリナの直りそうだった機嫌が急降下し、まるで鬼の形相になっていた。
エルザが、慌ててサイモンの横腹をつつく。
サイモンは、慌てて口を閉じて「あぁ、そうだ」と、ピンと人差し指を立てた。
「エルザ、夕方から店番頼めるか? その大天使祭に俺たちが行っている間は、どうしても店を閉めなきゃならなかったんだが、エルザが店番してくれれば、閉めてなくて済む。旅行客を取りこぼさずに済んで、売り上げアップ間違いなしだ!」
冷や汗を垂らしながらサイモンの提案に、エルザは立ち上がった。
「お安い御用です! パン屋を営んでいる私の手腕をとくと見せてあげるわ!」
二人の芝居がかったやり取りに、サブリナの視線は異様に冷たい。
二人は、先に食べ終えた子供たちのように慌ててシチューを掻き込んでいた。
そして、日が少しずつ傾き始めてきた頃、エルザは大天使祭に出かける四人の背中を元気に見送った。
宿泊者以外いなくなった宿屋のカウンターに座る。
ガラス張りの窓から、外がよく見えた。
大天使祭とやらがあるせいか、ひっきりなしに人の往来がある。村の大木祭の規模とは比べものにならない数だ。
その奥に海が見えた。水面にオレンジ色の夕日が反射して、ほのかに赤みがかった色をしている。
「聖女って何なのよ……」
サブリナが言っていた聖女。この世の災いをすべて消してくれる人だと言っていた。
「病気や死人も何もかも治せてたら、苦労しないわよ……」
どうしても事故を思い出す。
折れた大木。血まみれの人たち。叫び声。
もしあの時、私が何もしなかったら、確実に多くの人が死んでいた。少なくともカイは、助からなかった。
その事実が確定されているのだから、私がやったことは決して間違っていなかったと、今でも自信を持って言える。
窓の外は、とても美しい景色だというのに、溜息しか出なかった。
「お母さんの、バカ」
思い切って、外に出る。
潮の香りが強い空気を思い切り吸い込んだ。
「今晩泊まる場所にお困りの方、いらっしゃいませんかー! まだ、空室ありますので、是非こちらにどうぞ!」
流れていく人まで、呼び止めて声をかけてみる。
「これから大天使祭行くから、その後考えるよ」
返答はみんな同じだった。たしかにみんな大聖堂へ向かっている中、いくら呼び込みしたところで、客など来るはずがない。来るなら、大天使祭とやらが全部終わった後だ。
諦めて、カウンターに突っ伏した時。頭に固い何かが、落ちてきた。
「痛っ!」
頭を押さえて顔をあげる。言葉がなかった。ただ目を丸くするしかなかった。
「居候とは思えない態度の悪さだな」
見慣れた人物が、いかにも吐きそうな台詞を口にする。エルザは、弾けるように立ち上がった。
「カイ……なんで、いるの?」
飛び込んできたのは、口角を上げる整った顔立ち。
見慣れた笑顔だった。




