嵐の前
人々が往来し続け、できあがっている獣道を駆ける。風が頬にあたって心地よい。
じめじめしていた気持ちが、少しずつ乾く。
途中、休憩を入れながら進んでいく。
そして、日が一番高いところから少しずつ落ち始めた頃、海の街キシアへと辿り着いた。
ユニス村とは違い、開放的なキシア。漁業が盛んな街には、潮のにおいが充満している。
ルーンを近くの馬屋で休ませることにして、街を歩くことにした。
街の中心部には、大きな聖堂がそびえていた。神に祈りを捧げに行くのだろうか。次々にその中に吸い込まれていく。
聖堂の尖塔には、金の装飾がなされ、より一層存在感を主張していた。太陽の光に当たって、キラキラと輝く。
神様って、あんなに豪華絢爛な場所にいるのかしら。
皮肉めいたことを思いながら、エルザは、その前を通る。
入り口は大きく開かれていて、中がよく見えた。
その物珍しさに、引き寄せられた。
ドーム型建築で、人の話し声がよく響く。建物内は、少しひんやりしていた。日常とは、少し違う不思議な空間。
そのまま直進していくと、聖堂の一段高くなった場所に、金色の神様らしき像があった。
上から、ステンドグラスの光が降り注いで、七色に輝く。男にも女にも見えるその人は、すべてを包んでくれるような優しい微笑みを浮かべている。その胸には信仰の証である中央に穴が開き、それを支えるように両サイドに羽があるネックレスがあった。金の像の前では、跪いたりして、熱心に祈りを捧げている人々がいた。
人は、弱い生き物だ。
生きてさえいればどうしてもぶつかる壁や不安、恐怖から、何かに縋りたくなる場面はたくさん訪れる。
それを心の拠り所にして、強く生きられるというのならば、そうすればいいとは思う。
でも、それを押し付けられるのは、違う。
父が死んだときに出た答えは、絶対に変わらない。
エルザはそのまま背を向けて、聖堂を出た。
大通りを歩いていると、様々な商人から声を掛けられた。
「お姉さん、買わないかい? よく似合うと思うよ」
太陽の光を浴びて赤い石が輝く。ペンダントだった。
「すぐそこの鉱山は、いい鉱物がとれるんだ」
そういって、指をさす。一見ただの山に見えるが、ところどころ岩肌が見えている。村では、禁忌とされている破壊の痕跡だ。
「香水あるよ」
「こっちは、宝石のように美しい時計が売りだ」
ここは人工物の香りが充満していて、息苦しい。
エルザは、その匂いに耐え切れず足早に通りを駆け抜け、サイモンの宿屋へまっすぐ足を向けた。
宿屋は、海が見える場所にあった。潮の香りのお陰で、息がしやすくなる。ふっと、息を吐いて宿の戸を叩いた。
「おぉ、エルザじゃないか! 久しぶりだな」
サイモンは、突然現れたエルザに驚いているようだったが、笑顔で迎えてくれた。
よく焼けた肌にシミが点々と浮かんでいる。
「おじさん、久しぶり。みんなは? 子供たちは元気?」
背伸びして、帳場の奥を見やると、ちょうど小さな瞳と目が合った。
「エルザだー!」
「どこ、どこ?」
ドタドタと帳場の奥から出てくるのは、サイモンの子供たちだった。兄のカラット十歳、弟のマクロ五歳の兄弟だ。
二人はニコニコ立っていたが、すぐにエルザを通り越して宿のドアへと首を伸ばす。
「あれ? カイは?」
「カイがいないと来ちゃダメってこと?」
地味に傷つきながらそう言うと、二人は少しだけ迷いながら正直に答えた。
「来ちゃダメってことはないけど、カイはいた方がいいに決まってるじゃん」
サイモン家族と会う時、カイは必ずくっついてくる。そのためカイは、アスタート家の一員という認識になっている。
「子供は、正直だから仕方ないさ。エルザ」
サイモンは、豪快に笑っていた。
「で? どうしたんだ? 急に」
「……申し訳ないんだけど、しばらくここでお世話になりたくて……」
持っていた荷物が急に重くなる。その中を探った。
「別に構わないが、何かあったのか?」
「まぁ……とりあえず、これ。お母さんから手紙」
鞄から取り出した手紙は、ぐしゃぐしゃだった。
タイミング悪くまた戻ってきたカラットとマクロが凝視していた。
「本当に手紙?」
「ゴミみたい」
本当にその通りだった。手紙に八つ当たりした自分が、恥ずかしい。
怒りの衝動のまま、行動してはいけないのだと、改めて反省する。
サイモンは、ぐしゃぐしゃの封筒をハサミで切って目を通していた。
「……あの、私中身知らないんだけど、何て書いてあるの?」
「『エルザが反抗期で、手が付けられそうにないので、家を出すことにした。あとは、よろしく頼む』だってさ。ったく……モニカ姉さんも、なんていうか……適当だなぁ」
サイモンは苦笑いする。
「ごめんなさい……」
「いや、いや。今のはモニカに対する苦言だ。エルザは、気にするな。色々あったらしいから、しばらくモニカのことは忘れてのんびりするといい。二階の角部屋が空いてるから、そこを好きに使ってくれて構わないよ。とりあえず、荷物を置いておいで」
「ありがとう」
そのまま、階段へ向かおうとしたとき。
「おい、サイモン! すごいニュースが飛び込んできたぞ!」
サイモンの友人らしき男が、駆け込んできた。興奮しているのか声が大きく、顔が赤い。
「お前、ユニス村出身って言ってたよな? そこで、なんと神の子の聖女様が現れたんだってさ!」
エルザの首筋に汗が、滲んだ。二階への階段へ向けていた爪先が止まる。
鼻息荒くしてそう言う友人に、サイモンはガハガハ笑っていた。
「ないない! あそこは、この国の中で唯一信仰のない村だ。神に見捨てられた村とも言われていることは、お前も知ってるだろ? そんなところに、聖女様が現れるわけないじゃないか」
サイモンは、大きく口を開け笑い飛ばす。
エルザが足を動かしかけたとき、サイモンが「なぁ、エルザ」突然話を振ってきた。
「姉貴の娘なんだけど、まさにたった今、ユニス村からやってきたんだよ」
視線がエルザの足に巻きついてきて、身動きが取れなくなっていた。ゴクリと固唾を呑み、振り返る。
「おじさんが言うとおりだよ。村に、聖女なんかいるわけないじゃない」
「ほらな?」
ふふんと得意げに鼻を鳴らすサイモンに友人は納得のいかない様子だ。まだ、話を続けようとしている。その間にエルザは、さっと階段を駆け上がった。
心臓が早鐘を打つ。
角部屋へ行く途中、宿泊客とすれ違う。エルザは、まるで指名手配犯になった気分で顔を隠し、部屋に入った。
持ってきた荷物を床に置いて体をベッドに放り投げたが、上がった心拍はなかなか元のスピードに戻ってはくれなかった。
窓の外では、真っ暗な空だけがエルザを見下ろしていた。




