大木祭
青空に高らかに笛が鳴り響いた。
鳥たちが空へ高く駆け上がり、参加者が一斉に走り出す。カイはあっという間に大木のもとに一番早く辿り着き、靴を脱ぎ捨て、軽々と登り始めた。
遅れて身軽な大人、大人と子供の混合した集団が続いた。
第二集団の先頭に、村長の孫のトマスがいた。
外からやってきたアランは、体が大きいために動きが鈍い。誰よりも遅れて、木の幹にたどり着いた。
しかし、子供たちが固まっていて木に登れない。苛立った黒い目が火を噴いた。
「どけ! 邪魔だ!」
木を登ろうとしていた子供の小さな襟元をつかみ、後ろに投げる。子供は、地面に叩きつけられていた。
「ひどい!」
エルザが叫ぶと、一瞬だけ振り返った。その目は、まっすぐエルザを捉えている。
エルザの背筋に嫌な汗が流れた。
「お前、子供に何てことをするんだ!」
近くにいた大人が叫んだ。アランに食って掛かる。アランは、躊躇なくその男を殴った。
「反則だ!」
「失格にしろ!」
「強制的に退場させろ!」
怒声が飛ぶ。村長が叫んだ。
「アラン! お前は失格だ! そこから戻ってこい!」
しかし、アランは全部無視して木を登り始める。大木がぎしぎしと悲鳴を上げたが、構わず登る。登っていた人々の動きは、騒動によって止まっている。カイは、一番高いところにいた。
アランは、人々を蹴落とさんばかりの乱暴さで木を登っていく。木の幹の中腹辺りまで来たとき、叫んだ。
「すべては、神のため!」
みんなが動きを止め、困惑する。アランはそれが合図だったと言わんばかりに、身体を大きくゆすぶった。銀のネックレスを大きく揺らしながら、体を前後に動かす。生い茂る葉がざわざわと大きな音を立てる。アランはさらに体を動かし、にたりと笑った。その瞬間、大木から破裂するような轟音が空気を鋭く切り裂いた。
大木が根元から、折れ曲がる。
地面が割れるほどの地響き。
「カイ!」
カイが宙を舞った。そんな中でもカイは、トマスの腕を掴んで腕に抱え込んでいた。
エルザは、息を止める。そのまま、カイはトマスを守りながら背中から地面に叩きつけられていた。
それが始まりの合図だったかのように、人の雨が降り注いだ。
地面が揺れ、落雷のような衝撃が走った。土埃が舞い、煙があたりを包む。
風が吹いて、次第に視界が晴れる。
その先は、まるで地獄だった。
うめき声と悲鳴、血の匂いが包み込んでいく。
声、匂い、音。すべての感覚がエルザから消えていこうとした時、「カイ!」と叫ぶトマスの声が聞こえた。エルザはその方向へ駆けた。
「カイ!」
トマスが倒れているカイにしがみついている。
「トマス、どいて! カイを助けたいの!」
トマスは、背中を跳ねさせ、一歩下がる。トマスと入れ替わるように、エルザが両ひざをついた。
目を閉じているカイの顔の蒼白さは、確実に死が近いことを告げていた。
エルザは、焦りを鎮めながら目を瞑る。
神経を集中させる。手のひらに熱が集まり始める。
母との約束が頭の中で響いた。
『あなたの力、外では絶対に使っちゃダメよ』
赤と一緒に流れ出していく命を食い止めるように、目を閉じる。
『新月の夜、オバケが出てくる』
その声をかき消すように、エルザは叫んだ。
「カイは絶対に死なせない!」
エルザの手から、青い光が放たれた。
青い光はどんどん強くなり、カイの全身を包み込んでいく。広場全体が光で包まれた。
手の熱がカイの身体に吸い込まれ、発光した。
数秒すると光は霧散し、空気に溶けるようにゆっくり消えた。
周囲には静寂だけがあった。
エルザは、とっさにカイの手を両手で握る。固く目を閉じていたカイの瞼が、ゆっくり開いた。
「エルザ?」
カイの声は少し擦れていたが、安堵させるには十分だった。
エルザは声にならず、目の前が滲んでいく。村人の叫びが聞こえた。
「こっちも早く!」
「うちの子も、お願い!」
「頼む! 死んじまう!」
止まっていた時間が動き出し、切迫した現実に引き戻される。エルザは目元を手の甲で乱暴に拭って、立ち上がった。
「みんな、どうか落ち着いて! 心臓が止まってしまうと、もう治すことができません! 先に重傷な人から治していきます!」
「じゃあ、こっち!」
「エルザ、お願い!」
神経を集中させ、次々と癒やしていく。
御伽噺に出てくるオバケに怯えている暇なんかない。ただ、目の前の命をひたすらに救った。
誰もエルザを批判する者は、いなかった。
母のように力を咎める者は、どこにもいない。
真っ青な顔をして付き添っている人々は、涙している。
エルザは重傷者を治療し終え、次は軽症者の方へと移る。その中に、今回の事故を引き起こした張本人であるアランも含まれていた。子供のすり傷を癒しながら、アランの様子を窺う。
アランは、右腕を押さえて呆然としている。
そこから血が流れていた。
エルザは、カイに巻いてもらったハンカチを撫でる。
いくら頭にくる相手だったとしても、命は平等でなければならないと思う。
どうせ睨まれるのだろうと思っていたが、アランは予想外に怯えのようなものを見せていた。
エルザは、眉を顰めながら傷口へ視線をやる。
「怪我、してるんでしょ? 手どかして」
アランが押さえている手の指の隙間から、血が見えた。アランが手をどかすと、木の枝が刺さった後のような深い傷口があった。そこへ、エルザは手を伸ばす。
「お前は、何者だ?」
「は?」
「お前は、神に選ばれし聖女……なのか?」
「何、言ってんの? 気持ち悪い」
エルザは、アランの首から下がっているネックレスを睨みつけた。
「……何が、神よ」
歯の隙間から、どうしても漏れた。
三年前、父は重い病にかかり他界した。
一か八かで父へ力を使ったが、病には何の効力も発揮してくれなかった。
もう頼れるものは、神様しかいない。そう思い、毎日のように祈りを捧げた。
神様。本当にこの世にいらっしゃるのならば、父を助けてください。
しかし、状況は良くなるどころか、悪くなる一方だった。そして、結局父は苦しみながら、息を引き取った。
その時、悲しみと一緒に、悟った。
神様なんか、この世のどこにも存在しない、と。
「私は、神の子なんかじゃない。神様も信じない。ユニス村のエルザ・アスタートよ」
ぎりっと奥歯を噛んだ。
「二度と、そんな馬鹿なこと言わないで」
手から放たれた淡い光がアランの腕を包みこんだ。傷が癒えたことを確認して、さっさと立ち去る。
カイの元へ戻ると、トマスが泣いていた。カイはそんなトマスを宥めている。失った血液までは戻すことができないために、少しだけ顔色は悪かったが、いつも通りの笑顔があった。
「エルザ、ありがとな」
その顔を見たら、一気に気が緩んだ。こんなに一度に力を使ったことがなかったせいか、身体が重くなる。しかし、それ以上に先ほどのカイの無謀な行動を強烈に思い出していた。
「もしも、打ち所が悪かったら……いくらなんでも、後先考えなさすぎよ!」
ふいに込み上げてくるものがあった。それが溢れないように、口元を引き結ぶ。
「……泣くなよ」
カイが余計なことを言ってくるから、急激に頭に血が上った。
「泣いてないわよ! バカ!」
エルザは、拳でカイの胸を叩こうと振り上げた。その直前。
「エルザ、ありがとう!」
「君は、ユニス村の英雄だ!」
エルザは、驚いて後ろを向く。村人の視線が、エルザへ向けられる。そして、惜しみない拍手が送られる。エルザは、おどおどしながら、落ち着きなく金色の髪を撫でつけた。
「あ……いえ、どうも……」
顔を赤くして、軽く頭を下げる。さらに、大きな拍手がエルザを包み込んでいた。
その音は、母との約束を破った罪悪感を粉々にしていく。村長の瞳は複雑な色が浮かんでいたが、そんなこと気にする必要もないくらい、充実感が胸いっぱいに広がった。




