玉座の間
兵士が扉を開けると、赤い絨毯がまっすぐ伸びていた。その先に一段高い玉座がある。玉座の形は、よく街中で見かけるペンダントとそっくりだった。真ん中を支えるように両脇に羽があり、その真ん中の玉座は空っぽだった。
ベイシアは、特に驚きもなく慣れたように空っぽの玉座の前で膝をつき、頭を垂れた。
「連れてまいりました」
ベイシアは、エルザへ横に来るように目で促してくる。エルザは躊躇しながら、その横に立つ。
エルザは、相変わらず誰もいない玉座を前に戸惑うしかなかった。当然のことながら、その玉座にこそラースが座っているとばかり思っていた。困惑するばかりだったが、誰もいない玉座が突然喋った。
「へぇ、こいつが聖女?」
玉座を凝視する。やっぱり誰もいない。そう思った時、椅子の後ろから誰かが現れた。
大きな椅子の後ろで、隠れていたのだろうか。マントを身に着けた青年だ。
エルザが固まっていると高いところからぴょんと飛び降り、エルザの横に立った。
背丈はエルザと同じくらい。栗毛色の丸い頭。ぱっちりした黄色みがかった瞳。しかし、その瞳に生気がなかった。
「ふーん。なんか想像と違ったなぁ。女王バチみたいな感じを想像していたのに、毛虫みたいだ」
エルザは眉を顰める。独特な表現と、軽い口調のせいか見た目はずいぶんと幼くみえる。
この人が、ラース?
立ち居振る舞いも、とても国を牛耳っている者とは思えなかった。
「あ、一応言っておくけど。僕は、アザレア国王。名前は、シャルル」
「国王?」
つい声が出て、すぐに「口を慎め」と注意が飛んできた。
シャルル国王は、両手を頭の後ろに組んで、言い訳するように言った。
「こんなのが国王かって、絶対思ったよね」
シャルルは、エルザの顔を指さす。図星ではあるが、さすがに素直にうなずくことができず口を噤む。
「別に、いいよ。この国に関することは、全部ラースがやってる。僕は、父が死んだから仕方なく形だけ国王って名前になっているだけだし」
シャルルは、エルザから目を逸らしていく。
「ちなみに『君を連れて来い』って、命令したのもラースだから。何があっても、僕のせいじゃない」
突然始まった言い訳らしき言葉には、エルザへ何かしらの罰が与えられるのだろうという空気が含まれているように感じた。
「というわけで、僕はもう退散するね」
くるりと背中を向ける。カイよりも一回り小さい、頼りなさがあった。不意にカイの背中と重なってみえた。
「待ってください!」
自分でも驚くほど大きな声が出た。
ベイシアも、エルザを止めようと立ち上がりかける。それを、シャルルが手で制していた。
「何?」
シャルルには、不快な色は浮かんでいない。
しかし、その横で控えている兵からは、スリムとよく似た汚れた目をしているように見えた。もしかしたら、この城にはスリムのような人がたくさんいて、カイは一方的に辛い目にあうのではないか。その不安がエルザを動かした。
「私は、つい先ほど、この城へやってまいりました。村でともに時を過ごしてきた二人と一緒に。その二人は、私のかけがえのない、とても大事な人です。どうか、二人に対して冷遇を与えたりせぬように、お約束していただけないでしょうか?」
カイは、本当はこんなところにいる人じゃなかった。
今は村の小麦は無理かもしれないけれど、それでも、どこかで畑を切り拓いて自分らしく生きていけたはずだ。それを私が奪った。だとしたら、私が奪った分は、私が背負わなければならない。
「彼らには、これから先明るい未来に向かって歩いて行ってほしいのです」
シャルルは、エルザの熱量を吹き消すように、大きな欠伸をしていた。
「別に、いいよ。僕には、関係のないことだし」
シャルルの口調はあくまで軽い。
「意味……わかってますか?」
「わかってるよ。君の仲間二人には、いい待遇をしてほしいってことでしょ?」
言葉の選び方があまりにも軽薄だが、要望が通るのならば、願ったりかなったりだ。
腹の虫がざわざわと騒ぎだしそうなのを、無理やり収めることにする。
その時、すっと冷たい風が吹き込んだ。いつの間にいたのか。後ろから、白い服で身を固めた老人が現れた。胸には黄金のペンダントが輝いている。老人は、エルザの横を通り過ぎ一段高い場所で立ち止まる。まるで老木のようだった。ここにあるのが当たり前だとでもいうように、溶け込んでいて、存在感が薄い。
「国王。そのあたりは、わたくしが」
「了解。じゃあ、あとはラースに聞いて。じゃあねー」
シャルル国王は、白髭の年老いた男を指さし、ひらひらと手を振る。その目からは、やはり生気が感じられなかった。
玉座の横にある扉の向こう側へと引っ込んでいく。
それを見計らったように、ラースは白濁した目をエルザへ向けた。
「エルザ・アスタート。お前の力、ここで見せてみよ」
この人が、大天使ラース。そんな人がどうして、私のフルネームを知っているのか。そんな疑問さえも吹き飛ばしてしまうほど、その声は、稲妻に当たったような威力があった。エルザの背筋にすっと冷たい汗が伝っていく。
「……この場でお見せできるようなことは、ありません」
「なぜ」
抑揚のない声音というだけで、追い詰められているような感覚になる。口の中がどんどん乾いていた。
「私にある力は、傷を治すことだけです。他には、何もできません」
「そうか」
ラースは、木の枝のような細い腕を挙げる。
どこからともなく、兵が現れた。
兵士がラースに敬礼する。白濁した目が、兵を捉えた。下げた手が、ポケットの中へ滑り込んだ。
「何か御用でしょうか」
兵士が言った瞬間、ラースはポケットの中にあった手を引き抜いた。その手には、光るものがあった。ベイシアが咄嗟に動こうとしたが、間に合わない。
兵の腹部へそのまま突き刺した。
鈍い音と共に、兵士がその場に崩れた。赤い水たまりが大きく作られていく。兵の乱れた呼吸だけが、響く。
「なんてことを……」
エルザの吐き出した息が震えたとき、ラースは平坦に言った。
「早くやれ」
白濁した瞳が、エルザを見る。
あまりに冷酷な白い瞳の前に、エルザの足が恐れをなしたように動かなかった。
「死んでしまうぞ」
ラースが見下ろす。兵士の呼吸が弱くなっている。
横にいたベイシアは、エルザの肩に手を乗せた。
「エルザ、頼む。助けてやってくれ」
肩からベイシアの熱が伝わる。
エルザの冷え切っていた足に熱がこもった。
急いで、兵士のもとへ膝をつく。
血があふれている傷に、手を当てる。その手はどうしても震える。それでも、神経を集中させ青い光を放った。
ラースは瞬きもせず、白い瞳でそれを凝視していた。




