アザレア城
◇
大袈裟なくらい綺麗に装飾が施された分厚い門が、重々しい音を立てて開いた。
たどり着いた先は、アザレア城。
道中のほとんどを眠っていたエルザの足元は、おぼつかなかった。その両側をすかさず、スリムと兵が固めた。カイから案じるような視線を送ってくる。エルザは、大丈夫だと頷く。
その横を担架に乗せられたトマスが運ばれていた。
「カイ。君は、あの子に付き添っていなさい」
「エルザは?」
「ラース様との謁見が終わり次第、会わせてやる」
カイは、ベイシアの言葉に静かに従っていく。いつも大きく見えるその背中が、この時はずいぶん小さく見えた。
カイがこんな目にあっているのも、私のせいだ。
管理が行き届いた庭を抜けていく。地面には小石が敷き詰められ、歩くたびにじゃりじゃりと耳障りな音を立てた。まるで足枷の鎖の音に聞こえてくる。
「お前に選択肢はない」
スリムがエルザに囁いた。
「まさか、自分はこの世で一番不幸な人間だなんて、思っているんじゃないだろうな?」
しゃがれた不愉快な声だった。いちいち反応するのも嫌だったが、耳をふさぐことも癪だった。ただ耐えることしかできないエルザを面白がるように、スリムは笑った。
「本当に、頭の中が花畑のガキには、心底反吐が出る。どうせなら、村人全員死んでいてくれれば、こっちの心も穏やかになるってもんだ」
「よくも、そんなことを!」
エルザの叫びが、中庭に響く。人の命を軽んじるその言葉を、どうしても許すことができなかった。 エルザの叫びに、前を歩いていたベイシアが足を止めた。
「もしも、あなたの家族があの中にいたとしても、同じことが言えるの!?」
少し先を歩いていたベイシアが、踵を返してくるのが見える。
「スリム!」
ベイシアが咎めるが、スリムの口は止まらない。
「今までお前らは、外の世界を知ろうともせず、呑気に平和に生きてきた。外の人間が苦しんでいようが、関心さえもなかった。そのツケが回ってきたってだけの話だろ」
スリムは肩をすくめて、薄く笑った。
「いや、ツケともいえんか。お前はただ城に囲われるだけ、なんだからな。お気楽なもんだぜ」
「スリム、いい加減にしろ!」
「この世はな、お前なんかが考えているよりも、もっと残酷なんだよ!」
「お前は、下がれ!」
ベイシアが、スリムを退けた。スリムはバランスを崩して、石畳に尻餅をついた。しかし、特に悪びれている様子もなく、すっと立ち上がるだけだった。
スリムは、ベイシアへ敬礼して、近くの扉の中へ姿を消した。
しかし、エルザの上がっていた熱は、なかなか冷めてはくれなかった。
スリムの身勝手な理論で、一方的に踏みつけられたことが、何よりも許せなかった。
「悪いな。スリムには、私も手を焼いているのだよ」
隙がなく凛々しいベイシアの目じりが、困ったように下がる。決してベイシアが悪いわけではない。頭ではわかっているが、どうしても堅い声が出た。
「あの人、どうして、あんなにひねくれているんですか?」
キシアでも、村を蔑む言動は時折聞こえてきたが、ここまで酷くはなかった。
スリムの言っていることは、村の尊厳をも傷つけるものだ。決して看過できない。
「君たちが羨ましいんだろう」
「……え?」
「何も求めずとも、平和に暮らせていた君たちが」
その言葉は、エルザの胸を鋭く突いた。村の内と外。その違いを、はっきりと突き付けられたような気がした。
ベイシアは、少し寂しそうな目をして、軽く息を吐く。そして、城の正面へ体を向けた。
「城に入れるのは、ほんの一握りの選ばれし者だけだ。スリムは、着の身着のまま必死に、ここまで這い上がってきた。だからこそ、自分で掴んだ地位が、態度を大きくさせてしまっているのだろう」
地位が人を変える。よく聞く話だ。
「でもベイシアさんは、団長って呼ばれているくらいなんだから、一番偉い方なんですよね? 彼とは全然違うじゃないですか」
「……私は、掴みたいと思ってここに来たわけではないから、なのかもしれん……」
ベイシアは、つい口が滑ったとばかりに口を引き結んだ。癖の強い黒髪をがりがりとかいて渋い顔をする。
「君たちくらいの年齢の子たちと接すると、どうも気が緩んでしまう」と、独り言を言ったあと、咳払いする。
森で出会ったときから感じていた。ベイシアは、スリムとは違って、ちゃんと血の通っている人だ。
重い足取りで、城内に入る。
眩い光を放つシャンデリアが、エルザたちを出迎えた。その奥には左右に階段があり、中央に向かって円を描きながら合流している。その奥に大きな扉があった。
「エルザ。あの部屋で大天使様に謁見してもらう」
ベイシアは、扉を指し示す。急に団長の顔になって、エルザの緩みかけていたネジが締まった。真摯な人間であってもこの人は城の人間だ。
「ただの田舎者の私が、どうしてそんな偉い人に会わなきゃいけないんです?」
「こんなこと言いたくはないが……スリムの言葉を借りよう」
研ぎたてのナイフのような目が、エルザを真っすぐ捉えた。エルザの肩が強張った。
「『残念ながら、君には選択肢がない』のだよ」
ベイシアはそう言った後、苦々しい顔になる。まるでまったく似合わない服を無理矢理着せられたかのように、渋い。肩から力が抜けた。
「『残念ながら』という文言は、スリムさんの言葉に入っていませんでしたけどね」
エルザが嫌味っぽい言い方をする。ベイシアは、すまなそうに目じりを下げるだけだった。
そして、どこからともなく城の使いの者らしい中年女性が出てきて、エルザの前に立った。
「エルザ様。お着替えを」
融通の利かなさそうな厳しい顔つきだ。黒色のワンピースには、しわ一つついていない。
「いえ。私はこのままで、いいです」
「そのような恰好で、大天使様とお会いになられるというのですか?」
汚いものでも見るような目つきで、エルザの全身を何度も往復する。床の大理石に自分の姿が目に入った。そこには、泥だらけの自分の姿があった。その事実に気づいてしまえば、返す言葉もなかった。
「ベイシア団長。よろしいですね?」
「ノアリー、頼む」
ノアリーと呼ばれた女性は、表情筋一つ動かすことなく頷いた。
連れていかれた先の部屋で、シャワーを浴びるように浴室へ押し込まれた。
お湯で泥を落としていくと、その部分がひりひりした。汚れが消えて顔を出したのは、無数の傷。それを認識した途端、背中も痛み出した。
ざーっと流れてくるシャワーの奥から、スリムとベイシアの言葉が何度も頭の中で響いていた。
『今までお前らは、外の世界を知ろうともせず、呑気に平和に生きてきた。外の人間が苦しんでいようが、関心さえもなかった』
『何も求めずとも、平和に暮らせていた』
「……本当に、そうだったのかもしれない」
エルザは、ふと出てきてしまった答えをかき消すために、シャワーを頭から浴び続けた。湯気が立ち上る。
その先にモニカの笑顔が見えた。
浴室を出ると真っ赤なワンピースが用意されていた。びりびりに破いて、投げ飛ばしたい気分に駆られる。しかし、元の服はどこにもなく、着られるものはこれ一着しかなかった。よりによって、どうして赤。
ここ最近、いやになるほど見てきたせいで血の色にしか見えなかった。
着替え終えドアを開ける。ノアリーが待ち構えていた。
「いいでしょう」
ノアリーが頷く。それが合図だったように、ノアリーと同じ黒い服を身に纏った女が数人出てきて、あっという間にエルザの髪を結い、身だしなみを整え始める。
その間エルザは、されるがままになりながら頭の中を整理していく。
光の壁の中に、どうにか入る方法はないのだろうか。光の壁は人を弾いて大火傷を負わせていたが、内側に入った木々や動物たちは、普段通りだった。焼けている跡もなかった。
受け入れるものと、弾くものの基準があるということなのだろうか。
「できました」
ノアリーの声で、現実に引き戻される。
「ちなみに、あなたの持ち物は、先ほどの服ですか?」
「え……まぁ、そうです。着の身着のままで、急いでキシアから出てきたので」
「装飾品などは?」
ふとキシアで売っていたアクセサリーが思い浮かぶ。
「宝石とかってことですか?」
「まぁ、そんなものです。日々大事に持ち歩いているものなどは、ありませんか?」
ずいぶん引っかかる質問だった。
「どうして……そんなこと聞くんですか?」
「ラース様からのご指示で、確認するように仰せつかったので」
また、ラースの名前が出てくる。この国全体が、ラースの支配下にあることが、嫌でも伝わってくる。
「特にありません。村では、そういうものは不必要という考え方があるので」
そう答えると、ノアリーはさっさと前を向いた。
「そうですか。わかりました。では、ラース様にはそのようにお伝えしておきます。行きましょう」
導かれるがままに階段を上る。大天使がいるという部屋の大きな扉の前で、ベイシアが待っていた。
「粗相のないように」
扉の横で控えていた兵から送られてくる好奇の目があった。
いっそのこと逃げ出してしまいたい気分になる。その気持ちを押し殺して、前を向く。
扉は、静かに開け放たれた。




