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33・言語化の鍵

 土曜日の午前六時。駅前のファーストフード店は、開店直後の独特な静寂に包まれていた。


 清掃が行き届いた店内に漂うのは、微かな消毒液の匂いと、食欲をそそる揚げたてのポテトの香り。俺と美波先輩は、朝限定のソーセージマフィンのセットをトレイに載せ、朝日が斜めに差し込む窓際のボックス席に腰を下ろした。


 美波先輩は、セットのホットコーヒーにスティックシュガーを二本放り込み、さらにポーションミルクをたっぷり三つ、躊躇いなく投入した。黒かった液体が、みるみるうちに不健康そうなほど淡い褐色へと変わっていく。


 彼女はそれをスプーンでゆっくりとかき混ぜると、一口啜って、ふう、と小さく息を吐いた。


「とりあえず、先に聞きたいんだけど……。昨日はどうだったの? あんたたちの『遊園地デート』」


 美波先輩の問いは、どこか探るような、それでいて友としての心配が滲むものだった。


 俺は手に持ったハッシュポテトを一口齧る。サクリ、という小気味いい音が、静かな店内に不釣り合いなほど鮮明に響いた。


「最悪でした。さやか先輩は凡ミスを繰り返して、俺がそのカバーを四六時中繰り返すばかり。しかも、肝心なタイミングで俺もミスをして、彼女を悲しませました。挙句の果てに、俺が彼女の負担を減らそうとして演じていた『悪い子のフリ』まで、全部バレました。……これ以上の失敗は、狙っても難しいです」


 俺は淡々と、昨日の惨状を総括した。


 雨という嘘を暴くこともできず、ただ彼女が「お荷物」になっていくのを眺めるしかなかった無力感。観覧車でのあの絶望的な沈黙。彼女が心身ともに耐えきれなくなって眠りに落ちたあの瞬間。


 美波先輩は、ミルクたっぷりのコーヒーを再び啜り、カップを置いた。


「……でもさ、あんた。最悪だったって言いながら、顔は全然死んでないわね。むしろ、妙に熱っぽいっていうか」


「……そう、そこなんです。最悪のはずなんです。さやか先輩には、何一つ良いところがなかったはずなんです。なのに……俺、好きになったんです。一昨日より、ずっと」


 自分で口にして、その矛盾に改めて眩暈がした。


 ダメなところが好きなわけではない。それは直感的に分かっている。俺は、彼女の「失敗」を愛でるような悪趣味な男ではないつもりだ。


 だが、では代わりに何が好きになったのか。何が俺を、これほどまでに彼女に執着させているのか。それが分からない。


「俺、さやか先輩の母親に教えてもらったんです。さやか先輩が本当に欲しいのは、俺が彼女のレベルまで降りていくことでも、手を貸して甘やかすことでもない。俺に『自分の魅力に気づいてもらうこと』だって」


 俺は身を乗り出し、熱弁を振るった。


「だから俺は、まず、今の彼女の魅力を、俺自身の言葉で言語化するところから始めたいんです。彼女を、一人の対等なパートナーとして、きちんと見て、正面から褒められるようになりたい。……美波先輩。さやか先輩の友人として、あなたから見た彼女の魅力を、俺に叩き込んでください」


 俺の必死の訴えに対し、美波先輩は深く頷いた。


 だが、その顔は、先ほどよりもずっと苦しげに歪んでいた。彼女は再び、白濁したコーヒーに口をつけ、何とも言えない表情で窓の外を見つめた。


「……あのさ。御心君」


「はい」


「アタシとさやか、まだ一ヶ月ぐらいの付き合いじゃない? だからそういう理由もあるんだけど……正直、さやかの魅力って、上手く語れないのよ。というかアイツ、勉強は赤点ギリギリの頭の悪さらしいし、運動神経だって絶望的。美術の絵なんて、あれはもう怪奇現象の類だし……。強いて言うなら、『色々できないところが可愛い』ぐらいが限界よ」


 俺は、ハッシュポテトを握ったまま絶句した。


「……『できないのが可愛い』とは、口が裂けても言えません。そんなことを言えば、さやか先輩の尊厳は完全に失われる。今の彼女は、ダメ人間として俺に飼われることに、何の『ためらい』もなく自分を捨ててしまいかねない危うさを持っています。さやか先輩を、そんな形で救済したくないです」


 俺の絶望的な溜息を聞いて、美波先輩はまだ半分以上残っているポテトを一本摘み、それを口に運ぶ。


 そして、何かを躊躇うように視線を泳がせた後、観念したように俺に顔を近づけた。


「……これ、さやかから『絶対に秘密にして』って言われてるんだけどな。アイツ……体育祭の玉入れあったでしょ? あそこで、どうしても沢山玉を入れて、大活躍したいって言ってさ。体育祭の一週間前から、朝早くから学校に来て、アタシを捕まえて延々とバスケのシュート練習に付き合わされてたのよ」


 俺の心臓が、微かに跳ねた。


「『御心君に見られるんだから、絶対に格好良いところ見せなきゃいけないんだから!目指せ!名誉挽回!』って、顔を真っ赤にして息切らしてさ……。挙句、何度もボールを拾うために屈んで腰を痛めたみたいで、制服の下にシップを何枚も張って頑張ってたのよ。当日は何とか十個以上入れたんだけど……それ以上に御心君が連続窃盗犯を言い当てて大活躍しちゃったでしょ?それで、自分の戦績なんて、もう誇れなくなっちゃったみたいだけどね」


 美波先輩は、友情を裏切った背徳感に耐えるように、再びコーヒーを啜った。


「御心君も、アタシからこれを聞いたなんて、口が裂けても言っちゃ駄目だからな。アイツ、そんなに努力してもなおお前の足元に及ばなかったって思っているだろうから、今更それを聞き直したくないと思う……多分、恥ずかしさで死んじゃうから」


 友情の裏切りの先に聞いた、泥臭い努力の話。


 俺はそこに、自分の感情を解き明かす「言語化の鍵」の欠片を感じた。


 超能力で読み取れるのは、その瞬間の「感情」だけだ。彼女が過去にどれほどの時間を使い、どれほどの執念で俺の前に立っていたか。制服の下に隠されたシップの存在すら、俺は見落としていた。


 まだ、完璧な言語化には程遠い。だが、霧の中に一本の道筋が見えた気がした。


 俺が黙り込んでいると、美波先輩はまだたっぷり入ったコーヒーカップを両手で包み、じっと俺を見つめた。


「……あのさ、御心君。一度、落ち着いて見直してみたら?」


 美波先輩は、射抜くような鋭い視線を俺に向けた。


「昨日のあの、散々だったはずの遊園地デートの中にさ。あんたがアイツを好きになる決定的な『きっかけ』が、実は隠れてたんじゃないかって。アタシはそう思うんだけどね」


 その言葉は、俺の脳内に導火線を引いた。


 最悪だった昨日。


 雨という名の嘘。


 膝枕。


 観覧車での沈黙。


 お弁当。


 それらの断片的な記憶が、美波先輩の言葉に導かれるように、新しい意味を持って連結し始める。


「……遊園地デートを、もう一度、落ち着いて見直す」


 俺は目を閉じ、昨日の光景を、今度は「接待」する側ではなく、一人の「男」としての視点で再構築し始めた。


 店内に流れるBGMが、遠ざかっていく。


 俺の意識は、あの日、さやか先輩が流した涙の熱さを求めて、記憶の深淵へと潜っていった。


 美波先輩は、そんな俺の様子を、何も言わずにただ見守るようにコーヒーを啜り続けていた。

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