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イブキの鍼灸院  作者: ヨモギ・シン


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9/11

血虚・二三歳女性:治療編

血虚けっきょ:血が不足した状態。眩暈めまいや目のかすみ、肌の艶がなくなるなどの症状が現れる。女性では月経異常が現れる。

 朝一番の患者さんの治療を終え、施術室の片付けをしていると、くぐり戸がカタンとなる音が聞こえた。新しい患者さんがやって来る合図だ。


伊吹(いぶき)先生は……治療中かな」


 手早く片付けを済ませ入口へ向かうと、白い狐が巻物を咥えて待っていた。伊吹(いぶき)先生の姿はない。やはり、治療に入っているようだ。


「いつもありがとう」


 そう声をかけて巻物を受け取ると、狐は余韻に浸ることなく、くぐり戸の向こうへと姿を消した。この院も治療スケジュールは、彼らが取り仕切っている。いつも、伊吹(いぶき)先生か私が空いている時に患者を連れて来る。


「さて……どんな患者さんかな」


 巻物を開き、内容を確認する。



矢野(やの)小春(こはる)、二三歳の女性。

体操選手で、顔色は白く、肌につやがない。月経は約三ヶ月きていない。



 簡潔な内容から頭の中で広げ、可能性を一つずつ整理していく。

 若い女性で、月経の異常がある――ならば、この患者さんは私が診る方が良いだろう。


(年も近いし……同性の方が話しやすいよね)


 神気(しんき)は、この場への違和感を薄めることはできても、心の奥まで開かせる力はない。患者さんが言いづらいことを話してくれるためには、信頼関係が必要だ。


 少しして、扉の鈴がチリンと鳴った。

 入ってきたのは、すらりとした体つきの若い女性だった。細身ではあるが、腕や脚には、長年鍛えられた筋肉がしっかりとついている。


「すみません、初めて来たんですけど……」

矢野(やの)小春(こはる)さんですね。お待ちしていました。こちらへどうぞ」


 笑顔で声をかけ、施術室へ案内する。彼女の表情に戸惑いはない。神気(しんき)の効果がすでに現れているようだ。

 施術室に入ると、矢野(やの)さんは素直にベッドへ腰掛けた。


「私は鍼灸師(しんきゅうし)杉山(すぎやま)です。これからお身体を診ていきますので、仰向けで寝てください」


 横になった矢野(やの)さんの手首に、そっと指を当てる。


(……細い)


 指先にはっきりと感じるが、明らかに細い。血虚(けっきょ)の際によく診る脈だ。


「次は、舌を見せてください」


 舌を出してもらい、状態を確認する。


(白っぽい……淡白舌(たんぱくぜつ)


 ()(けつ)の不足、あるいは寒証(かんしょう)に見られる舌だ。

 脈、舌、そして巻物の内容を合わせると、彼女の状態は、血虚(けっきょ)と考えてよさそうだ。


矢野(やの)さん、普段のお食事について教えてもらえますか?」

「炭水化物とタンパク質を中心に取っています。体型維持も考えて、管理はしています」

「体操選手なんですよね。練習はどれくらいされていますか?」

「最近は、ほぼ毎日です。今年から時間が取りやすくなったので」

「なるほど、ありがとうございます。それでは、こちらの服に着替えてください」


 施術着を矢野(やの)さんに手渡し、いったん施術室を出る。


(三ヶ月、月経が来ていないのは、練習量でのエネルギー消費が影響していそうだな)


 診断はできないが、病院を受診すれば、運動性(うんどうせい)無月経(むげっけい)と説明される状態だろう。

 施術室へ戻ると、矢野(やの)さんはすでに仰向けになっていた。


「それでは、施術を始めますね」


 使う(はり)は、一寸一番と寸三の二番。治療手順は、伊吹(いぶき)先生から教わった。

 まず、太腿の内側、膝の上にある血海(けっかい)(けつ)に一寸一番を置鍼(ちしん)する。名前の通り、血の巡りに関わる経穴(けいけつ)だ。

 続いて、内くるぶしの上の三陰交(さんいんこう)(けつ)、膝下の足三里(あしさんり)(けつ)に寸三の二番を使う。()()の働きを助け、血を作る力を底上げする。

 しばらく置鍼(ちしん)した後、ゆっくりと(はり)を抜いていく。


「次は、うつ伏せになってください」


 背中では、肩甲骨の高さにある膈兪(かくゆ)(けつ)に一寸一番を置鍼(ちしん)する。血の気が集まる場所で、血虚(けっきょ)の治療には欠かせない経穴(けいけつ)である。

 伏臥位での施術を終え、もう一度、脈を確認する。


(……少し、太くなってる)


 わずかだが、確かに変化はしていた。


「以上で施術は終わりです」


 そう呼びかけると、矢野(やの)さんはゆっくりと起き上がり、ベッドの端で体を動かしてみせた。


「……体が軽いです。動かしやすい」

「良かったです」


 ここから大事な話だ。彼女の状態を改善するには、治療だけでは難しい。


矢野(やの)さん。お身体を診て分かったのですが、かなりエネルギーが不足しています」

「エネルギー、ですか?」


 矢野(やの)さんは、不思議そうな表情を浮かべている。自分では、きちんと管理ができているつもりなのだろう。


「練習で使う量に対して、身体に残る分が足りていない状態です。月経が来ていないのも、その影響ですね」


「……練習のせい、なんですか?」


 驚いたように、矢野(やの)さんは目を見開く。


「顔色や肌の状態が良くないのも、同じ理由です。このまま月経が来ない状態が続くと、骨が弱くなって、大きな怪我につながる恐れがあります」


 真剣に伝えると、矢野(やの)さんの表情も引き締まった。


「どうすれば、良くなりますか?」


 練習量を減らすのが一番早い。けれど、この人は、競技者だ。それが簡単でないことは、容易に考えられる。


「今の消費量を考えると、食事量を増やしても、体型への影響は大きくないはずです。まずは、しっかり身体を養えるだけの食事を取ってみて下さい」

「分かりました。食事、見直してみます」


 自身の不調の原因と、その解決策が分かったためか、彼女の表情は少し緩まり、明るくもなった。

 帰り支度を済ませた矢野(やの)さんを入口まで送り、御守りを手渡す。


「これを持っていてください。また不調が出たとき、白い狐が迎えに来てくれます」

「ありがとうございます」

「この後は、練習ですか?」

「はい。でも今日は……少し軽めにします」


 そう言って、矢野(やの)さんは自転車を押しながら参道を下っていった。

 伊吹(いぶき)先生なら、もっと踏み込んだ治療や、的確な言葉をかけていたかもしれない。それでも、今の自分にできることは、きちんとやれたと思う。

 女性特有の悩みは、同じ女性である自分が診ることで、安心につながるはずだ。そこから信頼は生まれてくると思っている。


 今日の治療を糧に、次に矢野(やの)さんが来たときは、もっと良い施術ができるように。

 そして、この院を訪れるすべての人のために、成長し続けていこうと思う。 

登場経穴


血海けっかい三陰交さんいんこう足三里あしさんり膈兪かくゆ

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