表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
イブキの鍼灸院  作者: ヨモギ・シン


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/11

心陰虚・六三歳男性:治療編

しん陰虚いんきょ陰液いんえきの不足によってしんが滋養されなくなり、しんの働きが乱れた状態。動悸や手足のほてり、不眠といった症状が現れる。

 朝の朝礼が終わり、患者の来院を待っていると、白い狐がくぐり戸から入ってきた。口には巻物を咥えている。

 杉山(すぎやま)先生はすでに治療に入っているため、この新患は自分が対応することになりそうだ。

 巻物には、簡潔に情報が記されていた。



岡田(おかだ)正敏(まさとし)、六三歳の男性。

手足のほてりによる不眠。胸部の熱感が煩わしく、すぐに目が覚めてしまう。寝汗が多い。



 内容を確認してしばらくすると、院内にジャージ姿の男性が入ってきた。この人が岡田(おかだ)さんだろう。年齢のわりには若々しく、今も現役で働いているような印象を受ける。少なくとも、不摂生な生活を送っているようには見えなかった。


「すみません。こちらが鍼灸院(しんきゅういん)の入口で間違いないでしょうか?」

「はい、合っていますよ。岡田(おかだ)正敏(まさとし)さんですね。私は院長の伊吹(いぶき)東弥(とうや)です。ご案内しますね」


 杉山(すぎやま)先生が治療している施術室の前を通り、奥へ案内する。途中、岡田(おかだ)さんが不思議そうに尋ねてきた。


「なぜ、私の名前をご存知なのですか?」

「ここ来られる方の情報は、事前に我々へ伝えられています。不眠でお悩みと伺っています」

「ええ、そうです」

「そのあたりを中心に診ていきますね」


 伊吹(いぶき)はりきゅう院があるのは、神気(しんき)に満ちた高天原である。

 足を踏み入れた者は神気(しんき)により、この場での出来事に疑問を抱かなくなる。ここで行う鍼灸(しんきゅう)治療自体は現世と変わらないが、場所そのものは常ならぬ領域である。

 患者が普通の鍼灸院(しんきゅういん)のように、こちらに委ねてくれるのは、治療者としてありがたい。それが催眠に近いものであってもだ。もちろん、神気(しんき)が人体に悪影響を及ぼすことはない。

 岡田(おかだ)さんもまた、徐々に疑問を抱かなくなっていった。

 施術室に入り、ベッドに座るよう指示すると、素直に腰を下ろしてくれた。


「それでは、お身体を診ていきますね」

「お願いします」


 まずは、身体の状態の確認だ。岡田(おかだ)さんの手首に指を当て、脈を診る。


(さい)(さく)脈か)


 脈は、細いがはっきりと感じられる。打つ速さはやや早い。細い脈は血の不足を示し、速い脈は、体内に熱があることを示している。

 続いて、舌を出してもらい、舌診を行う。


(舌尖が紅い)


 舌の先は、(しん)(はい)の状態が現れる。紅色は、実熱(じつねつ)、あるいは陰虚(いんきょ)による熱証(ねっしょう)を表している。脈と照らし合わせると、陰虚(いんきょ)によるものと考えられる。


(症状からすると、(しん)陰虚(いんきょ)だな)


 (しょう)を導き出し、治療の準備に入る。その間を繋ぐため、岡田(おかだ)さんに問いかけた。


岡田(おかだ)さん、お好きな食べ物はありますか?」

「そうですね……辛いものが好きです」

「どのぐらいの頻度で召し上がっていますか?」

「ほぼ毎日ですね」

「なるほど、ありがとうございます……それでは、こちらの施術着に着替えてください」


 ベッドの下から施術着を取り出して渡し、いったん施術室を出る。

 辛味は体を温めてくれる一方、摂りすぎると熱が体にこもってしまい、陰液(いんえき)を消耗させる。(しん)はもともと熱を持ちやすい(ぞう)であるため、より陰液(いんえき)を消耗することになる。

 岡田(おかだ)さんの不眠の原因の一つは、辛味を食べ続けているからだろう。

 着替え終わるのを見計らって、中に戻る。


「では、治療を始めます」


 使用するのは、一寸一番と寸三(すんさん)の二番の(はり)

 まず、手首にある神門(しんもん)(けつ)に一番の(はり)を打つ。続いて、足首の少し上の三陰交(さんいんこう)(けつ)へ二番(しん)を打つ。どちらも経絡(けいらく)の流れに沿わせ、少し置く。

 岡田(おかだ)さんは、ゆっくりと呼吸している。(しん)陰液(いんえき)が補われて、体内の熱がゆっくりと引き始めている。

 頃合いを見て(はり)を抜く。


「次は、うつ伏せになって下さい」


 五番目の胸椎の横にある心兪(しんゆ)(けつ)へ、一番(しん)を打つ。神門(しんもん)(けつ)三陰交さんいんこう(けつ)と同様、経絡(けいらく)に沿わせて置鍼(ちしん)する。

 しばらくして(はり)を抜き、施術は終了した。治療効果の確認のため、再び脈を診る。

 細かった脈はほどよくなり、拍動も穏やかになっている。治療効果は十分のようだ。


「以上で施術は終わりになります」


 そう告げると、岡田(おかだ)さんはゆっくりと体を起こした。


「ありがとうございます……先生、私の身体はどうだったでしょうか?」


 岡田(おかだ)さんは自ら、身体について問いかけてきた。自分の体と向き合う姿勢は、治療者にとっては嬉しいことだ。


岡田(おかだ)さんの身体は、(しん)陰液(いんえき)が不足している状態でした。つまり水分が足りていないため、身体を冷やせず、ほてりや熱感が起きていたのです」

「原因は何でしょうか?」

「強いストレスが原因になることが多いですが、岡田(おかだ)さんの場合は食生活が関係していそうです。単純な水分不足もですが、辛いものの摂りすぎが考えられます」

「……思い当たる節はあります」


 好きなものが不調の原因だと知り、岡田(おかだ)さんの表情が曇る。


「まずは、水分をよく摂るようにしてください」

「辛いものは、控えた方がいいのですか?」

「控えられれば理想ですが、楽しみも大切です。岡田(おかだ)さんにとって辛い食べ物が楽しみなら、私は控えるようには言いません」

「先生……」


 岡田(おかだ)さんの表情が、少し和らいだ。

 今日、初めて会った人だが、この人は自分なりのペースで、身体と向き合ってくれるだろう。こういう人は、こちらから指導するよりも任せる方が良い。

 帰り支度が終えた岡田(おかだ)さんを、出口まで案内する。


「最後に、こちらをお渡しします」


 スクラブのポケットから御守り取り出し、手渡した。


「ほう、無病息災のお守りですか」

「それをお持ちですと、調子が悪くなった時に白い狐が迎えてきます。その時はまたお越しください」

「ありがとうございます」


 軽く会釈をして、岡田(おかだ)さんは扉を開けて帰って行った。


 無理をして維持する健康より、多少の不調があっても負担なく過ごす方が幸福だと思う。


 気になる不調は、自分たちが改善する。それが、伊吹(いぶき)はりきゅう院の役目だ。

登場経穴

神門しんもん三陰交さんいんこう心兪しんゆ

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ