第24話 エピローグその後
窓の外は白い小道で、柵の向こうはすぐ海になっている。店内には何の音楽も流れていないが、客たちの心持ちひそめた話し声と波の音が響いており、何とも丁度いい。見上げれば、海面で反射した波の模様が天井でゆらゆらと光っている。全て設計通りだとしたら、この喫茶店の主は相当センスがいい。
「ティモ、聞いてる?」
「ああ、聞いてるよ」
呆れたような声に視線を戻せば、マチェールが顔をしかめていた。いつもの黒縁丸眼鏡を指先で押し上げ、手元のコーヒーに砂糖を入れてかき回す。そして目線を落としたまま、マチェールは問いかけてきた。
「じゃあ、さっき僕はなんて言った?」
「えっと……。なんだっけ?」
「もう、聞いてないじゃんか。大事な話なのに」
マチェールはスプーンをカップから持ち上げ、静かに置く。普段着の小袖が、柔らかくテーブルに擦れた。
「ティモの指名手配が取り消されたんだよ」
「へぇ。それは良かった」
「反応薄いなー。急いで来たかいがないんだけど」
「悪かったな。そんで、またなんで今になって?」
「わからないけど、司教の判断らしいよ。そういえば、家に届いたティモからの手紙に入っていた、あのメモを届けたあとだったなぁ」
カップを手に取ったマチェールは香りを楽しむように顔を寄せ、一口含んで飲み下す。茶菓子に伸びかけた手をはっとした様子で鞄に戻すと、マチェールは一つの小さな便箋を取り出した。
「そういえば預かりものがあった。これ、返事ね。司教から」
「司教からぁ?」
「うん。昨日謹慎明けで出勤したら廊下で呼び止められてね。まさか返事を渡されるとは思わなかったよ」
テーブルに置かれたそれは、教会のものではなく司教個人の封蝋が捺されていた。
青く残るそれを慎重に剥がし手紙を開けば、厳格そうな堅苦しい書き文字が簡素に綴られていた。
『現状がどうであれ、お前は公衆の面前で悪魔に堕ちた。二度と顔を見せるな』
「これって……」
「うん。封蝋の色からして多分、顔を見せなければいいってこと。時々の手紙はありなんじゃないかな」
「なんだよそれ。随分甘いじゃん。信じられねぇよ」
「だよねー。預かった時も驚いたよ」
思わず笑い声がこぼれる。マチェールもつられたように笑顔を見せた。
「それにしても、ねぇ。ティモの火刑、めちゃくちゃ噂になってるよ。近くの街でも、その話でもちきりだったもの」
「あー…まぁ、そうだろう。神父の堕落だもんな」
「それもそうだし、すごかったよ。『神に背いた神父が炎に炙られたその時、高らかな笑い声と共に悪魔を呼び出し、浄化の炎を魔の色に変えて堕落した』って…。どれも嘘じゃないけど、すごいよねぇ」
「あー…。あれ、そう見えてたのか」
「中々壮大だったよ」
何だか気恥ずかしくなり、目線をずらして頬を掻いた。マチェールは呆れたように頬杖をつく。
「しっかし、不思議なんだよな。炎が足に触れた時、めちゃくちゃくすぐったかったんだよ。後からリースに聞いたけど、何にもしてないって。何だったんだろうな」
「あー、それは、その…」
てっきり笑い飛ばすと思っていたマチェールは、きまり悪そうに言い淀んだ。意外な反応に思わず目をむく。
「おい、何か知ってんのか?」
「知ってるというか、その…」
「なんだよ、はっきり言え」
詰め寄れば、マチェールは観念したように口を開いた。
「……その原因、僕なんだ」
「はぁ?!」
「あの時『せめてティモが苦しまないように』って、こっそり感覚遮断の魔術を使ったんだ。そしたら焦りすぎて組むのを失敗しちゃった。だから、変な効果が出たんだと思う」
「犯人お前だったのかよ」
「ごめんて。でも、急に笑い出すからびっくりした。炎の音と混じって、禍々しかったよ、すごく」
「さっきの噂の半分はお前のせいってことかよ…」
呆れて半眼になれば、マチェールは慌てたように話題を変えた。
「魔術と言えば、リースが展開したあの魔術は何だったんだろう。すごく古い魔法であることはわかるんだけど、現代であんなに強くて危険な魔法が残ってるなんて」
「簡単に言うと『対象者に条件の承諾をさせれば、使用者の込めた願望が遂げられる』みたいな雰囲気だね」
「よくわからねぇな。もっと簡単に言ってくれ」
「えーと、『相手が好きだと言ってくれたら、使用者は条件なしで願いが叶う』って感じかな」
「強力な魔法じゃねぇか。どうして廃れたんだ?」
何となく手持ち無沙汰になり、意味もなくコーヒーをかき回す。いつもは顔をしかめるマチェールは気に留めることなく、話し続ける。
「下準備もいるし、失敗した時の代償が大きくてね。対象者は使用者が願いを込めたことを知っていてはいけないし、対象者が条件の承諾をしなかった場合は…」
「場合は?」
「触媒となる装飾品が真っ黒な炎を噴いて、対象者もろとも使用者を焼き尽くす。叶わない願いなら、いっそ全て焼けてしまえっていう執念を感じるね」
「うわぁ……」
「あのペンダント、そんな魔法が入ってたの?」
「わっ!」
急に後ろから現れたリースに、マチェールはガタッと椅子を揺らした。赤いジャムを練り込んだパンが乗った皿を持つリースは、お構いなしにマチェールへ顔を近付ける。相変わらず、人との距離が近いな。
「リース、びっくりしたよ」
「今の話、もしかしたら、ティモも僕ごと焼けてたってことだよね」
「ティモがリースの誘いに乗っていなかったらね」
「そうなんだ」
リースは俺の隣に座り、体をくっつけた。そして、美味しそうにパンを食べ始めた。甘酸っぱいジャムの香りがする。ここのジャムパンには、珍しくクルミが入っているようだ。
「というかリース、あの魔術使ったならわかってたよね?」
「リース、そうなのか?」
「あはは、バレちゃった?ごめんね、僕、どうしてもティモがほしかったの。ティモさえいれば、何にもいらないの。ミリヤさんが全部込めて伝えろって教えてくれたから、目一杯頑張ったの」
「おいおい…」
リースは悪びれもせず笑いながらジャムパンを頬張っている。マチェールは呆れたように息をつき、リースを見やった。
「リース、君、ずいぶん変な淫魔だよね」
「あ、ひどいよマチェール。僕はちゃんと、僕の意思でティモテを選んだの。初めておなかを満たしてくれて、僕がかわいいってことを教えてくれたティモテのことが、僕はずっと大好きなの!」
「……ッ」
「惚気なら他でやってくんない?ここ熱いよ」
マチェールはわざとらしく顔を手であおぐ。それから俺に向かって、ニヤッと笑ってみせた。今までは中々見せなかった顔だ。
「いやぁ、愛されてるねぇ。愛だよ、愛」
「愛はいいけどなぁ。端から見れば、俺は淫魔に魅入られて、まんまと堕落したんだぞ」
「あ!ひどーい!僕、ちゃんとティモにお願いしたんだよ」
リースは頬を膨らませた。怒ったふりをしているのは、すぐにわかった。頬をつつけば、間抜けな音を立てて空気が抜けた。何かを言われる前に先に頭を抱きしめてやる。
「はいはい。俺が望んだのは体だけだもんな。だから今リースを抱いてるのは、全部俺の意思だからなー」
「ティモ〜、ごまかさないでよ」
「ねぇ、本当にこの辺熱いんだけど。本当に君たち、ラブラブだね」
「うん!」
マチェールは何度目かの呆れ顔を見せる。俺が反応する前に、リースは店中に響く声で宣言しやがった。
「僕は、ティモテのことを世界で一番愛してる!」
その声に店内の客たちが一斉にこっちを振り返ったのが、見なくてもわかった。
あーもう、十分すぎるくらいにわかってるって。だから、声がでかいんだよお前は。




