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第21話 ミリヤとリース

いつの間にか眠っていたみたいだ。気がつくと、朝になっていた。朝の匂いを吸い込んでから体を起こしてほっぺたに付いた土を払い、立ち上がる。ティモは結局、迎えに来なかったみたいだ。もしかしたら、来られなかったのかもしれない。


どっちでもいい。それなら、僕から行く。



そう思い直して強く拳を握ると、少し遠くの街を目指して歩き出した。




***



たくさん歩くと、見覚えのある賑やかな街に着いた。太陽の場所は少しだけ高くなっていた。目的の場所は、もうすぐだ。

通い慣れた路地裏へ入れば、相変わらず半分しか見えない扉があった。ティモたちがやったように開くと、ミリヤさんはお店の中にいた。お客さんは何人かいた。



「あら、リースちゃん。今日は一人なのね」

「こんにちは」

「あらあら、こんなに土と葉っぱをくっつけて」



ミリヤさんは僕の頭や肩をぱたぱたと叩いて綺麗にしてくれる。いつもと変わらない様子を見ていると、少しだけほっとした。



「リースちゃん、ティモテやマチェールはいないの?」

「僕、ティモに追い出されたの」

「えっ?」

「教会が僕を祓えって命令したみたいなの。でも、ティモは聖水を床にこぼしちゃった。それで契約も破棄して、僕に早く逃げろって…。ティモ、一緒に逃げてくれなかった」

「……詳しく、聞かせてちょうだい」



周囲にパチパチと黄色の光を弾けさせながら僕の肩を掴むミリヤさんの手には、今までにないくらい強い力がこもっていた。




***




「なるほどね。ティモテは教会側から聖水を渡されて祓うことを命じられたのに、それに背いてあなたを逃がした。自分はその場に残って身代わりになった。そんな感じかしら」

「うん。今思い出したけど、逃げる時に、遠くからたくさんの人の気配がした。多分教会の人に連れて行かれたんだと思う」

「馬鹿なティモテ。そんなことをしたらどうなるかなんて、一番よくわかってたくせに」



僕の隣に座ったミリヤさんはため息を吐くように、少しだけ笑った。ティモが馬鹿と言われたことにむっとして、手元のミルクセーキを口に含む。甘さと香りが口に広がって、少し気持ちが落ち着く。



「よりによってアイツが、自分よりも淫魔を優先して逃がしたなんて。これだから人間を観察するのはやめられないわね」



体の向きを変えたミリヤさんはまっすぐ手を伸ばし、僕の首元へ触れるか触れないかの距離に指を置く。そこは隷属紋があった場所だ。今どうなってるかは自分じゃ見えないけれど、色が変わっているんだと思う。



「その隷属紋は破棄されたのね?」

「うん…。ティモが、僕の首を掴んで、力を流し込んだの」

「うわぁ、随分と荒業をやったものね」



ミリヤさんの顔が渋そうに歪む。そして、僕をまっすぐ見た。



「こんなことを言うのもなんだけれど、それがなくなった今、あなたはこのままどこへでも逃げちゃうことができるのよ。今のあなたは、それだけの力は十分にあるわ。私たちは本来自由な存在だもの」

「いやだ!」



ざわっと羽が震えて、僕はとっさに叫んだ。服の下で隠した羽根が一気に広がるのがわかる。ミリヤさんは表情を崩さないまま、同じ声で語りかけてくる。



「ティモテは、あなたに逃げてほしいって思ってるわ。命と引き換えにしてでもって、きっと思ってるわよ」

「違う、ティモがどう思ってても関係ない!僕はティモがほしい!どうしても、一緒にいたいの!」



僕は咄嗟に立ち上がり、羽根もしっぽもまっすぐ伸ばして叫んだ。僕の中で一番の、そのまま形の気持ちだ。急に大声を出した僕を、ミリヤさんは驚くことなく見つめてから、小さく微笑んだ。静かな、それでいて温かい笑顔だ。



「それでこそ魔のものよ、リースちゃん」

「え?」

「嫌なことを言ってごめんなさいね。でも、どうしても気持ちを確認しておきたかったの。あなたなら、十分素質があるわ」

「素質?」

「一つ、いいこと教えてあげる。あなたのだーいすきな彼を、手に入れる方法よ」

「ティモを?」

「そうよ。だから、よく聞いて」



ミリヤさんは手を包むように両手で握り、軽く下に引いた。僕は力が抜けたように椅子に座り直した。



「ティモはきっと、今日の正午に火刑にされる。これは掟に背いた神父の末路ね」

「火刑?」

「人間が悪いと判断した人間を、板に括り付けて焼き殺すの。そんなに頻繁にはないけれど、あなたもどこかで見たことがあるでしょう?」

「…!」



いつかの昔に、見たことがある。でも、炎に混じった叫び声と何かが焦げる匂い、あとは人間たちの騒ぎ声が怖くて、すぐに逃げ出した。思い出したその声を振り払うように首を振り、僕は慌てて立ち上がる。



「ティモ、殺されちゃうの?!じゃあ、すぐに助けに行かないと!」

「落ちついて、リースちゃん。今のティモテは、教会の地下にいる。あなたであっても、教会に乗り込むことはものすごく難しいわ」

「じゃあどうしたらいいの!」



もどかしくなって、ミリヤさんの手を握り返し、顔を寄せた。ミリヤさんは落ち着いた声のまま、言葉を紡ぐ。



「機会を待つの。一番いい時間を、じっと耐えて待つのよ。ティモの足元に火が付けられてからなら、人間たちはもう誰も近付けやしないわ」

「それで、どうすればいいの?」

「淫魔であるわたしたちには、わたしたち特有の力の使い方がある。人間に自分の意思で堕落を選ばせれば、特別な契約を交わせるの」

「契約?」



喉元に手を伸ばしかけて、戻した。ティモからの契約はもう解除されたんだ。ミリヤさんは僕の顎をすくい上げて、隷属紋のあった場所を確認した。



「あぁ、その隷属紋はしっかり解除されているわ。でも、一度繋がった縁は中々切れないものよ。逆に利用してやりましょう」

「どうやってやるの?」

「『人間としての安寧よりお前を選びたい』って、心から言わせるの。アイツ、間違いなくあんたに惚れてる。自信持って、全力で気持ちをぶつけなさい。そうすればきっと間に合うから」

「ティモに、大好きって言えばいいの?」

「ううん、それだけじゃだめ」



首を振ったミリヤさんは、僕のおでこにそっと指を当てた。白いほっぺたに髪がかかり、すぐに垂れ落ちる。



「どこがどう好きかって、全部伝えるの。淫魔として正しいかは置いておいて、あなたの抱えた『大好き』は、本当の気持ちでしょう?」

「うん」

「じゃあ、ちょっと待ってて」



ミリヤさんは一度部屋を出て、しばらくしてから、戻ってきた。手に持った小さな箱を開けると、とろりとした蜜色の宝石が現れた。銀色の飾りに縁取られた表面は磨かれたように丸くなめらかで、奥の方でちらちらと光がまたたいている。ミリヤさんの指がそれを持ち上げると、細い銀色の鎖が垂れ下がった。



「これは、メロウの古い魔法が閉じ込められているネックレスよ。あなたの願いを乗せて、あいつを堕落させなさい。そうすれば、きっと叶うから」

「でも、とっても綺麗だよ。もらっていいの?」



ミリヤさんは、宝石と同じ色の目で天井の灯りを見上げた。オレンジの光が反射した蜜色の目は、どこか遠くを見ているみたいだった。手が届かないくらいの、遠い場所を。

ミリヤさんは小さく首を振ると、僕の方に腕を伸ばした。首の後ろでパチン、と軽い音が鳴った時にはもう、僕の首から宝石が下がっていた。



「私は間に合わなかった。もう使うことはないから、あなたにあげる」



その言葉を皮切りに、宝石の色が一度濃くなったかと思うと、すうっと蜜色が抜けた。あとに浮かび上がるのは、鮮やかで深い緑色だった。それを見下ろして、僕は胸にわいた感情を口にした。



「もし、ティモが嫌だっていったら?堕ちないって、拒否したら?」

「リースちゃん、不安なのね。それで伝わらなくても諦めないで。人間なんて、こうしちゃえばいいのよ」



ミリヤさんは小さく微笑むと、僕の頭を掴まえて自分の胸に抱き寄せた。ふわっとしていて、ほんのり甘い匂いがして、温かい。何だかとても落ち着いてくる。



「わかった?こうやって、ぎゅっとしちゃうのよ。そうすれば、ティモテなんてすぐ堕ちてくれるわよ」

「ほんと?」

「ほんとよ。後は…笑顔ね。あなたの一番かわいい顔、してごらんなさい?」



腕を離したミリヤさんに向かって、僕はティモを思い浮かべながら笑って見せた。いつもの『かわいい顔』だ。ミリヤさんは目を見開いて笑顔になってから、僕のほっぺたを両手で挟んだ。顔の周りで、小さい光がちらちらと弾けている。



「あなた、めちゃくちゃかわいいわ。完璧ね。これを忘れずにいれば、きっと大丈夫よ」



ミリヤさんの手は、数度ほっぺたをこねて離れていった。そして、近くにあったティーポットを手に取り、慣れた手つきで紅茶を淹れてくれる。



「さぁ、ちゃんと起こしてあげるから、これ飲んで少し眠っておきなさい。しっかり力を溜めておくのよ」

「うん!」



カップを両手で持って飲み干せば、少しだけ魔力の混ぜ込まれた温かい液体がお腹に流れ込んでくる。すると急に力が抜けて瞼が落ち、僕はそのままテーブルに突っ伏した。



「私にできるのはこのくらいね。精一杯頑張りなさい、リースちゃん」



揺らぐ視界と遠のいていく意識の中、頭を撫でてくれる手が、とても優しかった。

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