第18話 ティモテの過去
俺に両親の記憶はない。
底冷えのする冬の日の朝、孤児院の前に置き去りにされて泣きもせずに立っていたらしい。覚えているのは、繋がれていた手がほどかれた時のかさついた感触と、腹の底に張り付く空腹感。それと、「ここなら、暖かく過ごせるからね」という、掠れ切った女の声。
孤児院は俺を受け入れてくれた。けれど、孤児院も決して裕福ではなかった。ストーブは食堂兼ホールに一つだけだったから俺たち孤児はくっつき合って暖を取った。食事はぱさついた黒パンに豆と家畜の臓物を煮込んだぬるいスープ。時々果物が付いたが、満足な量とは言えなかった。腹に居座る漠然とした空腹感は、いつまでも消えなかった。
ある夜、寝室を抜け出してホールに行き、神様の像に向かって『ずっとお腹が空いている、この感覚がなくなりますように』と祈ってみた。祈りの代わりに、小さな声で歌ってもみた。体が冷え切るまでじっと祈っていたが、何も起こらなかった。ガタガタと震えながら見上げた神様の像は、朝日の中、変わらない微笑みで俺を見下しているだけだった。
この日、俺は神様を見限った。
それでも、祝祭の日には神父が来た。長々と神に祈りを捧げて歌を歌わされたりしたが、その日の食事は豪華だった。肉と白パン、サラダに甘い菓子。その日ばかりは、空腹感も紛れた。
神にも、神への祈りにも興味はないが、神父になれば暖かい服が着られて、いいものが食える。
ビスケットというカリカリした甘い菓子をかじりながらそう考えた俺は、その日から勉強をした。周りの孤児たちにからかわれても目もくれず、ホールにあるけれど誰も開かなかった聖典を、辞書と首っ引きで読んだ。諳んじられる聖典のページが増えるたび、孤児院の先生は俺をほめた。ほめられた事でさらにやっかまれても気にもしなかった。こんな場所から這い上がる努力もしない奴らを、その場の感情だけで動く馬鹿だとさえ思った。
そんな生活を続けるうち、孤児院に通う神父から声がかかった。
『貴方、神学校に興味はありませんか?』
命綱が垂らされた。待ちわびた、またとないチャンスだと思った。一も二もなく、その提案にうなづいた。その頃には、聖典を全て暗記していた。
神学校の生活は決まりだらけだ。だが、一人で一つのベッドを使えるだけ、孤児院よりマシだった。周りは裕福な市民の子どもたちばかり。話が合うはずもなく、俺は孤立した。まぁ、孤立した俺に話しかける奇特な奴もいたけれど。周りの奴らは夜の間に脱走したり、持ち込み禁止のものを服の下に隠してきたりして、次々に罰則を受けていた。俺はさらに大人しいふりが上手くなった。ここまで来て罰則を食らうんじゃ、馬鹿らしいからな。心から祈りを捧げるふりと、決まりきったメロディの歌ばかりが上手くなった。
窮屈な生活に耐えて3年が経つ頃、晴れて俺は神父になった。毎日を敬虔に真面目に、静かに過ごして金を貯めた。聖典を全て覚えているから、懺悔室には進んで入った。なんでかって?相談内容に合わせたそれらしい一節を探すのが楽だからだ。当番の終わりには、特別なお手当が出た。それを懐に入れて寮に帰るのが、いつもの日課だった。
数年後、街外れに庭付きの家を買った。庭といってもただの草原で、裏手の林にある広場までが敷地だ。多少荒れてはいたが草を魔法で刈り込んだら、背丈の低い白い花がたくさん咲いた。大分古くなっていた内装を明るくし必要な家具や魔術器具を揃えた。街で見かけた好みの調度品も集めて、部屋に配置した。生活も落ち着いたある日の昼下がり、柔らかいソファに座り込んだ時にふと思った。
やっと、自分だけの居場所を手に入れた。
ここでは何をするにも自由だ。
そう実感した時、突然欲が溢れた。
生理的欲求。安全の欲求。その次は、何だと思う?そう、愛の欲求だ。
俺は次の晩、娼館へ向かった。神学校の時に同級生の話を耳にしていたから、場所は知っていた。
俺はその時初めて、生の肌の温もりを知った。
それから毎日姿を変えては娼館に通った。柔らかい手で優しく撫でられ、艶やかな吐息に耳元をくすぐられ、しっとりと肌を合わせる。その時だけは飢えを忘れ、何かが満たされた。その夜の内に消え失せる温もりを手にするために、俺は娼館に入れ込んだ。
さすがに毎日通っていれば、顔も覚えられる。不安にはなったが、教会にバレなければいいのだ。バレたとしても、それ以上の働きで返せばいい。そう割り切って通い続けた。
その内娼館以外でも声がかかるようになった。その頃には酒場にも顔を出し、美味そうなら誰にでも手を出した。当たり前だ、足りないのだから。
俺はいつしか、自分が馬鹿にしていた『生臭神父』になっていた。
そんな生活が続いたある夜、ふと窓を開けると裏の林の方で土を掘り返す音を聞いた。




