40話 苛烈する外道の業
反乱は鎮圧された。
これらの事件において王都──ひいては貧民街は多大なる被害を受けた。
だが、終わりではない。
未だ消えぬ炎の中を、一人の少女が歩いていた。
彼女が歩くたび、ぴちゃ、ぴちゃと何かが跳ねる音が聞こえる。
血。それも夥しい量の。
それらは全て、彼女を守ろうとした大人達の残骸から流れ出たものだった。
そのあどけない顔に、落ちることのない鮮血を浴び、怒りを抱いていた。
自らの運命を呪う少女に、悪魔の囁きが聞こえてくる。
──恨め、この世界を。
恨まなければならない。そうしなければならない。
こんな残酷な結末を残した全てを、呪うのだ。
「あ、あああ、ああああああ!」
少女の体を、炎が包み、呑まれていく。
割れた窓から、冷たい風が入り込んでくる。
これは、怒りだ。嫉妬だ。生きている者に対する羨ましいと思う感情で、何も知らないでのうのうと生きている者に対する怒りだ。
全てを恨むために、必要な感情だ。
「ああ、あああ……」
いつの間にか体は半分が焼け焦げ、半分が凍っていた。
掠れた声は届くことなく、そして怨めがましい呪いを残していく。
──許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない、許せない?
最早、自分が何を考えているのかすら分からず、ただ流れに身を任せる。
──怒り、妬み、何もかもが少女を蝕み、喰らいつくしていく。
そして、最期に。
どこかでこんな声が聞こえた。
「──ああ。ご馳走様。上手かったよ」
辺りに散らばった肉片は、集まりやがて姿を魔獣に変えていく。
禁断の秘術に似た何かの魔法。それが少女を構成していた肉片、血、全てをかき集め、新たな生命が芽吹く。
ただし、そこに救いなどはない。
ただ冷酷で、冷徹で、絶望を助長させるためだけの策。
そして、それは王都全体に広がっていた。
「どうして、ここ……に?」
少しずつ回復してきた体を動かし、シルヴィアはいつしか貧民街を出てきていた。
理由は分からない。本来はシュウ達との合流を目標にしていたはずなのだが、それでも彼女の足がここを目指していた。
無意識に足がここへ向いていた。何がこの場にあるか、それは分からない。
だが、酷く心をかき乱すこの絶望感はなんだ。
全ては収束に向かっているはずなのに、それでも心を支配する焦りはなんだ。
どうしようもない不安はどこから来ている?
そして、シルヴィアは見た。
貧民街の外。貧民街と外界との接触を断つはずの外壁の外に、いてはならない存在がいた。
それは、獣の形をした魔の力を持つ敵だった。
魔獣。
騎士達の活躍によってほとんどが殲滅されたはずなのに、なぜかここにいる。
「──っ」
理由がどうあれ、魔獣は人間に仇名す存在。であれば、殺すしかない。
血にまみれた己の剣を振りかざし、魔獣を殺そうと前へ歩き始めて。
そこで、何かに遮られた。
「──?」
小さな子供だった。顔に血がこびりつき、青ざめている少年は、涙目でシルヴィアに訴えてくる。
「殺さないで」
「──、え?」
少年の口から紡ぎ出されたのは、完全にシルヴィアの予想を裏切るものだった。
だって、今この子供は──?
「僕の、お母さんを、殺さないで!」
今度の今度こそ、シルヴィアは理解することを放棄した。
──おかあ、さん?
信じられなかった。
信じられるはずがなかった。
だって、目の前にいるのは飢えた目を晒している魔獣だけ。
他に、人なんて生き残ってはいない。
いや、シルヴィアだって本当は心のどこかで分かっていた。
だけど、それを認めたくはなかった。
そう、あの魔獣が、この少年の母親──!?
変化、などとは言うまい。人から魔獣に変えられた。
そんな絶対にありえない事変を前にして、シルヴィアは幼い頃ダンテに読み聞かせられた昔話を思い出していた。
古来、罪を犯した者はその罰としてその身を他の生物へと変えられた。
それと同じ原理かもしれない。
だが、それが分かったとしてシルヴィアには魔獣に変えられた人達を元に戻すことなど出来やしない。
とはいえ、この少年の言葉に従い戻る可能性を待つのも、立派な選択肢の一つだ。
その時間。シルヴィアは見続けなければならない。魔獣によって、人間が死んでいくのを。
耐えられない。シルヴィアにはそんな光景を見ることなど出来やしない。
──シルヴィアの本質は、救済だ。
全てを救い出すという本質なのだ。
だからこそ、視界に写された救いを求める者をシルヴィアは見殺しには出来ない。
二つに一つ。
魔獣となった誰かを救うか、魔獣に襲われ死の道を辿ろうとする誰かか。
究極の選択。どちらかを見捨て、どちらかを救う。
それしか、シルヴィアには残されていない。
──選択するしかない。
「──それでも」
目の前で助けなければならない存在を見捨てられるほど、シルヴィアは感情を切り捨てたつもりはない。
自らの力のなさを悲観し、奥歯を噛み締める音だけがその場に響き。
今まさに、人を喰らおうとする魔獣の頭を吹き飛ばす。
苦渋の決断だった。
全てを取捨選択し、救うべき存在を救うために剣を振るったつもりだった。
だけど、結果は変わらなかった。
今救った誰かの瞳が急に、暗くなり始める。
「──ど、どうしたんですか!?」
思わず、声を張り上げた。
だが、誰かは全く返そうとせず──それどころか、シルヴィアを嫌悪すらして。
いや、違う。
彼は恐怖しているだけだ。
「あ、ああ……た、たす、け……」
掠れた声だった。
今、シルヴィアが救ったはずの人間は絶対逃げられないものから逃げまどうように。
覆せない事象を覆してくれと、いるかどうかすら分からない神に縋るように虚空へ手を伸ばす。
最初は小さな変化だった。
本当に、本当に小さな、それこそ些細なものだった。
だけどその些細な変化は、決定的な変貌へと変わっていく。
まずは手だった。いや、爪とでも言うべきか。
それが、長く艶やかなものへと変わり──やがて手を毛が覆っていく。
シルヴィアはただその光景を見て、動くことすら出来なかった。
「助け、助けてえ……」
涙交じりに懇願され、しかしどうすることも出来ない。
だって、こんなものどうしろというのだ。
今すぐ変化を止めるべく行動を起こすべきか。それとも醜い姿へと変貌する前にその命を絶つことか。
そんな風にシルヴィアが迷っている間にも、刻一刻と魔獣へと姿を変えていく。
手が黒い毛に覆われ、爪が獰猛な獣のものへとなり替わり、徐々に手の形すら変わる。
「ああ、ああ……助けてえ……こんな、こんな終わり方は嫌だあ……」
「──」
そして、ついに体が四つん這いへとなる。
誰にだって分かる。もはや、目の前の存在に、意識など残されてはいない。
あるのは、魔獣が魔獣であるために必要な感情だ。
人間を、喰らうこと。人間を殺し、喰らい、満たされ、また飢えて人を喰らう。
終わりなき連鎖。それこそが、魔獣に許された唯一の感情表現だ。
そして今理性を保ったはずの人は、まさに怪物へと成り果てた。
『フウウウ!!』
完全に魔獣になったそれは、シルヴィアを殺さんと牙を向け、爪を立ててくる。
「──」
しかしその爪が唸り、四肢を引き裂くことはなかった。
シルヴィアの腰から抜かれた剣。それが、魔獣を絶命させた。
首を跳ね飛ばされ、重力を思い出したかのように下へと落下。
ほんの二、三回痙攣し。ぴたりと動かなくなる。
そして、同じように。
シルヴィアの後方。そこにいたはずの少年は、もういなかった。
そこにあったのは、血に飢えた猛牛の子供だけ。
考える暇もない。迷う暇もない。
無言のまま、即座に猛牛の首を切り落とした。
それで終わりなら、世界はなんと優しかったことだろうか。
だが、世界は甘くはない。
シルヴィアは見た。見てしまった。それを、見てはいけないものを、見てしまったのだ。
最早地獄絵図のようなものだった。
今の少年たちと同じように、変化したものは数えきれない。
誰かがやらなければ、誰かが死にまた同じような目に遭う。
『英雄』の後継者には、最善を尽くす義務がある。
やるしか、選択肢は残されていないのだ。
例えどれだけ心が摩耗しようとも、シルヴィアがやらなければならないのだ。
こうして無意味な戦いに、挑んでいく。
外道なる業は、苛烈を極めていくのだった。




