第89話:無菌室の侵入者たち
分厚い隔壁を抜けた先は、外の荒野や地下水脈の泥臭さとは対極にある、狂気的なまでに無菌化された純白の回廊だった。
一切の継ぎ目がない滑らかな床に、氷水と泥に塗れた四人のブーツが汚らしい足跡を幾つも刻んでいく。
「……悪趣味なほど綺麗な場所ね。匂いがなさすぎて息が詰まりそう」
シエナが鼻を顰めながら、濡れた髪の毛を軽く払う。
「王都の連中は『不規則な要素』を極端に嫌うからね。さて、内側のネットワークはどうなってるかしら」
エリスは壁面に埋め込まれていたメンテナンス用のパネルを強引に引き剥がし、端末を接続した。青白いコードが彼女の網膜に流れ込むと、呆れたように肩をすくめる。
「予想通り。外殻の論理防壁とレーザー網にリソースを全振りしてるせいで、内部のセキュリティはザルよ。外からの侵入者が絶対にゼロであることを前提とした、完全に平和ボケしたシステムね」
「なら、一気に中枢まで駆け抜けるぞ」
レイが先頭に立って純白の回廊を進む。
だが、十字路に差し掛かった瞬間、音もなく滑るように現れた純白の自律型警備ドローンと鉢合わせた。王都の紋章が刻まれた、卵型の流線型フォルム。
『――警告。未登録の有機生体反応を検知。エラー、該当データが存在しません。ただちに……ピピッ?』
ドローンの電子音声が、途中でバグったようにフリーズする。
最適化された都市のシステムにとって、絶対の防壁をすり抜けて泥だらけの人間が内部に立っているという状況は、論理的に「あり得ない」事象だった。AIがこの矛盾を処理しきれず、判断のループに陥りわずかに硬直したのだ。
「思考してんなら、そのまま永遠に止まってろ」
警報が鳴るよりも早く、レイの【黒樹の邏卒】がドローンを無造作に叩き割った。
甲高い破砕音と共に純白の機体が無残な鉄屑となって散らばり、価値のあるデータコアだけが【事象略奪】によってレイのリストホルダーへ吸い込まれる。
「……ひぅっ、見つかっちゃいましたよ!?」
ニアが慌てて周囲を見回すが、後続の警備部隊が来る気配はない。
「問題ないわ。ドローンが現状をエラーとして処理しようとしたせいで、警報のプロトコルすら起動してない。あいつらの完璧なルールじゃ、私たちの『泥臭い物理行動』は完全に計算外なのよ」
エリスが端末からケーブルを引き抜き、頭上を指差した。
「この真上が第一拡張都市の心臓部、サブフレーム・コア。……そして、この都市を統括する『管理者』の居場所よ」
純白の無菌室を、泥に塗れたバグたちが悠然と汚しながら進んでいく。王都のエリートたちが引きこもる箱庭の崩壊は、すぐそこまで迫っていた。




