第88話:凍てつく水脈と幻影の泥
第一拡張都市の足元深く、荒野の地下水脈を強引に吸い上げる巨大な取水施設。
凍てつくような水が轟音を立てて流れる暗いパイプの入り口で、四人は息を潜めていた。
「……じゃあ、いきます。少し息苦しくなりますけど、我慢してくださいね」
ニアが震える両手を広げ、淡い青色の光を放つ医療コードを展開する。
【生命抑制】――本来は重症患者の進行を遅らせるための強制的な仮死プログラムだ。光が四人の体を包み込むと同時に、心拍数は極限まで低下し、体温は周囲の冷たい水と区別がつかないレベルまで引き下げられた。
「……っ、こりゃあキツいね。本当に死体になった気分だわ」
シエナが青ざめた顔で身震いする。だが、王都の生体スキャンを欺くにはこの冷たさが必要だった。
「次は俺の番だ」
レイは左手首のリストホルダーを起動し、泥の汚染獣から得た『捕食者のコア』と、手持ちのジャンクカード【隠密】を合成のプロセスへ放り込んだ。
バチィィッ! と赤黒い火花が散り、新たなバグ・コードが生成される。
【質量同化:幻泥】
レイがそのコードを起動すると、四人の輪郭が周囲の景色と溶け合うように歪み始めた。光学的な迷彩ではない。肉体の質量そのものを周囲の『水』と『光』のデータに同化させる、理不尽なエラー処理だ。
冷たい水に半ば浸かりながらパイプの奥へ進むと、エリスの言った通り、空間を幾重にも切り刻む赤い光学レーザーの網目が現れた。触れれば一瞬で肉を焼き切られる即死のトラップ。
だが、幻泥のバグを纏った四人がその網目を通り抜けても、レーザーは「ただの水が流れただけ」と誤認し、警報一つ鳴らすことはなかった。
「……完璧ね。生体反応も光学センサーも完全にスルーよ。あいつらの最適化された防衛システムは、こういう『仕様外のバグ』にはとことん脆い」
エリスが氷水に浸かりながらも、端末のモニターを見てニヤリと笑う。
レーザー網を抜けた先、パイプの終点には第一都市の地下中枢へ続く分厚い超合金の隔壁が立ち塞がっていた。デジタル制御から物理的に切り離された、ただの巨大な鉄の塊だ。
「鍵がないなら、こじ開けるまでだ」
レイが【黒樹の邏卒】を静かに振り抜く。
事象破壊の高周波バグが、一切の音を立てることなく分厚い隔壁を円形にくり抜いた。
ゴトリ、と重い鉄塊が内側へ倒れ込む。
その隙間から漏れ出してきたのは、荒野の泥臭さとは無縁の、無菌室のように冷たく清浄な空気だった。
「……潜入成功ね」
最も分厚い装甲を誇る第一拡張都市。その無防備な腹の底へと、泥に塗れた最弱の反逆者たちがついに足を踏み入れた。




