第80話:捕食者の底
機能を停止した巨大なエスカレーターを、四人は慎重に下っていく。
ニアが展開する【清浄なる領域】の淡い光が周囲の瘴気を押し返しているが、下層へ進むにつれて、足元の感触が明らかな異変を告げていた。
硬いコンクリートだったはずの床が、泥のようにぬかるみ、微かに脈打っているのだ。
「……ひどい有様ね。レイ、右の壁際を見て」
エリスが端末のライトを向けた先には、無惨にひしゃげた巨大な金属の塊があった。
それはかつて、このシェルターを守るために配備されていたであろう重武装の自律型防衛兵器の残骸だった。しかし、破壊されたというよりは、強酸でドロドロに溶かされ、「咀嚼されて吐き出された」ような異様な壊れ方をしていた。
「防衛システムが暴走したんじゃない。当時の連中は、これに『兵器ごと喰い破られて』逃げ出したのよ」
シエナが冷や汗を拭いながら双剣を構える。彼女の獣耳が、暗闇の奥でうごめく巨大な質量音を捉えていた。
ズル……ズズン……。
最下層の広大なフロア。そこに「それ」はいた。
確たる輪郭を持たない、赤黒い汚泥と瘴気の集合体。その粘体の中には、消化しきれなかった旧時代の兵器のパーツや、無数の人骨が取り込まれ、不気味に浮かび上がっている。
王都のシステムがどれほど完璧な論理防壁を構築しようとも、物理的にすべてのデータと金属を「捕食」し尽くす、純粋で暴力的なバグの泥。これこそが、かつて人々が分厚いシャッターを降ろしてまで見なかったことにした恐怖の正体だった。
「グォォォォォォォォォォッ!!!」
泥の巨塊が咆哮を上げ、無数の触手を大波のように放ってくる。触れただけで肉体も装甲も溶かし尽くす、致死の質量兵器だ。
「キャアッ!」
ニアが悲鳴を上げながらも浄化の光を強めるが、物理的な質量の暴力までは防ぎきれない。
「下がるんだな、旧時代の亡霊」
その大波の前に、レイがただ一人歩み出た。
左手首のリストホルダーが赤黒く明滅する。かつてなら逃げるしかなかった圧倒的な質量の理不尽に対し、レイは【黒樹の邏卒】を静かに横へ薙いだ。
ズバンッ!!!
漆黒の棍から放たれた極大防壁のエネルギーが、押し寄せる泥の触手を透明な壁となって弾き返し、そこに重なっていた【事象破壊】のバグコードが、泥の汚染獣の細胞をデータレベルで根こそぎ消滅させていく。
「何でも喰らうってんなら、王都の殺戮システムの味も喰ってみろ」
泥の巨塊が初めて「痛み」に似た怯えを見せて後退する。
システムの枠外で独自の進化を遂げた深淵の捕食者に対し、荒野の底辺から這い上がってきた『最弱の反逆者』の刃が、今、完全にその牙を突き立てていた。




