第49話:這い出す者たち
外の荒野を覆っていた鉛色の雲がわずかに薄れ、鈍い灰色の陽光が岩肌を照らし始めた頃。気温が夜間の氷点下から辛うじて活動可能な水準まで上昇したのを見計らい、レイは静かに立ち上がった。
「時間だ。歩けるか」
冷徹な声に促され、エリスは冷たい壁に手をつきながらゆっくりと腰を浮かせた。
生体回路のオーバーヒートは完全に鎮まっているものの、極度のエネルギー不足と枯渇した魔力(MP)のせいで、その足取りは生まれたばかりの小鹿のように覚束ない。膝が微かに震え、今にも崩れ落ちそうになるが、彼女は奥歯を噛み締めて意地でも姿勢を保った。
「……ええ。フルマラソンは無理でも、廃墟の散歩くらいなら付き合えるわ」
強気な言葉とは裏腹に、その息はすでに上がりかけている。レイは無言のまま彼女の歩調に合わせ、いつでもその体を支えられる絶妙な距離感を保ちながら洞窟の出口へと向かった。
外の荒野は、相変わらずの荒涼とした風景が広がっていた。
吹き付ける風は冷たいが、夜の間に二人を閉じ込めていた絶望的な凍気は和らいでいる。洞窟を一歩出たエリスの視線が、入り口付近の岩陰に転がっている異質な残骸に釘付けになった。
「これが、夜の間にあなたが言っていた暴走オートマトン……」
エリスはよろめく足を引きずりながら、首を不自然な角度にへし折られて沈黙している機械の残骸に近づいた。
装甲の隙間から覗く内部フレームは、見事に一点の打撃で粉砕されている。かつて王都のシステムで構築されていた強固な自動防壁の痕跡はなく、純粋な物理的な破壊エネルギーだけで中枢をぶち抜かれたのだと、彼女の優れた解析眼は即座に理解した。
「……信じられない。王都のセキュリティなら、このクラスの装甲は魔力兵装か高位のハッキングコードがないと貫通できないはずよ。それを、その木の棒だけで?」
「システムが介在しない純粋な物理法則の世界なら、脆い関節や中枢への一点集中の打撃で十分に破壊できる。……それに、この棒自体がすでに『ただの木』ではない」
レイの右手に握られた【ただの木の棒】は、昨夜の戦闘を経て、木肌に刻まれた電子回路のような文様がかすかな明滅を続けていた。エリスはその不思議な現象に目を細めたが、すぐに自身の激しい目眩に襲われ、小さく頭を振った。
「考察は後回しね。今はとにかく、エネルギー源の確保が先よ。私の生体回路が、さっきから『カロリーと水分を寄越せ』ってエラーを吐き続けてるわ」
「ああ。俺の背中から離れるな」
二人は風化しつつある瓦礫の山を越え、再び地中に半ば埋もれたドーム状の施設――中継ステーションの残骸へと足を踏み入れた。
重い金属の扉をレイが押し開けると、冷たい埃と化学薬品の匂いが混ざり合った澱んだ空気が流れ出してくる。エリスは鼻先を覆いながらも、その暗がりの中へと躊躇いなく足を踏み入れた。
レイの左手首のリストホルダーが放つ青白い冷光を頼りに、二人は昨日レイが操作した中央コンソールルームへと向かう。
赤いインジケーターランプだけが規則正しく点滅する薄暗い部屋に到着すると、エリスは荒い息を吐きながら埃まみれのコンソールの前に立った。王都にいた頃のように、空中に展開されるホログラムのARインターフェースなど存在しない。そこにあるのは、物理的なキーボードと文字化けした旧式のモニターだけだ。
「……ローカル電源は生きているわね。レイ、昨日は物理スイッチで医療区画を開けたと言っていたわね」
「ああ。文字化けしたマップから、手動でロックを強制解除した」
「MPが1の今の私じゃ、魔力を使った高度な直接干渉は無理よ。でも、物理的な配線の流れとローカルコードの誘導なら手伝える。……備蓄庫のルートを割り出すわ」
エリスは震える指先を、古びたキーボードへと滑らせた。
王都のエリートハッカーとしての彼女の真骨頂は、システムからの手厚いサポートではなく、純粋な計算能力と論理構築にある。打鍵するたびに微小な静電気が走り、ひび割れたモニターに緑色の文字列が滝のように流れ始めた。電源の供給ラインとエラーコードの配列を目視で読み解きながら、彼女は食糧庫へと繋がる生きているゲートを探り当てていく。
レイはその背後で【ただの木の棒】を静かに構え、彼女の作業を妨げるあらゆる脅威を排除するため、暗闇の奥へと冷徹な視線を光らせていた。限界ギリギリの肉体を抱えた二人の、生きるための泥臭い解析作業が始まった。




