第48話:再起動と次の課題
洞窟の入り口から差し込む薄明かりの中、エリスは焦点の定まらない瞳を数度しばたかせ、ようやくレイの輪郭を正確に捉えた。
「気分、ね……。最悪のどん底からは、這い上がれたみたい」
彼女はゆっくりと自身の右腕を持ち上げる。つい数時間前まで、皮膚を突き破らんばかりに明滅し、高熱を発していた生体回路の異常なスパークは完全に収まっていた。
裂傷の跡にはレイが塗布した青白い生体冷却ジェルが乾いて薄い皮膜を作り、首筋に貼られた鎮静パッチが冷んやりとした心地よい圧迫感を残している。神経を苛んでいた激痛は嘘のように消え去り、代わりにやってきたのは、全身を鉛のように重くする圧倒的な『虚脱感』だった。
「魔力残量(MP)は……相変わらず底をついたまま。1からピクリとも動かないわ。でも、自己修復プロセスが正常に働いているのは分かる。……あなたが、徹夜で持ち堪えさせてくれたおかげね」
エリスは冷たい岩壁に手をつきながら、少しだけ姿勢を正した。
彼女の本来のプライドの高さからすれば、ここまで無防備な姿を晒し、一方的に庇護される状況は屈辱的ですらあるはずだ。しかし、いま彼女の口から出たのは皮肉ではなく、静かで素直な感謝の言葉だった。
レイは冷徹な表情を一切崩すことなく、短く応じる。
「俺は周囲の警戒をしていただけだ。修復をやり遂げたのは、お前の回路自身の耐久力だろう」
「可愛げのない返しね。素直に恩を着せておけばいいのに」
ふっと、エリスの唇の端にわずかな笑みが漏れる。それは王都にいた頃の計算された余裕の笑みとは違う、疲労困憊の中に見せた等身大の安堵の表情だった。
ふと、彼女の視線がレイの膝の上に置かれた【ただの木の棒】へと止まった。
「……レイ、その棒。昨日よりも……」
「ああ。夜の間に、少し変化があった」
レイは木の棒を軽く持ち上げ、エリスの方へと傾けた。
薄暗い洞窟の中でも、木肌に浮かび上がった幾何学的な電子回路の文様が微かな青白い光を放っているのがはっきりと分かる。
「昨夜、単体で迷い込んできた暴走オートマトンを処理した。その直後から、表面にこの文様が浮かび上がっている」
「暴走オートマトン……。それを、その木の棒だけで?」
エリスは驚きに目を丸くした。王都の管理下にある防衛ユニットであれば、物理打撃など容易に弾き返すシールドを展開している。いくらシステム外でエラーを起こしていたとはいえ、ただの打撃で破壊できるほどヤワな装甲ではないはずだ。
「古武術の極意で、中枢回路だけを一点突破した。……だが、それ以上にこの棒自体が、システム外のエネルギーやデータの残滓を吸収して、質量と強度を上げている感覚がある。進化の閾値に近い」
「システムの自動アップデートなしで、武器自体が環境に適応して自己進化を始めている……。やっぱり、私たちの常識はここでは通用しないみたいね」
エリスは興味深そうに棒の文様を見つめた後、小さく息をついて自身の腹部へと手を当てた。
「……状況は分かったわ。私の命の危機も去った。でも、凄く泥臭くて切実な問題が一つ残っているの」
「なんだ」
「純粋なエネルギー不足よ。MPが枯渇しているだけじゃなくて、カロリーと水分が足りない。このままじゃ、立ち上がって歩くことすら怪しいわ」
王都の箱庭にいた頃は、空腹や喉の渇きといった生理現象すらもシステムによって最適化され、配給されるリソースカードを使用するだけで瞬時に満たされていた。しかし、今の彼らは純粋な生身の肉体を抱えた存在に過ぎない。細胞が活動し、傷を治そうとすれば、当然のことながら莫大なカロリーと水分を要求してくるのだ。
レイもまた、静かに自身のステータスを内観した。
氷点下に近い夜風に晒されながらの徹夜の警戒と、極限の筋力を引き出したオートマトンとの戦闘。それによる肉体の消耗は、冷徹な彼の思考回路にも確かな「飢えと渇き」として警告を発し始めている。このままエネルギーを補給できなければ、緩やかに衰弱していくのは火を見るより明らかだった。
「水と食料、あるいはそれに代わるエネルギー源か」
「ええ。あなたが昨日行った中継ステーションの残骸に、まだ何か残っていればいいんだけど……」
「俺が探った医療区画の他に、未探索の備蓄庫らしきブロックのログはあった。だが、まともな食品は期待できないだろうな」
「贅沢は言わないわ。栄養ブロックの化石みたいな固形食でも、今はご馳走よ」
二人の次の目的は明確になった。
まずはエリスが自力で歩けるようになるまで最低限の休息を取り、その後、再び中継ステーションの内部を探索して生きるためのエネルギー源を確保する。
レイは立ち上がり、コートについた土埃を軽く払った。
「あと数時間休め。日が昇りきり、外の気温が少しでも安定したら動く」
「……ええ。頼りにしてるわ、レイ」
夜明けの光が少しずつ強さを増していく洞窟の中で、二人は次の生存行動に向けた確かな意志を共有していた。




