第39話:帰還と応急
中継ステーションから繋がる薄暗い洞窟の通路を駆け抜け、レイはエリスを置いた奥まった一角へと滑り込むように戻った。
洞窟の奥に広がる湿った闇の中、微かに聞こえるのはエリスの乱れた息遣いだけだった。
「……レイ……?」
足音に気づいたのか、壁に背を預けて座り込んでいたエリスが、か細い声で顔を上げる。
その顔色は先ほどよりもさらに青白さを増し、冷や汗に濡れた灰色のショートボブが額に貼り付いていた。生体回路のオーバーヒート(負荷92%)がもたらす神経の痙攣は限界に達しており、わずかに開いた唇の端が痛みに耐えるように小刻みに震えている。
レイは無言のまま彼女の元へと歩み寄り、その場で片膝をついた。
「遅かったわね……。もう、回路の焼き付きで、指一本動か……」
「喋るな。これを使え」
レイはコートのポケットから、先ほどステーションの救護室で回収した金属製の容器を取り出した。
中に入っていたのは、旧式の「生体冷却ジェル」と「鎮静パッチ」だ。システムの外側にあるこの荒野では不確実なカード化を避け、物理的な容器で持ち帰ったそれが、いま二人の手元にある。
エリスは差し出された容器を見て、わずかに瞳孔を揺らした。
「これ……ステーションの……。システムの外で、よく物理的に……」
「余計なことを考えるな。手首を出せ」
レイの冷徹だが迷いのない声に促され、エリスは震える腕を辛うじて持ち上げた。
レイは容器の蓋を開けると、まずは青みがかった生体冷却ジェルを指に取り、エリスの露出した腕の裂傷と、過熱で熱を発している神経回路の走る皮膚へと的確に塗り広げた。
「っ……あ……!」
ヒリつくような冷感が、異常発熱を起こしていた生体回路を急速に冷やしていく。
脳髄を焼くような激痛が一瞬跳ね上がった後、ジワジワと神経の過負荷が沈静化していくのが見て取れる。エリスの喉から、苦悶交じりの小さな喘ぎ声が漏れた。
すかさずレイは鎮静パッチを剥がし、彼女の首筋へと貼り付けた。
パッチから微弱な電気信号と鎮静成分が流れ込み、エリスの全身を襲っていた激しい痙攣が、嘘のようにスッと収まっていく。
「はぁ……はぁ……、これ……は……」
荒かった呼吸が、少しずつ規則正しいリズムを取り戻す。
MPは依然として1のまま底をついているものの、92%に達して機能停止寸前だったオーバーヒートの危険水域から、辛うじて命をつなぎ止めることに成功した。
エリスは額の汗を拭うこともせず、脱力したようにその場で深く息を吐き出した。
「……助かったわ、レイ。……あなたがいなければ、今頃私はただのデータの残骸になってたわね」
わずかに取り戻した赤みのさした顔で、エリスは自嘲気味に、だが確かな感謝を込めてそう呟いた。
レイは立ち上がり、左手首のリストホルダーから漏れる青白い冷光で洞窟の奥を照らしながら、短く返す。
「礼を言うのは、完全に動けるようになってからにしろ。……まだ安全圏に出たわけじゃない」
外の世界の脅威はまだ終わっていない。だが、致命的な危機を脱した二人は、次のステップへ進むための確かな足がかりを掴み取っていた。




