第2話:エリートの計算違い
巨大な牙を持つ特異個体の魔獣が、青白い咆哮を上げて前足を振り下ろした。
巻き起こる風圧だけで、周囲の石畳がクモの巣状に砕け散る。
「ひっ、死ぬっ……!」
逃げ遅れた周囲の訓練生たちが腰を抜かし、地面を這うようにして後ずさった。
彼らが持っている初期デッキは【鉄の短剣】や【小火球】といった、そこそこの実用性を持つカードばかりだ。だが、いざ本物の魔獣を目の前にすると、恐怖で足がすくみ、カードを取り出すことすらままならない。
そんな中、一人の華やかな制服をまとった少女――エリート令嬢のルミアが、怒声を飛ばした。
「情けない声を出すな! 落ち着いてカードスロットを展開しなさい! 私に続け、一斉攻撃よ!」
ルミアの周囲には、眩い光を放つ上級の【魔導書カード】が三枚、優雅に浮遊している。さすがは最高ランクの適性を示したエリートだけあり、その魔力密度は周囲を圧倒していた。
彼女は周囲の視線を一身に集めながら、冷徹に微笑んだ。
「見なさい。これが正統なカード使いの力よ。あんなゴミのような木の棒を持っている平民崩れとは、格が――」
その瞬間。
ルミアが自慢の【魔導書カード】から高圧の炎を放とうとしたまさにそのコンマ数秒前、彼女の視界の端を、ひとつの影が通り過ぎた。
――レイだった。
「……は?」
ルミアが思わず声を漏らす。
恐怖で逃げ惑うべき平民の少年が、あろうことか魔獣の正面へと、スリッパの音をパタパタ響かせながら歩み出ていたのだ。
手にあるのは、攻撃力1の【ただの木の棒】一本だけ。
「おい、正気かあの男……!?」
「特攻自殺だあいつ!」
ギャラリーたちの悲鳴と嘲笑が入り混じる中、レイの頭脳内では、驚異的な速度で「確率演算」がフル回転していた。
(魔獣の突進速度、秒速12メートル。筋肉の硬化硬度、人間換算で鉄板の三倍。そして――こいつの視覚構造は動体にのみ反応する旧式タイプだ)
レイの瞳に、魔獣の全行動パターンが幾重もの数式となって映し出される。
相手が次に取るべき最適解は、巨大な牙による噛みつき。
だが、それはシステムに依存した「脳筋」の思考ルーチンが生み出す、あまりにも単純な直線運動にすぎなかった。
《警告:敵の突進まで、あと0.4秒》
「遅いな」
レイは呟くと同時に、足元の【歩法:極】を爆発させた。
魔獣が牙を突き立てようと突進してくるその軌道に対し、レイはあえて真正面から一歩も引かず、すれすれの位置へと踏み込む。
バシュッ!
魔獣の巨体が通り過ぎる風圧がレイの髪を揺らす。
だが、レイの手にある【ただの木の棒】は、攻撃するためではなく――別の目的のために使われていた。
レイはすれ違いざま、魔獣の巨大な瞳孔の真ん中に向かって、手元の棒の先端を正確に突き入れたわけではない。
――いや、正確には、その直前に「ある細工」をしたのだ。
スロットから瞬時に引き抜いた二枚目のカード。
【微風】
――説明:MP1を消費して、ほんのり涼しい風を送る。
「……そよ風、発動」
ボッ、と小さな音と共に、魔獣の鼻腔の真ん前で、ほんのり温かい(あるいは涼しい)微風が、ピンポイントで巻き起こった。
もちろん、それだけで魔獣のHPが削れるわけがない。攻撃力は「1」なのだから。
だが。
この魔獣の生態は「極度の乾燥地帯に適応した突然変異種」。
その呼吸器系は、わずかな湿度や風の乱れに対して異常なまでの過敏反応を示すという特徴があった。
「グ、ギャァァァッ……!?」
鼻腔に送り込まれた「想定外の風」と、その隙に巻き上げられたわずかな砂塵。
それまで完璧な精度でレイを捉えていた魔獣の三半規管が激しくバグり、巨体がバランスを崩して盛大に前のめりへと転倒したのだ。
ドゴォォォン!!
地面が大きく揺れ、砂煙が舞う。
最高峰の魔法を放とうと構えていたエリート令嬢ルミアの目の前で、あの暴虐な魔獣が、ただの「風と自爆」によって勝手にひっくり返っていた。
「なっ……嘘……? 今、何が起きたの……?」
ルミアは言葉を失い、浮遊させていた魔導書カードを思わずポトリと取り落としそうになる。
周囲のギャラリーも、口をぽかーんと開けたまま完全にフリーズしていた。
砂煙の中、レイは【ただの木の棒】を肩に担ぎ直し、やれやれと首を振る。
「さて。体制を立て直される前に、この『ゴミ手札』の次の使い道を試させてもらうか」
最弱のカードと最強の頭脳が織りなすハメ技劇場の幕開けに、エリートたちの常識が音を立てて崩れ去っていく――!
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【名前】 レイ
【職業】 無職 / 【Lv】 1
【HP】 50 / 50
【MP】 4 / 5 (※微風でMP1消費)
【筋力】10 【敏捷】15 【魔力】1
《装備スロット(3/3)》
・【ただの木の棒】【微風】【白紙のエラーカード】
《生身スキル(※システム外)》
・【確率演算】【古武術:極】
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