第29話 エンカウント(2)
なんとか我の失言をハバが上手く誤魔化し、マシューの出迎えを終えた我は執務室までの道のりを、考え事をしながら歩いていた。
マシューの援軍は荷物もあるので、ひとまず客室に移動させた。ビュシーもハバを付き添わせて四階へ移動させたから心配はいらぬ。
それにしても、ビュシーとマシューは相変わらず仲が悪い。
優秀な兵を多く持つクレアルーン領と、有能な情報を網羅しているメライトロ領はどちらも魔界で最も重要な領主貴族の一つだ。来城回数も両者が突出して多い。それゆえ、どちらがより魔王に貢献しているのか、という論争は我が幼き頃から聞いてきた。
それが今はビュシーの重たい感情により少し曲がってきている気はするが……。
「むッ!」
ため息を吐きそうになりながら廊下の角を曲がろうとしたら、誰かとぶつかってしまった。
「すまぬ、大丈夫か?」
手を差し伸べようとして相手の顔を見た我は、思わず固まってしまった。
「「…………」」
ぬぬぬ……、勇者だった。
我は差し出した手を瞬時に引っ込め、勇者も我に気付いて俊敏な動きで距離を取る。
バクバクと心臓の鼓動が我の体を強く打つ。
落ち着くのだ、我!
まずは冷静になるのだ。目の前にいるのはどっちの勇者なのか判断しなければならぬ。影武者か、それとも本物か。
勇者は救護室で大人しくしていたはずだ。おそらくそれは素直な勇者……影武者であろう。ということは、目の前にいるのは…………本物の勇者。
まずい……。
勇者の目的は我の首。であれば、制裁を受ける覚悟で我を襲うことも厭わぬはず。
「「ッ……!」」
契約書を出して戦闘態勢に入ると、勇者も大剣に手を伸ばした。
静かな睨み合いが場を支配する。
ふと、我は初めて勇者と対峙した時を思い出す。
魔獣を召喚したものの勇者は動じず、さらに一撃でオルザークを破り、息つく間もなく我の首目掛けて大剣を振ろうとした。
む……やっぱり無理だ。
ずっと我らを影武者を用いて騙していた相手だぞ! 手の平で踊らされていたのだ。
ぬぬぬ……逃げたい。
だが、魔王として勇者に背を向けることはできぬ。逃げたと知れたらおしまいだ。
であれば……!
「勇者よ、残念だがお主がその剣を引き抜くことはない」
威圧感を忘れずに、我は告げる。
「契約のことは覚えているだろうな。我に傷一つでも付ければ制裁が下り戦えぬ状態となる。お主はただ大人しくしていれば良いのだ!」
勇者は微動だにせず我を睨んでいる。あの時と一緒だ。つまり、全く臆しておらぬということか。我の魔界一の威圧感が……。
もう、あの手を使うしか!
「これで終わりだ!」
我はバッと背中のマントを取り、勇者の目の前に広げる。
そして、都合良く近くにあった隠し通路に震える足で逃げ……いや、跳び込んだ。
■
……終わった。
ラームにカッコよく言っておきながら、ボクは救護室を出て五分で絶望に肩を抱かれた。
目の前に魔王がいたのだ。
どうするどうするどうする。
この後、恐ろしい魔物マシューが来ることを考えれば、仮に今ここで魔王を倒せたとしても制裁を受けて、ボロボロになったところを魔物に食われてしまう。
戦えない。でも、勇者として逃げることもできない。押すことも引くこともできない状況。
都合良く魔王がどこかに行ってくれれば……。
「勇者よ、残念だがお主がその剣を引き抜くことはない」
威圧感たっぷりの声がボクを呑み込む。
ボクが大剣を引き抜くことはない? そんな暇を与えずに瞬殺するぞっていう脅し?
冷や汗が背中を滝のように流れる。
「お主はただ大人しくしていれば良いのだ!」
大人しくしていれば良い……。
これは妙な動きをしたら一瞬でボクをあの世へ逝かせるということ?
動いちゃダメだ。動いちゃダメだ。動いちゃダメだ。
「これで終わりだ!」
え、えっ、何? 終わりって何? ボク動いてないよ!
殺さないでぇ!
ブァサッと魔王がマントを翻したかと思うと、ボクの視界をマントが占領した。
……あ、目くらましをして、その隙に何かやるつもりなんだ。
分かったものの、極度の緊張で動けずにいたボクは呆然とマントを見つめるしか――
「え……?」
てっきり無残にも終わってしまうんだと思い込んでいたボクは、攻撃されることなくマントがパサッと廊下に力なく落ちたことに戸惑う。
いや、それよりもボクを驚かせたのは、そこにいたはずの魔王が消えていたこと。
廊下の曲がり角。見通しの良い一本道がしばらく続く場所。
それなのに、魔王が消えたのだ。
「……そうか!」
こ、これは……魔王に植え付けられた恐怖心だ! 偶然落ちていた魔王のマントがボクに魔王の恐ろしさを幻覚のように思い起こさせたのだ。
まるで弱気なことを見抜かれたようで情けない。
ボクは恐怖心を克服するためにも魔王のマントを拾い上げ、震えが収まるのを待った。
ガタンッ!
ようやく心が静まりかけていた時、廊下の先の方で何かが落ちる音がした。
顔を上げると、魔族がいた。たくさんいた。ボクを見ていた。
「き、貴様……それはベルシュート様のマント……。なぜ持っている……?」
声を震わせながら、敷居の高そうな青年の魔族が言う。
「大剣を担いだ若い女。ま、まさか……貴様、勇者だな! まさか、その手でベルシュート様を……? 僕が援軍を連れて来ていながら……?」
「あ、いや……これは誤解で……」
今にも爆発しそうに震えながら、魔族は叫んだ。
「勇者を……潰せぇ!」
やばいやばいやばい!
ドッと一斉に廊下を埋め尽くして迫ってきた魔族に、ボクは泣きそうになって逃げた。
転びそうになりながら「捕まったら終わりだ」という強迫観念に急かされて、ひたすらがむしゃらに走り、上って、飛んで、魔王城を駆け巡る。
どうしてこんなことに! ストレスフリーな放牧だったのにぃ!
恐怖と疲労で、涙は零れる。鼻水は垂れる。口は喘ぐ。
誤解を胸にボクは心の中で叫んだ。
魔王を倒せるなら、とっくに英雄になってるよおおおぉぉぉぉぉ!!!
ご来城ありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。




