第2話 クライマックス(2)
我の目の前に勇者がいる。
光明という希望を背負い、輝く目をした勇者がいる。
この魔王城まで辿り着くとは、相当な実力の持ち主なのだろう。
大広間の縦長の窓から忍び込む宵闇の光が勇者に誘われ、その凛々しい顔を照らす。
――時が来た。
ふと、そんな言葉が頭をよぎった。
とうとうこの時が来てしまった、と。
案外早くに来たものだ。
今は亡き父上の跡を継いで魔王となった我の前に辿り着く人間が現れた。
思えば、一瞬であったように感じる。
二年前、幾人もの勇者を葬った父上が病で亡くなり、齢十五にして魔王となった我にはこの瞬間までの二年間はとても早かった。
未熟であった我は必死に魔法の研究をした。研究のしすぎで熱を出すこともあった。
修練には、城の警護係の者が本気で相手をしてくれた。おかげで研究した魔法の精度を高めることができた。魔王としての態度や作法に関しては執事やメイドたちが丁寧に教えてくれた。執事は身分など気にせずに我を叱り、一から魔王の職務を叩き込んでくれた。
それが今日、魔王としての力を試される。
勇者の討伐という最大の職務を前にして、二年の間に魔王である自覚と誇りが大いに我の中に根付いていたことを改めて認識した。
そして今、我の目の前に勇者がいる。
マントをなびかせて堂々と二本の足で体を支え、向かい合う。
これから我は勇者と戦う。
一対一。
部下に手を出すなと指示をした今、ここには我と勇者しかおらぬ。
戦うのか。
勇者が大きく息を吸い込んでいる。さあ、来るか。
む…………無理だ!
ぬぬぬ……。
足が動かぬ。
心臓の鼓動が全く緩まってくれぬ。
やっぱりまだ勇者と戦うのは早かったのだ!
執事はどこにいるのだ? いつもならすぐ傍にいるのだが『我が直接迎え撃つ』と見栄を張ってしまったために近くにはおらぬのだ。さっきから小声で呼んでいるのに来る気配がない。勇者に聞こえぬようにボソボソとしか呼べぬのは不都合で困る。
頼むから早く我のところまで来てくれ! 自信もないのに部下の前で魔王らしく振る舞わなければならず、強気な発言をしてしまったことは反省しているから早く来てくれ!
相手は魔王城まで攻め込んでくる勇者なのだ。きっと幾人もの魔族を葬ってきたに違いない。そんな勇者を相手に我が一人で戦うなど無鉄砲だ! 今も我の隙を窺うように勇者は立っている。
くぅ……、どうしてそんなに真っすぐな目を向けられるのだ? 我は威圧感に関しては魔界一と言われているのだぞ。勇ましすぎる。
父上が亡くなってからのことを想い、これまでの苦労を振り返って平常心を保とうとしたが全く無意味であった。
ぬぬぬ……。
このまま何もせずにいては、勇者の持つ大剣で体を二つに斬り裂かれてしまう。いや、もしかしたら魔法で攻撃してくるかもしれぬ。と見せかけて、飛び道具という手もある。
こんなに悩むなら歴代勇者の記録をもう一度確認しておくべきだったか。
ええい! もうこうなったら攻撃される前に攻撃するしかない!
我は震える手でペンを持ち、空中に召喚文を書いた。
そして召喚文に魔力を注ぎ込む。
すると、ズドン! と大広間を響かせる衝撃と共に、我が召喚できる魔物の中で最も強い魔獣を召喚した。
巨大な漆黒さで宵闇を告げるかのような魔獣が勇者の前に現れる。
魔界でも屈指の強さを誇るこの魔獣であれば、百戦錬磨の勇者といえども容易には倒せぬはず。これで勇者の体力を削ることができれば、勝利は我のものだ!
む? 待て。
何か不安な感情が胸の中に蠢いている気がする。このざわめきはなんだ?
急かされるようにして我は考える。
今、魔獣が勇者の前にいるから、我の位置からは勇者が見えぬ。もし、勇者が瞬間移動系の魔法を使えたらどうする? 死角から急に現れて我を……。
ダメではないか!
気付いた時には、後ろから大剣で貫かれていた……なんて恐ろしいにも程があるぞ。
死ぬわけにはいかぬ。
まだ次の魔王どころか伴侶もおらぬというのに。ここで死んだらあの世で父上に叱られてしまう。
とにかく周囲を警戒しつつ、魔獣の動きにも注意を払って臨戦態勢を強めねばならぬ。
こっちか? それともそこからか? 来るなら早く来てくれ!
警戒を強めるが、勇者が来る気配はない。
まずい。
先程よりも心拍数が上昇している。
これが死の恐怖……。
む? 視界に違和感がある。なんだかすっきりしていくような……。
しまった! 召喚した魔獣が消え始めている! 気が逸れて魔力を保てなかったか!
慌てたところでどうしようもなく、魔獣が綺麗に消えた大広間の鮮明な様子が嫌なほど視界に訴えてくる。勇者が無傷で立っている、と。
せっかく召喚した魔獣があっけなく消えた。間抜けにも手の内を一つ、みすみすと晒しただけになってしまったのだ。
なんという失態!
「む……」
不意に足元に違和感を覚えた。
あ、足が震えている……。
まずい! 臆しているなんて勇者に知れたら、一息に攻め入られるぞ!
すぐさま最大限の警戒心を前方に集中させる……が。
勇者は魔獣召喚前と同じ姿勢でいた。しかも武器である大剣を床につけて戦闘体勢を崩しているのだ。もしや、あの魔獣相手に微塵も動じなかったというのか?
そこまで気付き、ふと理解した。
これから我は、全く力の詳細が分からず、魔獣を前にして平然と立っていられる勇者と戦うのか?
ぬぬぬ……。
戦いたくない!
でも、戦わなかったら勇者に斬られる。
おしまいだ……。
うむ…………、こうなったらアレを使うしかあらぬ。
幼い頃から時間をかけて練習と研究を積んできた我の得意な魔法を。これなら勇者に負けることはない。だが、実戦では未だ使用したことがなく不安も多い。
我は興奮する息を整えて勇者を見据えた。そして大広間に響くように声を張る。
「勇者よ、一つ提案がある」
勇者は大剣を握りしめたまま我を見ている。
「魔王よ、提案とはなんだ。内容によっては、その首を斬ることになるぞ!」
え……それは勘弁してほしい。
勇者は怒りに震えているのか、声まで震えている。
いや、ここで臆してしまってはいけぬ。ここはなんとか我の流れをつくりたい。
我の得意な魔法――――契約魔法を使って。
長い年月をかけて我が編み出した契約魔法は、制限が多いものの使い方次第では強力な効果を発揮する。これを上手く使えば事態は我の思い通りになるのだ。
我は魔法で紙とペンを取り出し、紙を契約書とした。その契約書に契約内容を素早く書き込み、我の名前を記してペンと共に勇者の方へゆっくりと送る。
慎重な面持ちで契約書を受け取った勇者は、我に警戒しながら契約書に目を通した。
素直に契約書を受け取ってくれて良かった。もし、内容も見ずに剣で真っ二つに切り裂かれたらどうしようかと思っていたのだ。
さて、問題はここからだ。
契約が成立するためには、我の記名と勇者の記名が必要。互いの干渉に関わる契約なので二人の同意の証がいるのだ。
勇者が契約書に名前を書いてくれるかどうか。結果によっては最悪の事態となる。
頼む、勇者。どうか書いてくれ!
ご来城ありがとうございました。
またのお越しをお待ちしております。




