第1話 クライマックス(1)
ボクの目の前に魔王がいる。
暗黒という絶望を身に纏い、鋭い眼光を放つ魔王がいる。
灰色のレンガ造りの壁に規則正しく並ぶ窓から宵闇の光が怪しく染み込み、深紅の細長い絨毯が貫くように伸びる大広間。
その大広間の奥にある玉座から腰を浮かして、魔王はボクを睨んでいる。
――最終決戦。
そんな言葉が頭に浮かんだ。
思えば、ここまで長かった。
勇者育成機関である勇者学校で過ごした苦しい修行の日々は今でも思い出せる。女だ、非力だ、落ちこぼれだと言われながらも必死で魔法と剣技を極め、気付いた時には他を寄せ付けないほどの強さを手にして首席で卒業。第一三八代目の勇者に選ばれた。
勇者として旅立ったボクは、道中で心強い仲間たちと出会い、魔王城までの長い道のりを共にした。一緒に様々な魔物や魔族と戦い、苦戦しながらも勝利を重ねることができた時の喜びは何物にも代えがたい。
だが、それもこの瞬間をもって終わる。
旅のなかで仲間たちと何度も挫折と成長を繰り返し、魔王城に辿り着くまでの実力を得たボクは今、魔王を前にしている。
大剣を強く握りしめ、刃先を魔王に向けた。
これからボクは魔王と戦う。
一対一。
この大広間にはボクと魔王しかいない。
戦うんだ!
大きく息を吸い込み、真っすぐに魔王を見た。
あ……無理だ…………。
どうしようどうしようどうしよう。
足が動かない。
すごく怖い。
故郷に帰りたい。
ボクに魔王なんて倒せないよぉぉぉ!
そもそも一人で戦うなんて無謀すぎる。仲間たちから「ヴェーベンだけでも先に行け」って言われて勢いで来ちゃったけど、無理!
魔王、怖すぎるよ!
思ってたより見た目が若いから、もしかしたらボク一人でもいけるんじゃないか? なんて軽く考えてたけど、いけないよ!
雰囲気が今まで出会ってきたどの魔族よりも禍々しい。あと威圧感が半端ない。
さすが魔王だよ。 魔王城までの道のりを思い出して少しでも士気を高めようとしたけど全然効果なかった。
あああぁぁぁぁ…………。
どうしたらいい? どうしたらいい? どうしたらいい?
このまま動けずにいたら間違いなくものすごい魔法で消し飛ばされるよね? それとも呪いをかけられて体中が悲鳴を上げるような痛みに襲われるとか? いや、とてつもなく恐ろしい魔物を呼び出して、その魔物にボクを喰わせるなんてことも…………。
「……ぁ、……ぁ!」
ん? 魔王が何か唱えている。距離があってよく聞こえないけど。
なになになに?
構えたままで怯えていると、今度は空中に何かを描き始めた。
何かの儀式? それって回避可能?
まともな思考ができる暇もなく、魔王の近くで何か光り、ズドン! と大きな音と煙がボクの前に立ち上がる。
攻撃を外したのか……?
閉じていた目を凝らすと、徐々に薄れていく煙の中に大きな黒い影が見え始めた。
そして煙を払うように風が吹き抜けると、ボクの視線の先に一体の、それはそれは大きな、それも黒々とした悪夢に出てきそうな獰猛な魔獣が現れた。
出たあぁぁぁぁ――!
本当に恐ろしい魔物を呼び出しちゃったよ!
無理無理無理ぃ!
何? 魔獣なの? 頭だけでボク二人分くらいの大きさだなんて……。絶対にやばい魔獣だ。牙は大きいし、爪は鋭いし、体毛は逆立ってるし! 口を開けただけで簡単にボクを飲み込んじゃうんだ。絶対そうだ。遭遇しただけであの世行きのやつなんだ。
……終わった。
死にたくないよぉぉぉ……!
こんな絶望を味わいながら死ぬとか絶対に嫌だ!
グルルルゥと低い唸り声を滴らせ、魔獣がボクを見下ろし、鋭く光る口を開いた。
あ……なんかされる。
足も動かなければ手も動かない。
頭の中には、家族や一緒に旅をした仲間たちの姿、それから今までのボクの人生が走馬灯のように流れ始めていた。
ここで死ぬのか。まだ十七年しか生きていないというのに。
――皆、今までありがとう。
お祈りしながら迫る魔獣の鋭い牙を遠い目で見ていたら、急に魔獣の姿が消え始めた。
もしかしてボク、死んでしまったのかな。即死かな。
天からのお迎えを待って、見えなくなっていく魔獣を眺めていると、魔王が――
あれ……魔王?
おかしいな。てっきり天使が見えるものかと思っていたのに魔王が見えている……?
不意にコーンと鈍い音が体に響いた。
あ、生きてる。
足はしっかり地面に立っていて、手は床に衝突して音を立てたばかりの大剣をギュッと握りしめている。そして、魔王がいる。
生きてる生きてる生きてる。
あ、危うく命を落とすところだった。危ない、ふぅー……。
深呼吸を挟んで、ボクは思考を巡らす。
今のは何だったんだろう? 魔獣を出したかと思ったら急に消した。いったい魔王は何の目的で…………そうか! これはボクに対する威嚇だ!
恐ろしい魔獣をいつでも呼び出せることができるんだぞっていう脅しだ。だからあんなに堂々と仁王立ちしていられるんだ。
ん? よく見たら魔王の足元が揺れている。こ……これは、ボクに対する殺気が空気を揺らしているのか……ひぃ!
そこまで理解すると、唐突に思った。
え…………これからボクは、恐ろしい魔獣を召喚できて、殺気で空気を震えさせてしまうような魔王と戦うの?
嫌だ嫌だ嫌だ!
戦いたくない!
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